角田三枝子。 尼崎事件を起こした角田美代子の生い立ちとその後!黒幕が明らかに?

角田美代子容疑者に“戸籍ロンダリング”を伝授したのは誰なのか (1/3)

角田三枝子

兵庫県尼崎市の連続変死・行方不明事件で、男女3人への殺人や詐欺などの罪に問われた角田美代子元被告=自殺、当時(64)=の義妹、角田三枝子被告(62)。 一連の事件の関係者の中でも、〝ファミリー〟を率いた首謀者とされる元被告のそばに約40年間、寄り添い続けた「事件のキーマン」とも言える人物だ。 風俗で稼いだ約3億円もの金を「疑似家族」の家計に回し、お腹を痛めて産んだ息子まで差し出す…。 これまでの公判で明らかになったのは、ときに元被告への「殺意」を胸に秘めながらも、想像を絶する忠誠ぶりを示してきた悲惨で壮絶な人生だった。 (佐藤祐介) 決定づけられた主従関係 2人の出会いは、幼少期のころまでさかのぼる。 昨年11月21日に開かれた元被告の次男、優太郎受刑者(28)=殺人罪などで懲役17年の判決確定=の公判に証人出廷した際の三枝子被告の証言などによると、三枝子被告の家族が、元被告の母親の家を間借りしたことが2人の特殊な関係の始まりだった。 「物事は白か黒、好きか嫌いか、イエスかノーか」。 若い頃から口癖のように話し、中途半端なことを極端に嫌ってきた元被告。 三枝子被告は18歳から共同生活を始めたがなじめず、約1年後、両親のもとに戻った。 その後、元被告から両親とともにののしられ続けた。 元被告の激しい怒りをおさめるには、共同生活に戻るしかなかった。 これを機に2人の主従関係が決定づけられた。 それから人生の歯車が大きく狂い始める。

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神戸新聞NEXT|連載・特集|尼崎連続変死事件公判|尼崎連続変死 角田三枝子被告ら3人、神戸地裁で裁判員裁判

角田三枝子

スポンサーリンク• | スポンサーリンク 角田美代子• 1998〜2011年にかけて発生したいわゆる尼崎事件の主犯。 『借金取り立て業兼家族解体業』を自称して、義理の妹等からなる『ファミリー』を形成し、巧みな話術と金、激しい暴力を使い分けていくつもの家族を破滅に追いやった。 兵庫県尼崎市を中心に発生した連続殺人・行方不明事件で、少なくとも8人が死亡しており、更に3〜10人の変死者・失踪者がいるといわれる。 2012年12月12日に留置場で死亡。 享年64。 <概要> 角田美代子は1948年に兵庫県尼崎市に生まれた。 父親はいわゆる手配師で、母親は元芸者だった。 両親は小学生の時に離婚し、角田は父方に引き取られた。 その後、双方の親戚や知り合いの家を転々とした。 ただし、父親の稼業は羽振りが良く、金に困るようなことはなかったという。 若い頃から素行不良で、暴力や売春などでたびたび警察に捕まっていた。 高校を中退後、二度の結婚をするが失敗。 その後も鄭頼太郎を内縁の夫として従えるが、籍を入れることはなかった。 やがて、角田は幼なじみでもある義理の妹(母親の同僚の娘だったが、養子縁組で姉妹となった)角田三枝子らと共に管理売春で荒稼ぎするようになった。 なお、この妹は後に鄭頼太郎との間に息子を産んだ。 子供は角田の実子として『献上』され、戸籍上も角田の息子(角田優太郎)となっている。 鄭頼太郎や角田三枝子、角田優太郎は後の事件でも『ファミリー』として犯行に荷担している。 角田が『家族解体業』を始めたのは1980年代の後半と見られる。 手口としては、まずターゲットに難癖に近い言いがかりを付けることから始める。 暴力団関係者との繋がりを示唆したり、時には激しい暴力を振るったりすることにによって、被害者家族全員を精神的に追い込み、やがて自宅を乗っ取り、財産を全て巻き上げる。 仕事の退職金や資産の売却代金を奪い、自分たちと共同生活をさせた上でパートやバイトの賃金も巻き上げた。 保険金をかけて殺害することもあった。 乗っ取られた家族は角田らによる暴力だけでなく、家族間でも暴力を強いられた。 また、角田は家族間に優劣をつけて贔屓することで憎悪を煽り、お互いに監視し合うように仕向けた。 結果、角田のお気に入りとなり『ファミリー』に入って共犯となる者が出る一方、家族からも激しい暴行を受けて死亡し、遺体を遺棄される者もいた。 逃げ出した者は容赦なく追跡され、捕まった者は死に追いやられた。 主要な事件は以下の通り。 (1)1987年頃、角田の自宅などで女性が暴行を受けて死亡。 遺体は遺棄されて未発見。 2006年に失踪宣告を受けた。 この女性の3人の子供のうち、長女は行方不明、長男は角田三枝子と形式上の結婚をし、2005年に沖縄県で転落死している。 保険金を狙った偽装自殺と見られる。 二男は何度か逃亡を繰り返し、2011年7月頃に暴行の末殺害された。 遺体はコンクリート詰めされ、投棄された。 (2)1998年頃、姉(角田の母方の兄の妻だった)の葬儀について難癖を付けられたことをきっかけに、角田らは女性一家の乗っ取りを実行した。 女性は1999年に死亡、女性の長男の長男も軟禁されていたマンションから飛び降り自殺した。 女性の四男の二男は角田に気に入られ、養子縁組。 以降は角田健太郎を名乗って『ファミリー』の一員となった。 (3)『ファミリー』の一人で『一家の暴力装置』ともいわれた李正則の元義父とその実家の一族がターゲットとなった事件。 李正則は在日韓国人の母親とやくざの父親との間に生まれ、母親の再婚相手から家庭内暴力を受けて育った。 高校球児だったが身を持ち崩して借金漬けになっていたところを角田に拾われた。 忠誠心を角田に買われ、やくざだった角田の叔父と養子縁組、以降は角田に命じられるまま犯行に荷担した。 李の元義父である男性は2001年頃に角田らと共同生活を始め、退職金など財産を奪われた。 2003年3月には男性の母親が死亡しているが、男性も含む息子・孫からの暴行によるものだったとされている。 また、この事件では男性の妹一家も巻き込まれている。 きっかけは角田がこの一家に李の更正を依頼したことだった。 李は粗暴で問題ばかりを起こしたので一家はすぐに彼を帰したが、それに対して角田が難癖をつけ、無理矢理家の中に入り込み、一家を崩壊に追い込んだ。 一家の父親(上述の妹の夫)は地元の名士で人格者でもあったが、そこを角田につけ込まれてしまった。 香川県の自宅は荒らされ、身の危険を感じた父親は妻子を逃がすも連れ戻された。 自身が逃亡すれば家族も解放されると考えた父親が姿を消すと、妻と娘二人、そして父親の兄は尼崎の角田のマンションへと連れて行かれた。 結果、父親の兄は2004年頃に死亡、妻と長女は逃亡するも連れ戻され、妻は2008年3月に死亡した。 長女も同年12月に死亡し、遺体は2003年に死亡した祖母宅の床下に埋められた。 一方、次女・瑠衣は角田に気に入られ、その息子である優太郎と結婚、二児をもうけた。 彼女は後継者として角田の片腕的存在となった。 なお、潜伏を続けた父親は(5)の事件が発覚した後に警察に出頭。 事件解決に大きな役割を果たした。 (4)2008年11月頃、角田の兄の元恋人で『ファミリー』の一員だった安藤みつゑが暴行・監禁により死亡した。 彼女は家政婦的立場として長く角田に仕えていたが、角田の孫を叱ったことから怒りを買ってしまい、暴行されたとみられている。 遺体は(3)の事件で2008年に死亡した女性と同じ場所に埋められた。 (5)関西の大手私鉄に勤めていた男性が、角田からのクレームに対応したことをきっかけにターゲットにされた事件。 男性はクレーム対応をきっかけに角田と親しくなった。 脱サラして喫茶店をやりたいという夢を叶えてみては、という角田の言葉にそそのかされて会社を辞職。 角田らは言葉巧みに男性やその家族に取り入り、自宅である二世帯住宅から連れ出した。 この家は建物こそ男性の名義だったが、土地は妻の母親の名義だった。 角田らと共同生活を送るようになった男性と妻と二人の娘、妻の母親と姉は、例によってお互いを監視し合い、殴り合うようになった。 暴力の矛先は、まず妻の母親に向いた。 2011年9月11日に彼女は死亡し、遺体はコンクリート詰めにされて貸倉庫に放置された。 その後、その矛先は死亡した女性の長女で男性の妻の姉である女性へと変わった。 命の危険を感じた彼女は監視の目をかいくぐり、逃走に成功。 彼女が2011年11月3日に大阪府の交番に駆け込んだことが、一連の事件が発覚するきっかけとなった。 2011年11月4日、角田らは逮捕された。 翌2012年10月、共犯者の自供により(3)や(4)の事件の遺体が見つかった。 この頃から角田は精神的に不安定になっていたらしい。 精神安定剤を服用し、弁護士らに自殺をほのめかしていたという。 2012年12月12日、角田は留置場で自殺した。 主要な共犯の判決については以下の通り。 2015年3月18日、角田優太郎に懲役17年の実刑判決(確定)。 2015年9月16日、角田健太郎、角田三枝子に懲役21年の実刑判決(確定)。 鄭頼太郎も懲役21年の実刑判決を受け、控訴。 2015年11月13日、李正則は無期懲役の判決を受け、控訴。 2016年2月12日、角田瑠衣の懲役23年の実刑判決(確定)。 <リンク> <ノンフィクション> 2014年に出版されたものの文庫化。 加筆あり。 裁判についてもある程度フォローされており、事件について知りたいならとりあえずこれを読めばいいと思う。 この事件は人間関係がとにかく入り組んでいるので、家系図を見つつ読み進めた。 角田がどうやって被害者達を操り、家族を壊していったか、読んでいてかなり気が滅入る本であった。 本書によれば、角田はも参考にしていたのだとか。 発覚当時から類似が指摘されてはいたが……。 ところで本書によると角田はずっと日記を付けていたのだという。 留置場でも書いていたノートの最後のページには「私は警察に殺される」という文字があったとか。 そしてそれ以降のページは破り捨てられていたという。 角田に犯罪の指南をした男性Mについても興味深かったが、本書にほのめかされている、まだ明らかになっていない角田と警察とのつながりにも興味がわく。 事件の後(多分)最初に出た本。 内容的には上のを読めば十分という気はするが、こっちはこっちで読み応えあり。

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日本犯罪史上最凶「尼崎連続変死事件」はヤクザ組織や地元ではどう語られているのか|トレンド、アングラ、ビジネス、カルチャー R

角田三枝子

兵庫県尼崎市の連続変死・行方不明事件で、男女3人への殺人や詐欺などの罪に問われた角田美代子元被告=自殺、当時(64)=の義妹、角田三枝子被告(62)。 一連の事件の関係者の中でも、〝ファミリー〟を率いた首謀者とされる元被告のそばに約40年間、寄り添い続けた「事件のキーマン」とも言える人物だ。 風俗で稼いだ約3億円もの金を「疑似家族」の家計に回し、お腹を痛めて産んだ息子まで差し出す…。 これまでの公判で明らかになったのは、ときに元被告への「殺意」を胸に秘めながらも、想像を絶する忠誠ぶりを示してきた悲惨で壮絶な人生だった。 (佐藤祐介) 決定づけられた主従関係 2人の出会いは、幼少期のころまでさかのぼる。 昨年11月21日に開かれた元被告の次男、優太郎受刑者(28)=殺人罪などで懲役17年の判決確定=の公判に証人出廷した際の三枝子被告の証言などによると、三枝子被告の家族が、元被告の母親の家を間借りしたことが2人の特殊な関係の始まりだった。 「物事は白か黒、好きか嫌いか、イエスかノーか」。 若い頃から口癖のように話し、中途半端なことを極端に嫌ってきた元被告。 三枝子被告は18歳から共同生活を始めたがなじめず、約1年後、両親のもとに戻った。 その後、元被告から両親とともにののしられ続けた。 元被告の激しい怒りをおさめるには、共同生活に戻るしかなかった。 これを機に2人の主従関係が決定づけられた。 それから人生の歯車が大きく狂い始める。

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