新名神高速道路。 鈴鹿PA(下)・新名神高速道路

鈴鹿PA(下)・新名神高速道路

新名神高速道路

概要 [ ] ・・・・・・・とともに、・・を結ぶ日本の大動脈の一つである。 路線はほぼに沿って建設されている。 で東名高速道路(東名)と直結し、かつ車線変更・合流・分岐が不要な形での直通が可能な構造で、の番号やもからの通しとなっているため、実質的には東名と合わせて一つのと見なして「東名神」(とうめいしん)と呼ばれることもある。 - 71. 7 は、(38年)に日本初の都市間高速道路として開通した区間である。 (昭和40年)の小牧IC - 一宮IC開通により、全線開通となった。 が管理したのち、(17年)からを境に、東側を(NEXCO中日本)が、西側を(NEXCO西日本)が管理している。 道路名・路線名 [ ] 名神高速道路は小牧IC - 西宮ICの道路名(通称)である。 高速自動車国道法に基づく正式な路線名は、東京都から神奈川県、山梨県、、岐阜県、愛知県、滋賀県、京都府、大阪府を経て兵庫県に至る路線として指定された(東京都 - 兵庫県西宮市)であり、名神高速道路はその中の一部区間にあたる。 高速自動車国道で「」という呼称を使用しているのは、東名・名神と新東名・新名神のみである。 これは、これらの道路の計画・建設が進められる過程で、「自動車道」という呼称が用いられ始められる頃には、すでに広く民間において「高速道路」というが使用され一般的に定着していたため、例外的に採用されたものである。 このあたりのことは、運転免許更新時に配布される発行の交通教本の標識一覧などに、その名残がみられる。 (昭和43年)の東名高速道路開通に合わせて、現在のIC番号に変更された。 このようにIC番号が振られた理由は、歴史的経緯で東京 - 名古屋間のメインルートの決定(東名高速道路の建設決定)が大幅に遅れた結果、小牧ICで名神高速道路と直結する事になった東名高速道路の各IC・JCT設置の詳細決定が、名神高速道路の供用開始までに間に合わなかったため、名神高速内で暫定的にIC番号を振らざるを得なかったからである。 このようなことから、(昭和43年)の東名高速道路供用開始と同時に、現在のIC番号に振り直される事となった。 また、は、当初設置構想すらなかったにもかかわらず IC番号 35 に枝番が付いていないのも、東名高速の各IC・JCTの詳細が決定する以前に吹田ICの設置が決定していたためである。 「」も参照 新名神高速道路との関係 [ ] 並行する(新名神)は、名神とは異なり、- をルートに沿う。 新名神のうち、 - が(平成20年)に部分開通した。 - 草津JCTで - 東名阪道 - 新名神と経由すると、従来の東名・名神経由より34 km・約20分の短縮になる。 名神の関ヶ原IC付近では、長いや悪天候(冬季のなど)によりやが多発していた。 また、名神八日市IC - 大垣IC間は雪の降り方が強く規制になることがあり、愛知県豊田以東と滋賀県草津以西とを移動する約8割の車が新名神経由へシフトした。 東名・名神経由の東京・名古屋 - の(「」など)も、新名神への転換が顕著になっている。 このため、名神では一宮IC・近辺の渋滞は減少する一方で、東名阪道では - 亀山JCTの渋滞が悪化していたが、(平成31年)に - が開通したため、この区間の渋滞は解消された。 新名神は現在、未開通の全区間( - 、 - )が建設中である。 インターチェンジなど [ ]• 未開通区間の名称は仮称。 路線名の特記がないものは。 無印はBSなし。 略字は、ICは、JCTは、SAは、PAはをそれぞれ示す。 IC番号、は東京ICからの通しとなっている。 IC 番号 施設名 接続路線名 から 備考 所在地 E1 (小牧JCTより E19長野・山梨方面に連絡) 24 () 346. 7 - - 350. 2 352. 4 上下線で0. 8 kmずれている 25 () 方面 355. 0 25-1 E41 () 359. 4 - - - 362. 1 - 安八BS - 371. 6 26 374. 2 - - 養老口BS - 379. 7 - - 388. 1 - 下り線西宮IC方面のみ 2001年(平成13年)12月20日廃止 27 389. 0 398. 8 上下線で0. 8 kmずれている - 米原BS - 403. 5 - - - 405. 8 下り線西宮IC方面のみ (50年)廃止 28 413. 6 424. 3 kmずれている - - 428. 0 - 蒲生BS - 440. 2 - - 竜王BS - 443. 2 - - 451. 7 451. 2 kmずれている 29-3 () 457. 0 - 大阪方面出入口 30 (事業中) 458. 4 - - 465. 5 米原・名古屋方面出入口 469. 0 469. 9 - 山科BS - 481. 2 - 度(令和10年度)開通予定 33 () 487. 6 入口・下り線出口 33-2 上り線第2出口 33-1 488. 0 上り線第1出口 - - 490. 4 - 1998年(平成10年)3月廃止 11 E1A (高槻東道路) 504. 0 - 名神分岐 - 新名神分岐間距離 1. 4 km - - 506. 5 は京都方面のみ接続 - - 517. 8 - 吹田BS - 521. 4 38 ・方面 536. 2 料金所のは535. 5KP () 歴史 [ ] 計画・施工 [ ] 戦後日本の道路整備促進の流れは、実業家でのちに参議院議員となったらによって主導された国土開発縦貫自動車道構想であったが、これに平行する動きとして、もまた戦前の自動車国道構想を下敷きに、東京 - 神戸間高速道路計画の着手に乗り出していた。 1953年(昭和28年)ごろ、田中主導の国土開発縦貫自動車道構想を基とする中央道ルートの東京 - 名古屋間高速道路計画が具体化しはじめたことから、建設省は東海道ルートを前提とした「東京神戸間有料道路計画書」を公表して対抗した。 これ以後、建設ルートを巡って「東海道か中央道か」という論争が、次第に激しくなったため 、は当面実施すべき区間を名古屋 - 神戸間に限定し、その計画を有料道路とするとともに、借款をに求めることにした。 1956年(昭和31年)、世界銀行が名神高速道路の実現可能性調査のために、ラルフ・J・ワトキンスを団長とする調査団を派遣して提出された調査報告書である『』には、名神高速道路の建設を是とした上で、建設費の一部に世界銀行が貸付を行うことを肯定し、日本国政府に対しては、道路行政の改革を勧告したほか、道路予算を3倍増とすることを提言する内容が書かれていた。 世界銀行からの借入金は、当時としては借入期間が長期で安定していて低金利であった。 国費ではなく、借入金によって建設して返済するシステムは、道路公団方式による有料道路建設の端緒となった。 名神高速道路の設計計画は、当初はアメリカのターンパイク(有料道路)やインターステイツ・ハイウェイ(州際道路)の基準を手本に、日本独自で進められたが、の設計技師も務めたを名神高速道路の設計技師として迎え、内ではドルシュの教えに従って、設計手法が大きく変わっていった。 世界銀行が派遣し、設計コンサルタントとして来日したドルシュの提言は、高速道路の線形設計では、周囲の地形に調和するようにを採用したり 、それまで設計済みであったインターチェンジ計画を大規模な様式にするなど、それまで高速道路設計の経験が無かった日本の手法を大きく変えさせた。 建設省は、1957年(昭和32年)10月に国土開発縦貫自動車道建設法の規定に基づき、小牧 - 西宮間について、日本道路公団に対して施工命令を出し、名神高速道路の建設は始められた。 この着工によって、はスタートを切ることになった。 当時、は舗装が一般的であったが、コンクリート舗装と舗装とで、経済性・耐久性・快適性などを比較検討を行い、名神高速道路ではアスファルト舗装が導入されることになった。 では本格的に機械化施工を導入し、施工規定に加えて初めて性能規定も定めた。 また、の横断勾配 は試行錯誤を経て、による転圧が可能な1:1. 8とし、現在でも標準の横断勾配となっている。 の施工では、従来は木製のが用いられていたが、が悪く大きな地圧が作用する梶原トンネル・天王山トンネルでは、日本で初めての支保が導入された。 支保の導入により、大型機械が導入可能となり、安全性と効率性が大幅に向上した。 そのほか様々な技術が、名神高速道路の建設によって生まれ、進化を遂げながら現在に繋がる。 開通 [ ] 開通した頃の逢坂山トンネル。 当時は観光名所だった。 (1963年) 開業の前年にあたる、1963年(昭和38年)7月16日の名神高速道路 - 間(71. 7 km)の開通は、開通の歴史の中で最初となる高速道路の誕生であった。 自動車が道路を時速100 kmで疾走する状況は、世間を沸かせる一大ニュースとなり 、前日のには名神開通記念として額面10のが発行された [ ]。 1964年(昭和39年)4月には、栗東ICからまで延伸されると、9月には東側は一宮ICまで西側は西宮ICまでが開通する。 1965年(昭和40年)7月1日には、小牧IC - 一宮IC開通によって名神高速道路の小牧IC - 西宮ICの全線が完成し、これまで名古屋 - 阪神地域間の移動に自動車で5 - 6時間を要した時間が、2時間程で結ばれることになった。 開通当初は高速道路自体が観光名所となっていたため、でを食べ、疾走するを眺めたり、記念撮影したりするなど、今となっては長閑なエピソードも残されている。 一方で、当時の自動車のが高速連続走行に耐えられなかったことや、ドライバーが高速走行に不慣れだったため、やで立ち往生する自動車が続出した。 最初の10日間だけでオーバーヒートをはじめとする不具合で実に573件もの故障車が出たと記録に残っている。 やなど、高速域でのタイヤに関する知識も、一般にはまだ浸透していなかったため、これらに関する活動も行われるようになった。 また、全面開通するや否や、同時期に登場したの、が、性能と耐久性をアピールするためのとして、小牧 - 西宮間で「10万キロ連続高速走行公開テスト」を行った(58日間で276往復走行)ほか、開発時には、100 での20万キロ連続走行が課題として、各メーカーに要求されていた。 高速道路網として続く東京 - 名古屋間については、ルートで(東名高速)が中央道よりも先行して建設され、5月の東名高速全線開通によって東京 - 西宮間がで直結された。 としては、(昭和47年)10月の小牧JCT開通、(昭和57年)11月の - 開通により、全線が開通した。 そのため、その収拾が着く前に、既に建設ルートについて合意に至っていた名古屋 - 西宮間を先に建設することで、早期開業を目指している。 なお、どちらの側も自案を捨てずに強硬に主張を続けたため、最終的にはが東名・中央の双方を建設するとして幕引きを図った。 年表 [ ]• (昭和31年)• 5月 : (現・)の招請によりアメリカからラルフ・J・ワトキンス率いる道路調査団(ワトキンス調査団)が来日、本高速道路に係る総合的調査の名目で80日間にわたって各地の道路事情を調査。 : (名古屋・神戸高速道路調査報告書)を建設省に提出。 (昭和32年)• : 本高速道路として「小牧 - 西宮」間で施工命令下る。 11月 : 建設費調達のため世界銀行との折衝開始。 (昭和33年)• : の私設が「東京 - 神戸間高速道路」の建設を政府に勧告。 : からクサヘル・ドルシュが世銀技術顧問として初来日。 : 内に於いて起工(鍬入)式を挙行。 この付近の中央分離帯および側道にはの碑が建てられている。 (昭和34年)• 4月 : 世銀第1次借款対象工事として「尼崎 - 栗東」間が指定される。 10月 : 名神高速道路試験所を京都市山科(当時、現・山科区)に完成。 (昭和35年) : 世界銀行との間で第1次借款の調印 (尼崎 - 栗東間)40,000千, 金利:6. (昭和36年) : 世界銀行との間で第2次借款の調印(一宮 - 栗東、尼崎 - 西宮間)40,000千USD, 金利:5. 5年)。 (昭和38年) : 日本初のの建設区間となった、栗東IC - 尼崎IC間が開通。 (昭和39年)• : 関ヶ原IC - 栗東IC開通。 : 一宮IC - 関ヶ原IC、尼崎IC - 西宮IC開通。 (昭和40年) : 小牧IC - 一宮IC開通により、 全線開通。 (昭和43年) : 東名 - 小牧IC開通により東名と接続。 (昭和50年) : 米原JCT建設に伴い番場PAを廃止。 (昭和53年) : 急による事故多発地帯であった関ヶ原IC - 彦根IC間の一部区間を廃止、新たに掘削したを含む新ルートに付け替え。 (昭和54年) : 吹田JCT内の中国道直結連絡橋が開通。 (昭和55年)• : 瀬田西IC開通。 : 米原JCT開通により北陸道と接続。 (昭和56年) : 竜王IC開通。 (昭和58年) : 岐阜羽島IC開通。 (昭和63年)• : 瀬田東IC開通、京滋バイパスと接続。 : の仕様が開通以来の式から式に変更(東名・中国道の一部も同様)。 (3年) - : 名神リフレッシュ工事(現:名神集中工事)を初実施。 (平成8年) : 栗東IC - 瀬田東ICが6車線化(4を6車線に拡幅)。 (平成10年)• : 京都南IC - 吹田ICが6車線化(4車線を6車線に拡幅。 トンネル部分は左右2ルート化〈上下各ルート2車線〉し、合計8車線に拡幅)。 : 一宮JCT開通により東海北陸道と接続。 (平成11年) : 尾張一宮PA(上り線)開設。 (平成13年)• : 尾張一宮PA(下り線)開設。 : 小牧ICで名古屋高速11号小牧線と接続。 12月20日 : 上石津PAが廃止。 (平成15年)• : 大山崎JCT開通により瀬田東JCT - 大山崎JCTが京滋バイパスとの2ルート化。 : 大山崎IC開通。 (平成17年)• : 一宮ICで名古屋高速16号一宮線と接続。 : 草津JCT - 草津田上IC開通(草津JCTは草津田上ICの扱い)。 : 甲良PAが廃止。 :のに伴い・が道路管理者になる。 (平成20年) : 草津JCT - 草津田上ICの新名神への編入により、新名神と接続。 (平成21年)• : 滋賀県が湖東三山スマートIC・蒲生スマートICの実施計画書をNEXCO中日本・NEXCO西日本に提出。 : 国土交通省が湖東三山スマートIC・蒲生スマートICの建設を許可。 (平成24年) : 東海環状道 大垣西IC - 養老JCT間開通に伴い、養老JCT 供用開始。 (平成25年)• : 国土交通省が安八スマートIC・養老スマートICの建設を許可。 : 湖東三山スマートIC供用開始。 同時に秦荘PAから湖東三山PAに名称変更。 : 蒲生スマートIC供用開始。 (平成27年) : 名神高速全線開通から50年。 (平成28年) : 栗東湖南IC供用開始。 (平成30年)• : 安八スマートIC供用開始。 : 養老SAスマートIC供用開始。 路線状況 [ ] 車線・最高速度 [ ] 名神高速道路の標準的な車線幅は1車線あたり3. 6で造られている。 これは、日本で最初に高速道路が導入される際に、アメリカの高速道路の車線幅の基準となっている12をそのまま直輸入して、日本の長さの基準単位であるに換算した結果である。 なお歴史的経緯により、名神高速道路建設後に全国展開された高速自動車国道の車線幅はメートル法を基準として3. 5メートル(3車線の中央車線は除く)に統一されている。 新名神部分開通後の約1年1ヶ月後に、片側3車線から片側4車線化されたが依然、渋滞は完全に解消されていない。 新名神の大津JCT - 高槻JCT間の整備により渋滞が解消されると見込まれている。 ちなみに、大山崎JCT - 吹田JCT間も長らくボトルネックの区間であった。 しかし2010年(平成22年)3月20日に第二京阪道路が全線開通し、ボトルネックの状態は解消され、高槻BS付近や吹田JCTの渋滞がある程度緩和されると見込まれている。 降雪時の通行規制 [ ] 大垣IC - 竜王ICはからの間、冬型のが強まるとになる場合がある。 名神高速では10-15おきに除雪車の連隊で作業、凍結防止作業を行っている。 このため当該区間では10 km以上の大になる。 24時間態勢で大掛かりな作業をしているため、運用上は普通でも通行することが出来るが、降雪が強まると除雪部隊から離れた地点などでは路面に新雪が積もり、それが状や凍結状態になるなど、非常に危険な状況に陥る可能性がある(上述の作業車連隊による速度維持を行う理由でもある)。 更に降雪が強まり除雪が追いつかなくなった場合には、通行止め措置がとられる。 また、関ヶ原付近は冬期になるとが急変し、突発的にが降って視界が遮られる「ゲリラ雪」現象が発生する。 このため、NEXCO中日本のでは「冬の名神は雪国です」という旨の告知がされている。 2008年(平成20年)2月23日に新名神の部分開通により、関ヶ原・米原地区をすることが出来るようになった。 滑り止めの無い車両を比較的雪害の少ない新名神ルートで流すことが出来るようになったため、近年では強い降雪の場合には関ヶ原・米原地区でもチェーン規制措置を行うようになった。 道路施設 [ ] 道路照明灯は京都東IC - 豊中IC間に設置されている。 サービスエリア・パーキングエリア [ ] 名神高速道路は全区間を通して交通量が多いため、 PA ・下り線、を除くすべての・に売店がある。 また、を除くすべてのサービスエリアとにが、(下り線)すべてのサービスエリアにが設置されている。 ガソリンスタンドはいずれも24時間営業。 かつて、からにかけての区間には、距離に対し多数のサービスエリア・パーキングエリアが設置されていた。 大垣IC - 八日市IC (59. 7 km) にはサービスエリア2箇所・パーキングエリア5箇所、特に彦根IC - 八日市IC (21. 2 km) に多賀SA・甲良PA・秦荘PA(現・湖東三山PA)の3エリアが連続して設置されていたが 、1975年(昭和50年)頃に番場PA 、2001年(平成13年)に上石津PA、2005年(平成17年)の直前に甲良PAが廃止されている。 初代の日本道路公団総裁であったは名神高速道路建設の時に歴史環境と高速道路の調和に特段の配慮を具現化した人物で、京都・大阪間の中間に位置していた桜井PA建設の際は、岸の指示で平安時代の歌人の墓と、それを取り囲む3本の松を保存するために計画変更も行われた。 名神高速道路が6車線化拡幅で桜井PAがへ移転したときには、小侍従の墓は近くの高速道路沿いに移されて、現在は地元自治体によって管理されている。 主なトンネルと橋 [ ] 天王山トンネル 上り線右ルート入口• 木曽川橋(一宮IC - 羽島PA) : 1,014 m• 長良川橋(岐阜羽島IC - 大垣IC) : 630 m• 揖斐川橋(岐阜羽島IC - 大垣IC) : 349 m• 今須トンネル(関ヶ原IC - 伊吹PA) : 上り線380 m 下り線387 m• 関ヶ原トンネル(関ヶ原IC - 伊吹PA) : 上り線223 m 下り線243 m• 米原トンネル(米原JCT - 彦根IC) : 上り線170 m 下り線150 m• 彦根トンネル(米原JCT - 彦根IC) : 上り線430 m 下り線427 m• 野洲川橋(菩提寺PA - 栗東IC)• 桂川橋(京都南IC - 桂川PA)• 千里山トンネル(吹田SA - 豊中IC) : 508 m• 猪名川橋(豊中IC - 尼崎IC)• ここは、のひとつに数えられるの門前をよぎる部分で、歴史自然環境の保護のため、参道の景観が損なわれないように道路構造が地下化された。 下り線左ルートは2本(梶原トンネルが下り線左ルートは1本、その他は、第一、第二と分離しているため。 等を参照。 ) 道路管理者 [ ]• 羽島保全・サービスセンター : 小牧IC - 関ヶ原IC• 彦根保全・サービスセンター : 関ヶ原IC - 八日市IC(八日市ICを含む)• 滋賀高速道路事務所 : 八日市IC - 京都東IC• 京都高速道路事務所 : 京都東IC - 高槻JCT・IC• 大阪高速道路事務所 : 高槻JCT・IC - 西宮IC ハイウェイラジオ [ ]• 一宮(小牧IC - 一宮IC)• 名神木曽川(一宮JCT - 岐阜羽島IC)• 大垣(岐阜羽島IC - 大垣IC)• 養老(大垣IC - 関ヶ原IC)• 関ヶ原(養老SA - 関ヶ原IC)• 伊吹(関ヶ原IC - 米原JCT)• 米原(米原JCT - 彦根IC)• 湖東三山(彦根IC - 八日市IC)• 八日市(八日市IC - 竜王IC)• 菩提寺(竜王IC - 栗東IC)• 栗東(栗東IC - 草津JCT)• 草津(栗東IC - 瀬田西IC)• 京都(京都東IC - 京都南IC)• 茨木(茨木IC - 吹田SA)• 吹田(吹田SA - 豊中IC)• また、交通量と選択ルートが多いため、吹田管制管内では渋滞・規制情報のほかにハイウェイラジオ放送区間から主要ICまでの所要時間情報が放送される。 なお、かつては関ヶ原ICを境に放送形態が分けられていたが、民営化直前に関ヶ原IC - 八日市ICが当時のJH関西支社からJH中部支社に移管され、民営化後に吹田管制から一宮管制に移管された。 このため路面等の損傷が早く、車線規制を伴う名神集中工事が5月下旬に1年に1回ほど行われている。 この際は通常時より激しい渋滞となる。 工事実施時期は違うものの、同じく交通量が多い東名ではが、中国道の吹田JCT - 宝塚IC付近では中国道集中工事が行われている。 名神では導入時の1991年(平成3年)から2006年(平成18年)までは「リフレッシュ工事」と称していたが、現在では東名や中国道と同様に「集中工事」に呼称を変更している。 なお、新名神高速道路やの開通により、2010年(平成22年)の調査では一部区間で交通量が減少した。 2002年度(2003年度日本道路公団年報)• 日平均交通量• 全区間平均 : 7万1810台(前年度比98. 最大 : 茨木IC - 吹田JCT : 12万584台(前年度比99. 最小 : 尼崎IC - 西宮IC : 4万4024台(前年度比97. 交通量• 年間 : 9051万5442台(前年度比99. 日平均 : 24万7988台• 料金収入• 年間 : 1361億4239万8000円(前年度比98. 日平均 : 3億7299万3000円 地理 [ ] 通過する自治体 [ ]• - - - - 一宮市• - - - 犬上郡 - - - - - - - 湖南市 - 栗東市 - -• ( - - ) - - -• - - - -• E1 (で直結)• (で接続)• (で接続)• E41 (で接続)• C3 (で接続)• E8 (で接続)• E1A 大津連絡路(で接続)• E88 (で接続)• E89 (で接続 : 事業中)• E88 (で接続)• E9 (で接続)• E1A (で接続)• E26 (で接続)• (で接続)• (で接続) 発行物 [ ]• 1963年(昭和38年)7月15日、名神高速道路開通記念の切手が一種(10円)、発行された。 ギャラリー [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 旧関が原ルートの遺構 関連項目 [ ]• 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• よって「名神自動車道」や「東名道」、逆に他の高速道路を「中国高速道路」や「東北高速」などと呼ぶのは誤りである。 名神高速道路全線開通後の(昭和40年)にの開催が決定した際に、万博会場に比較的近い茨木ICがあったのにもかかわらず、万博会場へのルートが既存の茨木ICのみでは不充分であると判断されたため、茨木ICよりもさらに会場に近くかつ開催場所であるに吹田ICを設置する事が急遽決定された。 名神分岐 - 新名神分岐間のキロポストは数字の左側に「 W」のアルファベットが表記されている。 トンネル掘削を避けて等高線に沿った線形とした「今須カーブ」は、他の箇所に比べて急な半径280 mとなって事故が多発したことから、1978年(昭和53年)に緩やかな線形の「今須トンネル」によって付け替えられ、となった。 車線と直角方向の勾配。 バスラマ・インターナショナル24号「特集・国鉄〜名神 東名・名神ハイウェイバス」P36での記述によると、当時のメーカー側では5万 kmから10万 km程度の走行試験を考えており、国鉄では20万 km以上の走行試験を希望したが、開発時間の制約により20万 kmと決められたという。 指定に際し、線形・橋梁設計に於いてドルシュの勧告を受けることも決定された。 当時、サービスエリア・パーキングエリアが1区間に3箇所設置されていた唯一の区間である。 米原JCT近くにかつてあった。 西宮方面から中国自動車道へ向かうには、名神吹田ICで一旦出場して一般道経由でから再入場する必要がある。 出典 [ ]• 56-57. - (2009年12月9日アーカイブ分)• 「高速道路と自動車」1963年版• プレスリリース , 西日本高速道路株式会社, 2008年9月19日 ,• 日本経済新聞 2019年3月17日. 2019年3月18日閲覧。 岐阜新聞Web. 2013年5月28日. の2013年5月28日時点におけるアーカイブ。 国土交通省道路局 2018年8月10日. 2018年8月10日閲覧。 京都新聞. 2017年3月31日. の2017年4月1日時点におけるアーカイブ。 2017年9月10日閲覧。 189—191. , p. 190. , p. 183. 195. 2020年4月3日. 2020年4月3日閲覧。 , pp. 193—194. , p. 199. 神戸新聞NEXT. 2013年7月16日. の2013年8月23日時点におけるアーカイブ。 NIKKEI STYLE. 2012年9月16日. 2012年11月23日閲覧。 日本が世界銀行から貸出を受けた31のプロジェクト. 東京事務所. 2018年7月1日閲覧。 名古屋商工会議所のあゆみ. 2018年7月1日閲覧。 , p. フィールド・ミュージアム京都. いしぶみデータベース. 京都市歴史資料館. 2018年7月1日閲覧。 高速道路調査会. 2018年7月1日閲覧。 梅棹忠夫『日本探検』(1960年)• , p. 1221. プレスリリース , 西日本高速道路株式会社, 2016年2月24日 , 2016年2月24日閲覧。 プレスリリース , 西日本高速道路株式会社, 2017年11月7日 , 2017年11月10日閲覧。 プレスリリース , 安八町・中日本高速道路株式会社, 2018年2月13日 , 2018年2月13日閲覧。 プレスリリース , 養老町・中日本高速道路株式会社, 2018年5月22日 , 2018年5月22日閲覧。 213—214. , p. 214、「自然環境と歴史環境」 参考文献 [ ]• 浅井建爾『道と路がわかる辞典』、2001年11月10日、初版。 全国高速道路建設協議会(編)『高速道路便覧 2007』全国高速道路建設協議会、2007年8月、第23版。 武部健一『道路の日本史』〈中公新書〉、2015年5月25日。 米原町史編さん委員会編集『米原町史』通史編、1999年3月。 竹國一也「関西の過去・現在・未来における土木の役割 -名神高速道路の建設-」『土木学会誌』第99巻第9号、2014年、 10-11頁。 外部リンク [ ]•

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via 最後に残った区間• 八幡JCTー城陽JCT間は平成28年度に、高槻第一JCTー川西IC間が平成29年度に開通予定なので、両端の八幡JCT、高槻第一JCTはそれぞれ先に共用開始される事になります。 工事はまだ始っていません。 NEXCO西日本のサイトを見ても、まだ用地取得や測量調査の段階ですが、計画は出来ています。 新名神とはどんな道路?• 愛知県ー三重県ー滋賀県ー京都府ー大阪府ー兵庫県の6府県にまたがる西の大動脈です• 新四日市JCT-亀山西JCTまではNEXCO中日本が管轄し、大津JCT-神戸JCTまではNEXCO西日本が管轄となります• 高槻JCTー神戸JCT間の開通は橋桁落下や橋脚が崩れる事故が発生したため開通が1年延期されています 建設凍結から解除へ• 大津ー城陽、八幡ー高槻は2005年から10年間建設が凍結されていました。 その経緯を簡単にまとめると次のとおりです。 2003年、猪瀬直樹氏が近くに京滋バイパスがあり、3つ目の平行路線はいらないと建設を見直すように小泉首相に求めた 国土交通相の諮問機関が「第2京阪道路が開通した後の交通状況を見て検証する」と建設を凍結 検証の結果、京阪間は改善したが、滋賀県と京都府の間の高速道路の建設が必要となった 2012年建設凍結が解除 めでたく、新名神高速道路は全線開通する事が出来るようになった 区間• 四日市ー新四日市 16-08-11開通• 新四日市ー亀山西 18年度開通予定• 亀山西-大津 開通済み• 大津ー城陽 24年度開通予定• 17-04-30開通• 24年度開通予定• 17-12-10開通• 18-03-18開通 関連サイト•

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NEXCO西日本

新名神高速道路

概要 [ ] ・・・・・・・とともに、・・を結ぶ日本の大動脈の一つである。 路線はほぼに沿って建設されている。 で東名高速道路(東名)と直結し、かつ車線変更・合流・分岐が不要な形での直通が可能な構造で、の番号やもからの通しとなっているため、実質的には東名と合わせて一つのと見なして「東名神」(とうめいしん)と呼ばれることもある。 - 71. 7 は、(38年)に日本初の都市間高速道路として開通した区間である。 (昭和40年)の小牧IC - 一宮IC開通により、全線開通となった。 が管理したのち、(17年)からを境に、東側を(NEXCO中日本)が、西側を(NEXCO西日本)が管理している。 道路名・路線名 [ ] 名神高速道路は小牧IC - 西宮ICの道路名(通称)である。 高速自動車国道法に基づく正式な路線名は、東京都から神奈川県、山梨県、、岐阜県、愛知県、滋賀県、京都府、大阪府を経て兵庫県に至る路線として指定された(東京都 - 兵庫県西宮市)であり、名神高速道路はその中の一部区間にあたる。 高速自動車国道で「」という呼称を使用しているのは、東名・名神と新東名・新名神のみである。 これは、これらの道路の計画・建設が進められる過程で、「自動車道」という呼称が用いられ始められる頃には、すでに広く民間において「高速道路」というが使用され一般的に定着していたため、例外的に採用されたものである。 このあたりのことは、運転免許更新時に配布される発行の交通教本の標識一覧などに、その名残がみられる。 (昭和43年)の東名高速道路開通に合わせて、現在のIC番号に変更された。 このようにIC番号が振られた理由は、歴史的経緯で東京 - 名古屋間のメインルートの決定(東名高速道路の建設決定)が大幅に遅れた結果、小牧ICで名神高速道路と直結する事になった東名高速道路の各IC・JCT設置の詳細決定が、名神高速道路の供用開始までに間に合わなかったため、名神高速内で暫定的にIC番号を振らざるを得なかったからである。 このようなことから、(昭和43年)の東名高速道路供用開始と同時に、現在のIC番号に振り直される事となった。 また、は、当初設置構想すらなかったにもかかわらず IC番号 35 に枝番が付いていないのも、東名高速の各IC・JCTの詳細が決定する以前に吹田ICの設置が決定していたためである。 「」も参照 新名神高速道路との関係 [ ] 並行する(新名神)は、名神とは異なり、- をルートに沿う。 新名神のうち、 - が(平成20年)に部分開通した。 - 草津JCTで - 東名阪道 - 新名神と経由すると、従来の東名・名神経由より34 km・約20分の短縮になる。 名神の関ヶ原IC付近では、長いや悪天候(冬季のなど)によりやが多発していた。 また、名神八日市IC - 大垣IC間は雪の降り方が強く規制になることがあり、愛知県豊田以東と滋賀県草津以西とを移動する約8割の車が新名神経由へシフトした。 東名・名神経由の東京・名古屋 - の(「」など)も、新名神への転換が顕著になっている。 このため、名神では一宮IC・近辺の渋滞は減少する一方で、東名阪道では - 亀山JCTの渋滞が悪化していたが、(平成31年)に - が開通したため、この区間の渋滞は解消された。 新名神は現在、未開通の全区間( - 、 - )が建設中である。 インターチェンジなど [ ]• 未開通区間の名称は仮称。 路線名の特記がないものは。 無印はBSなし。 略字は、ICは、JCTは、SAは、PAはをそれぞれ示す。 IC番号、は東京ICからの通しとなっている。 IC 番号 施設名 接続路線名 から 備考 所在地 E1 (小牧JCTより E19長野・山梨方面に連絡) 24 () 346. 7 - - 350. 2 352. 4 上下線で0. 8 kmずれている 25 () 方面 355. 0 25-1 E41 () 359. 4 - - - 362. 1 - 安八BS - 371. 6 26 374. 2 - - 養老口BS - 379. 7 - - 388. 1 - 下り線西宮IC方面のみ 2001年(平成13年)12月20日廃止 27 389. 0 398. 8 上下線で0. 8 kmずれている - 米原BS - 403. 5 - - - 405. 8 下り線西宮IC方面のみ (50年)廃止 28 413. 6 424. 3 kmずれている - - 428. 0 - 蒲生BS - 440. 2 - - 竜王BS - 443. 2 - - 451. 7 451. 2 kmずれている 29-3 () 457. 0 - 大阪方面出入口 30 (事業中) 458. 4 - - 465. 5 米原・名古屋方面出入口 469. 0 469. 9 - 山科BS - 481. 2 - 度(令和10年度)開通予定 33 () 487. 6 入口・下り線出口 33-2 上り線第2出口 33-1 488. 0 上り線第1出口 - - 490. 4 - 1998年(平成10年)3月廃止 11 E1A (高槻東道路) 504. 0 - 名神分岐 - 新名神分岐間距離 1. 4 km - - 506. 5 は京都方面のみ接続 - - 517. 8 - 吹田BS - 521. 4 38 ・方面 536. 2 料金所のは535. 5KP () 歴史 [ ] 計画・施工 [ ] 戦後日本の道路整備促進の流れは、実業家でのちに参議院議員となったらによって主導された国土開発縦貫自動車道構想であったが、これに平行する動きとして、もまた戦前の自動車国道構想を下敷きに、東京 - 神戸間高速道路計画の着手に乗り出していた。 1953年(昭和28年)ごろ、田中主導の国土開発縦貫自動車道構想を基とする中央道ルートの東京 - 名古屋間高速道路計画が具体化しはじめたことから、建設省は東海道ルートを前提とした「東京神戸間有料道路計画書」を公表して対抗した。 これ以後、建設ルートを巡って「東海道か中央道か」という論争が、次第に激しくなったため 、は当面実施すべき区間を名古屋 - 神戸間に限定し、その計画を有料道路とするとともに、借款をに求めることにした。 1956年(昭和31年)、世界銀行が名神高速道路の実現可能性調査のために、ラルフ・J・ワトキンスを団長とする調査団を派遣して提出された調査報告書である『』には、名神高速道路の建設を是とした上で、建設費の一部に世界銀行が貸付を行うことを肯定し、日本国政府に対しては、道路行政の改革を勧告したほか、道路予算を3倍増とすることを提言する内容が書かれていた。 世界銀行からの借入金は、当時としては借入期間が長期で安定していて低金利であった。 国費ではなく、借入金によって建設して返済するシステムは、道路公団方式による有料道路建設の端緒となった。 名神高速道路の設計計画は、当初はアメリカのターンパイク(有料道路)やインターステイツ・ハイウェイ(州際道路)の基準を手本に、日本独自で進められたが、の設計技師も務めたを名神高速道路の設計技師として迎え、内ではドルシュの教えに従って、設計手法が大きく変わっていった。 世界銀行が派遣し、設計コンサルタントとして来日したドルシュの提言は、高速道路の線形設計では、周囲の地形に調和するようにを採用したり 、それまで設計済みであったインターチェンジ計画を大規模な様式にするなど、それまで高速道路設計の経験が無かった日本の手法を大きく変えさせた。 建設省は、1957年(昭和32年)10月に国土開発縦貫自動車道建設法の規定に基づき、小牧 - 西宮間について、日本道路公団に対して施工命令を出し、名神高速道路の建設は始められた。 この着工によって、はスタートを切ることになった。 当時、は舗装が一般的であったが、コンクリート舗装と舗装とで、経済性・耐久性・快適性などを比較検討を行い、名神高速道路ではアスファルト舗装が導入されることになった。 では本格的に機械化施工を導入し、施工規定に加えて初めて性能規定も定めた。 また、の横断勾配 は試行錯誤を経て、による転圧が可能な1:1. 8とし、現在でも標準の横断勾配となっている。 の施工では、従来は木製のが用いられていたが、が悪く大きな地圧が作用する梶原トンネル・天王山トンネルでは、日本で初めての支保が導入された。 支保の導入により、大型機械が導入可能となり、安全性と効率性が大幅に向上した。 そのほか様々な技術が、名神高速道路の建設によって生まれ、進化を遂げながら現在に繋がる。 開通 [ ] 開通した頃の逢坂山トンネル。 当時は観光名所だった。 (1963年) 開業の前年にあたる、1963年(昭和38年)7月16日の名神高速道路 - 間(71. 7 km)の開通は、開通の歴史の中で最初となる高速道路の誕生であった。 自動車が道路を時速100 kmで疾走する状況は、世間を沸かせる一大ニュースとなり 、前日のには名神開通記念として額面10のが発行された [ ]。 1964年(昭和39年)4月には、栗東ICからまで延伸されると、9月には東側は一宮ICまで西側は西宮ICまでが開通する。 1965年(昭和40年)7月1日には、小牧IC - 一宮IC開通によって名神高速道路の小牧IC - 西宮ICの全線が完成し、これまで名古屋 - 阪神地域間の移動に自動車で5 - 6時間を要した時間が、2時間程で結ばれることになった。 開通当初は高速道路自体が観光名所となっていたため、でを食べ、疾走するを眺めたり、記念撮影したりするなど、今となっては長閑なエピソードも残されている。 一方で、当時の自動車のが高速連続走行に耐えられなかったことや、ドライバーが高速走行に不慣れだったため、やで立ち往生する自動車が続出した。 最初の10日間だけでオーバーヒートをはじめとする不具合で実に573件もの故障車が出たと記録に残っている。 やなど、高速域でのタイヤに関する知識も、一般にはまだ浸透していなかったため、これらに関する活動も行われるようになった。 また、全面開通するや否や、同時期に登場したの、が、性能と耐久性をアピールするためのとして、小牧 - 西宮間で「10万キロ連続高速走行公開テスト」を行った(58日間で276往復走行)ほか、開発時には、100 での20万キロ連続走行が課題として、各メーカーに要求されていた。 高速道路網として続く東京 - 名古屋間については、ルートで(東名高速)が中央道よりも先行して建設され、5月の東名高速全線開通によって東京 - 西宮間がで直結された。 としては、(昭和47年)10月の小牧JCT開通、(昭和57年)11月の - 開通により、全線が開通した。 そのため、その収拾が着く前に、既に建設ルートについて合意に至っていた名古屋 - 西宮間を先に建設することで、早期開業を目指している。 なお、どちらの側も自案を捨てずに強硬に主張を続けたため、最終的にはが東名・中央の双方を建設するとして幕引きを図った。 年表 [ ]• (昭和31年)• 5月 : (現・)の招請によりアメリカからラルフ・J・ワトキンス率いる道路調査団(ワトキンス調査団)が来日、本高速道路に係る総合的調査の名目で80日間にわたって各地の道路事情を調査。 : (名古屋・神戸高速道路調査報告書)を建設省に提出。 (昭和32年)• : 本高速道路として「小牧 - 西宮」間で施工命令下る。 11月 : 建設費調達のため世界銀行との折衝開始。 (昭和33年)• : の私設が「東京 - 神戸間高速道路」の建設を政府に勧告。 : からクサヘル・ドルシュが世銀技術顧問として初来日。 : 内に於いて起工(鍬入)式を挙行。 この付近の中央分離帯および側道にはの碑が建てられている。 (昭和34年)• 4月 : 世銀第1次借款対象工事として「尼崎 - 栗東」間が指定される。 10月 : 名神高速道路試験所を京都市山科(当時、現・山科区)に完成。 (昭和35年) : 世界銀行との間で第1次借款の調印 (尼崎 - 栗東間)40,000千, 金利:6. (昭和36年) : 世界銀行との間で第2次借款の調印(一宮 - 栗東、尼崎 - 西宮間)40,000千USD, 金利:5. 5年)。 (昭和38年) : 日本初のの建設区間となった、栗東IC - 尼崎IC間が開通。 (昭和39年)• : 関ヶ原IC - 栗東IC開通。 : 一宮IC - 関ヶ原IC、尼崎IC - 西宮IC開通。 (昭和40年) : 小牧IC - 一宮IC開通により、 全線開通。 (昭和43年) : 東名 - 小牧IC開通により東名と接続。 (昭和50年) : 米原JCT建設に伴い番場PAを廃止。 (昭和53年) : 急による事故多発地帯であった関ヶ原IC - 彦根IC間の一部区間を廃止、新たに掘削したを含む新ルートに付け替え。 (昭和54年) : 吹田JCT内の中国道直結連絡橋が開通。 (昭和55年)• : 瀬田西IC開通。 : 米原JCT開通により北陸道と接続。 (昭和56年) : 竜王IC開通。 (昭和58年) : 岐阜羽島IC開通。 (昭和63年)• : 瀬田東IC開通、京滋バイパスと接続。 : の仕様が開通以来の式から式に変更(東名・中国道の一部も同様)。 (3年) - : 名神リフレッシュ工事(現:名神集中工事)を初実施。 (平成8年) : 栗東IC - 瀬田東ICが6車線化(4を6車線に拡幅)。 (平成10年)• : 京都南IC - 吹田ICが6車線化(4車線を6車線に拡幅。 トンネル部分は左右2ルート化〈上下各ルート2車線〉し、合計8車線に拡幅)。 : 一宮JCT開通により東海北陸道と接続。 (平成11年) : 尾張一宮PA(上り線)開設。 (平成13年)• : 尾張一宮PA(下り線)開設。 : 小牧ICで名古屋高速11号小牧線と接続。 12月20日 : 上石津PAが廃止。 (平成15年)• : 大山崎JCT開通により瀬田東JCT - 大山崎JCTが京滋バイパスとの2ルート化。 : 大山崎IC開通。 (平成17年)• : 一宮ICで名古屋高速16号一宮線と接続。 : 草津JCT - 草津田上IC開通(草津JCTは草津田上ICの扱い)。 : 甲良PAが廃止。 :のに伴い・が道路管理者になる。 (平成20年) : 草津JCT - 草津田上ICの新名神への編入により、新名神と接続。 (平成21年)• : 滋賀県が湖東三山スマートIC・蒲生スマートICの実施計画書をNEXCO中日本・NEXCO西日本に提出。 : 国土交通省が湖東三山スマートIC・蒲生スマートICの建設を許可。 (平成24年) : 東海環状道 大垣西IC - 養老JCT間開通に伴い、養老JCT 供用開始。 (平成25年)• : 国土交通省が安八スマートIC・養老スマートICの建設を許可。 : 湖東三山スマートIC供用開始。 同時に秦荘PAから湖東三山PAに名称変更。 : 蒲生スマートIC供用開始。 (平成27年) : 名神高速全線開通から50年。 (平成28年) : 栗東湖南IC供用開始。 (平成30年)• : 安八スマートIC供用開始。 : 養老SAスマートIC供用開始。 路線状況 [ ] 車線・最高速度 [ ] 名神高速道路の標準的な車線幅は1車線あたり3. 6で造られている。 これは、日本で最初に高速道路が導入される際に、アメリカの高速道路の車線幅の基準となっている12をそのまま直輸入して、日本の長さの基準単位であるに換算した結果である。 なお歴史的経緯により、名神高速道路建設後に全国展開された高速自動車国道の車線幅はメートル法を基準として3. 5メートル(3車線の中央車線は除く)に統一されている。 新名神部分開通後の約1年1ヶ月後に、片側3車線から片側4車線化されたが依然、渋滞は完全に解消されていない。 新名神の大津JCT - 高槻JCT間の整備により渋滞が解消されると見込まれている。 ちなみに、大山崎JCT - 吹田JCT間も長らくボトルネックの区間であった。 しかし2010年(平成22年)3月20日に第二京阪道路が全線開通し、ボトルネックの状態は解消され、高槻BS付近や吹田JCTの渋滞がある程度緩和されると見込まれている。 降雪時の通行規制 [ ] 大垣IC - 竜王ICはからの間、冬型のが強まるとになる場合がある。 名神高速では10-15おきに除雪車の連隊で作業、凍結防止作業を行っている。 このため当該区間では10 km以上の大になる。 24時間態勢で大掛かりな作業をしているため、運用上は普通でも通行することが出来るが、降雪が強まると除雪部隊から離れた地点などでは路面に新雪が積もり、それが状や凍結状態になるなど、非常に危険な状況に陥る可能性がある(上述の作業車連隊による速度維持を行う理由でもある)。 更に降雪が強まり除雪が追いつかなくなった場合には、通行止め措置がとられる。 また、関ヶ原付近は冬期になるとが急変し、突発的にが降って視界が遮られる「ゲリラ雪」現象が発生する。 このため、NEXCO中日本のでは「冬の名神は雪国です」という旨の告知がされている。 2008年(平成20年)2月23日に新名神の部分開通により、関ヶ原・米原地区をすることが出来るようになった。 滑り止めの無い車両を比較的雪害の少ない新名神ルートで流すことが出来るようになったため、近年では強い降雪の場合には関ヶ原・米原地区でもチェーン規制措置を行うようになった。 道路施設 [ ] 道路照明灯は京都東IC - 豊中IC間に設置されている。 サービスエリア・パーキングエリア [ ] 名神高速道路は全区間を通して交通量が多いため、 PA ・下り線、を除くすべての・に売店がある。 また、を除くすべてのサービスエリアとにが、(下り線)すべてのサービスエリアにが設置されている。 ガソリンスタンドはいずれも24時間営業。 かつて、からにかけての区間には、距離に対し多数のサービスエリア・パーキングエリアが設置されていた。 大垣IC - 八日市IC (59. 7 km) にはサービスエリア2箇所・パーキングエリア5箇所、特に彦根IC - 八日市IC (21. 2 km) に多賀SA・甲良PA・秦荘PA(現・湖東三山PA)の3エリアが連続して設置されていたが 、1975年(昭和50年)頃に番場PA 、2001年(平成13年)に上石津PA、2005年(平成17年)の直前に甲良PAが廃止されている。 初代の日本道路公団総裁であったは名神高速道路建設の時に歴史環境と高速道路の調和に特段の配慮を具現化した人物で、京都・大阪間の中間に位置していた桜井PA建設の際は、岸の指示で平安時代の歌人の墓と、それを取り囲む3本の松を保存するために計画変更も行われた。 名神高速道路が6車線化拡幅で桜井PAがへ移転したときには、小侍従の墓は近くの高速道路沿いに移されて、現在は地元自治体によって管理されている。 主なトンネルと橋 [ ] 天王山トンネル 上り線右ルート入口• 木曽川橋(一宮IC - 羽島PA) : 1,014 m• 長良川橋(岐阜羽島IC - 大垣IC) : 630 m• 揖斐川橋(岐阜羽島IC - 大垣IC) : 349 m• 今須トンネル(関ヶ原IC - 伊吹PA) : 上り線380 m 下り線387 m• 関ヶ原トンネル(関ヶ原IC - 伊吹PA) : 上り線223 m 下り線243 m• 米原トンネル(米原JCT - 彦根IC) : 上り線170 m 下り線150 m• 彦根トンネル(米原JCT - 彦根IC) : 上り線430 m 下り線427 m• 野洲川橋(菩提寺PA - 栗東IC)• 桂川橋(京都南IC - 桂川PA)• 千里山トンネル(吹田SA - 豊中IC) : 508 m• 猪名川橋(豊中IC - 尼崎IC)• ここは、のひとつに数えられるの門前をよぎる部分で、歴史自然環境の保護のため、参道の景観が損なわれないように道路構造が地下化された。 下り線左ルートは2本(梶原トンネルが下り線左ルートは1本、その他は、第一、第二と分離しているため。 等を参照。 ) 道路管理者 [ ]• 羽島保全・サービスセンター : 小牧IC - 関ヶ原IC• 彦根保全・サービスセンター : 関ヶ原IC - 八日市IC(八日市ICを含む)• 滋賀高速道路事務所 : 八日市IC - 京都東IC• 京都高速道路事務所 : 京都東IC - 高槻JCT・IC• 大阪高速道路事務所 : 高槻JCT・IC - 西宮IC ハイウェイラジオ [ ]• 一宮(小牧IC - 一宮IC)• 名神木曽川(一宮JCT - 岐阜羽島IC)• 大垣(岐阜羽島IC - 大垣IC)• 養老(大垣IC - 関ヶ原IC)• 関ヶ原(養老SA - 関ヶ原IC)• 伊吹(関ヶ原IC - 米原JCT)• 米原(米原JCT - 彦根IC)• 湖東三山(彦根IC - 八日市IC)• 八日市(八日市IC - 竜王IC)• 菩提寺(竜王IC - 栗東IC)• 栗東(栗東IC - 草津JCT)• 草津(栗東IC - 瀬田西IC)• 京都(京都東IC - 京都南IC)• 茨木(茨木IC - 吹田SA)• 吹田(吹田SA - 豊中IC)• また、交通量と選択ルートが多いため、吹田管制管内では渋滞・規制情報のほかにハイウェイラジオ放送区間から主要ICまでの所要時間情報が放送される。 なお、かつては関ヶ原ICを境に放送形態が分けられていたが、民営化直前に関ヶ原IC - 八日市ICが当時のJH関西支社からJH中部支社に移管され、民営化後に吹田管制から一宮管制に移管された。 このため路面等の損傷が早く、車線規制を伴う名神集中工事が5月下旬に1年に1回ほど行われている。 この際は通常時より激しい渋滞となる。 工事実施時期は違うものの、同じく交通量が多い東名ではが、中国道の吹田JCT - 宝塚IC付近では中国道集中工事が行われている。 名神では導入時の1991年(平成3年)から2006年(平成18年)までは「リフレッシュ工事」と称していたが、現在では東名や中国道と同様に「集中工事」に呼称を変更している。 なお、新名神高速道路やの開通により、2010年(平成22年)の調査では一部区間で交通量が減少した。 2002年度(2003年度日本道路公団年報)• 日平均交通量• 全区間平均 : 7万1810台(前年度比98. 最大 : 茨木IC - 吹田JCT : 12万584台(前年度比99. 最小 : 尼崎IC - 西宮IC : 4万4024台(前年度比97. 交通量• 年間 : 9051万5442台(前年度比99. 日平均 : 24万7988台• 料金収入• 年間 : 1361億4239万8000円(前年度比98. 日平均 : 3億7299万3000円 地理 [ ] 通過する自治体 [ ]• - - - - 一宮市• - - - 犬上郡 - - - - - - - 湖南市 - 栗東市 - -• ( - - ) - - -• - - - -• E1 (で直結)• (で接続)• (で接続)• E41 (で接続)• C3 (で接続)• E8 (で接続)• E1A 大津連絡路(で接続)• E88 (で接続)• E89 (で接続 : 事業中)• E88 (で接続)• E9 (で接続)• E1A (で接続)• E26 (で接続)• (で接続)• (で接続) 発行物 [ ]• 1963年(昭和38年)7月15日、名神高速道路開通記念の切手が一種(10円)、発行された。 ギャラリー [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 旧関が原ルートの遺構 関連項目 [ ]• 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• よって「名神自動車道」や「東名道」、逆に他の高速道路を「中国高速道路」や「東北高速」などと呼ぶのは誤りである。 名神高速道路全線開通後の(昭和40年)にの開催が決定した際に、万博会場に比較的近い茨木ICがあったのにもかかわらず、万博会場へのルートが既存の茨木ICのみでは不充分であると判断されたため、茨木ICよりもさらに会場に近くかつ開催場所であるに吹田ICを設置する事が急遽決定された。 名神分岐 - 新名神分岐間のキロポストは数字の左側に「 W」のアルファベットが表記されている。 トンネル掘削を避けて等高線に沿った線形とした「今須カーブ」は、他の箇所に比べて急な半径280 mとなって事故が多発したことから、1978年(昭和53年)に緩やかな線形の「今須トンネル」によって付け替えられ、となった。 車線と直角方向の勾配。 バスラマ・インターナショナル24号「特集・国鉄〜名神 東名・名神ハイウェイバス」P36での記述によると、当時のメーカー側では5万 kmから10万 km程度の走行試験を考えており、国鉄では20万 km以上の走行試験を希望したが、開発時間の制約により20万 kmと決められたという。 指定に際し、線形・橋梁設計に於いてドルシュの勧告を受けることも決定された。 当時、サービスエリア・パーキングエリアが1区間に3箇所設置されていた唯一の区間である。 米原JCT近くにかつてあった。 西宮方面から中国自動車道へ向かうには、名神吹田ICで一旦出場して一般道経由でから再入場する必要がある。 出典 [ ]• 56-57. - (2009年12月9日アーカイブ分)• 「高速道路と自動車」1963年版• プレスリリース , 西日本高速道路株式会社, 2008年9月19日 ,• 日本経済新聞 2019年3月17日. 2019年3月18日閲覧。 岐阜新聞Web. 2013年5月28日. の2013年5月28日時点におけるアーカイブ。 国土交通省道路局 2018年8月10日. 2018年8月10日閲覧。 京都新聞. 2017年3月31日. の2017年4月1日時点におけるアーカイブ。 2017年9月10日閲覧。 189—191. , p. 190. , p. 183. 195. 2020年4月3日. 2020年4月3日閲覧。 , pp. 193—194. , p. 199. 神戸新聞NEXT. 2013年7月16日. の2013年8月23日時点におけるアーカイブ。 NIKKEI STYLE. 2012年9月16日. 2012年11月23日閲覧。 日本が世界銀行から貸出を受けた31のプロジェクト. 東京事務所. 2018年7月1日閲覧。 名古屋商工会議所のあゆみ. 2018年7月1日閲覧。 , p. フィールド・ミュージアム京都. いしぶみデータベース. 京都市歴史資料館. 2018年7月1日閲覧。 高速道路調査会. 2018年7月1日閲覧。 梅棹忠夫『日本探検』(1960年)• , p. 1221. プレスリリース , 西日本高速道路株式会社, 2016年2月24日 , 2016年2月24日閲覧。 プレスリリース , 西日本高速道路株式会社, 2017年11月7日 , 2017年11月10日閲覧。 プレスリリース , 安八町・中日本高速道路株式会社, 2018年2月13日 , 2018年2月13日閲覧。 プレスリリース , 養老町・中日本高速道路株式会社, 2018年5月22日 , 2018年5月22日閲覧。 213—214. , p. 214、「自然環境と歴史環境」 参考文献 [ ]• 浅井建爾『道と路がわかる辞典』、2001年11月10日、初版。 全国高速道路建設協議会(編)『高速道路便覧 2007』全国高速道路建設協議会、2007年8月、第23版。 武部健一『道路の日本史』〈中公新書〉、2015年5月25日。 米原町史編さん委員会編集『米原町史』通史編、1999年3月。 竹國一也「関西の過去・現在・未来における土木の役割 -名神高速道路の建設-」『土木学会誌』第99巻第9号、2014年、 10-11頁。 外部リンク [ ]•

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