あまのじゃく 歌詞きめつのやいば。 童磨 (どうま)とは【ピクシブ百科事典】

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あまのじゃく 歌詞きめつのやいば

18 ID:jkhCcHhu. net 病名からの思案ですが、「逆流性食道炎」との病名を、 口で言わされていますから、 そこで食道とは、食べ物の道ですから、食べていく手段の事で、 納得したはずが、納得できないで、逆流してくると自白になります。 胃が、胃液で、食道を痛めるという事で、家族・兄弟の争いの自白です。 消化液は、自分の身につくものを消化する液です。 なってきた理を、天の理と受け入れて、それを消化すれば良いのに、 胃と食道の門、食道から胃への流れの間にある門を、閉ざすことで、肉体は 逆流を防いでいますが、その仕切りを、門をあけて、げっぷを出すとか、 胃液を噴き上げるとか、胃液は大食天の理で、刃物ですから、人を切る。 言い返すなどで、粘膜の理の関係にある、身内や兄弟を乾いた関係にして、 「逆流性」、流れを逆流させたい性格の、 「食道炎」。 家族、職場、仲間や兄弟への、切れ言葉の病気という業名です。 「逆流させない」とは、「戻すな」という事です。 05 ID:jkhCcHhu. net 症状からの思案 胸が焼ける、むかむかする。 これらは初期症状で、むかむかするのは何時か、 むかむかする相手は誰かで、思案の筋が、見えてきます。 食べて吐きそうになるのか、食べないで胃液が出るのかで、 命令に従いたくないから、食べてすぐ逆流になるのか、 言う甲は聞くとしたが、聞くと思ったら、食べてしばらくして逆流になるのか、 そこで、すぐ反発してい舞えれば、食べないぞという事ですみますが、 聞いてしまって、受け入れてしまっての逆流は、深刻になります。 飲み込む動作で、飲み込みづらい、高音発生がしにくいのは、もう、 慢性化した「逆流」で、自分に嘘をついて、善行している、追従している。 嘘、追従は閻魔大王もお釈迦様もお嫌いです。 つまり、「戻すな」で、面従背腹とするなということです。 面従背腹、表面では服従するように見せかけて、内心では反抗すること。 ここまで進行させると、病状は深刻です。 04 ID:jkhCcHhu. net 医療崩壊をさせるなと、マスコミと政府は煽っています。 イタリアの医療崩壊が世論を動かしています。 「新型コロナの感染者はまずは肺を休めることが大事なので、 呼吸困難が見られるようなら気管挿管をして人工呼吸器を付ける。 例えば1000床ほどの規模の病院なら、100個弱の人工呼吸器はある。 それを超えるほどの重症患者が集まる事態を聞いたことがない。 重症の感染者に人工呼吸器をつけられなければ死んでしまう。 内容が本当だとすると、 北イタリアの一部の医療現場はまさに戦時下のような状態ではないか」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 呼吸器をコビット19は攻撃する。 呼吸器に住み着くウイルスで、 検査によって陰性になっても、陽性に転じることもある。 例えば報道では「機関誌が汚れる環境」を全く語らない。 「密集」「換気」は説くが、空気の汚染は説かない。 空気の汚染が空気の乾燥がコビット19を活性化させる。 ライブハウスの問題も 札幌雪祭りの問題も、 ケベック・ウィンター・カーニバル(カナダ)、ハルビン氷祭り(中国)も、 大量感染の引き金であるが、空気の汚染に触れられない医療は崩壊している。 氷や雪の中にコビット19がいて空中浮揚したか否か、だれも問題にしていない。 25 ID:jkhCcHhu. net 新型ウイルスの蔓延は、科学的な調査や考察に欠落した医療の現場を生んだ。 手洗いと、マスクは病院では医療関係者はちゃんと行っているが、 院内感染をしている。 手洗いでは防御できないウイルスで、現実に発病者が出ると、 保健所は、全面消毒をしている。 医療は、信仰と化して、感染症の専門家は信仰信念を告げているに過ぎない。 高額ベットは空けておいて、要人や高額所得者に便を図っている。 これが、医療崩壊させるな、検査は症状を見てからという策謀の実態で、 死者を出すと保険会社の経済を破綻させるから、高額所得者はまもるのだ。 そうやって特別扱いされる高額所得者をうらやましいと思ってはいけない。 崩壊してしまっている、信仰医療団体には、コビット19対策は、 無力に等しい。 天の将軍は、嘘がお嫌いである。 欲高慢がお嫌いである。 軽症で治して頂けるのが正しい道で、感染は必ず全世界に及ぶ。 「大難は小難、小難は無難に」 これをかなえて下さるのはイエスキリスト様を第一とする。 日蓮上人を第一とする。 71 ID:jkhCcHhu. net 日蓮大聖人は、妙法を信受する功徳について、聖愚問答抄で 「只南無妙法蓮華経とだにも唱へ奉らば滅せぬ罪や有るべき、 来たらぬ福〔さいわい〕や有るべき。 真実なり甚深なり、是を信受すべし」(御書406頁) と教えられています。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ たとひ業病なりとも、法華経の御力たのもし。 阿闍世 あじゃせ 王は法華経をたもちて四十年の命をのべ、 陳臣 ちんしん は十五年の命をのべたり」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ やまいを治して頂くには、鼻式呼吸の読経であり、 南無妙法蓮華経と正しい呼吸法で唱える、息が、やまいを治癒します。 net 日本に法華経を伝えた、空海は、 真言密教により、正しき呼吸法による、読経を教えた。 母音言語の日本語を、 その読経の基礎に据え、病の治癒をお釈迦様に祈願する道を開けた。 お釈迦様は、天の月日であり、世界の救済を常に念じて下さっている。 中山みきは弥勒菩薩であり、 大社高山に天災を与える恐ろしい赤衣の悪魔として、黙示録の霊夢に登場する。 悪魔よりはイエス様やお釈迦様、日蓮様や弘法大師が、お願いはしやすい。 大神神社や熊野古道や、修験道の道が通りやすい。 それにこしたことはない。 科学信仰、医学信仰、その土台を作った伊藤博文。 維新政府。 安倍内閣は維新政府の軽症者として、天の将軍と闘うたいしたものだが、 欲高慢の大社高山をそうじする天の将軍は。 絶対に手をゆるめない。 お筆先に、そう示されている。 03 ID:jkhCcHhu. net 005 一やしきをなじくらしているうちに 神もほとけもあるとをもへよ 006 これをみていかなものでもとくしんせ 善とあくとをわけてみせるで 007 このはなしみな一れつハしやんせよ をなじ心わさらにあるまい 008 をやこでもふう/\のなかもきよたいも みなめへ/\に心ちがうで 009 せかいぢうどこのものとハゆハんでな 心のほこりみにさハりつく 010 みのうちのなやむ事をばしやんして 神にもたれる心しやんせ 身上の思案は、わが身の身上は、「神にもたれる心しあんせ」が基本です。 神にもたれる心というものは、心の埃があって、神にもたれる心になれない。 それは、因縁事情が分からない。 <おふでさき第五号> 001 いまゝでハぎうばとゆうハまゝあれど あとさきしれた事ハあるまい 002 このたびハさきなる事を此よから しらしてをくでみにさハりみよ 因縁事情の中でも、わが身への思いがある。 003 このよふハいかほどハがみをもふても 神のりいふくこれハかなハん 親子兄弟の事情が分からない。 007 このはなしみな一れつハしやんせよ をなじ心わさらにあるまい 008 をやこでもふう/\のなかもきよたいも みなめへ/\に心ちがうで 人は独立した存在で、兄だから姉だからと期待するのは無理である。 親であれ、子であれ、心は違う。 遺伝情報なるものは、血縁で伝わるものではないことを心得ないと間違います。 85 ID:jkhCcHhu. net いつもおやさまがそばにおられる、おやさまのそばに居る私への、 厳しい理の責めがある。 <おふでさき第五号> 011 どのよふなむつかし事とゆうたとて 神のぢうよふはやくみせたい 012 いまゝでハ神のぢうよふしんぢつを しりたるものさらにないので 013 これからハいかなむつかしやまいでも 心したいになをらんでなし 014 しんぢつの心を神がうけとれば いかなぢうよふしてみせるてな 015 こらほどの神のしんぢつこのはなし そばなるものハはやくさとれよ 016 これさいかはやくさとりがついたなら なにゝついてもみなこのどふり 早く悟れとお急き込みである。 演歌王として、おやさまにおそばにいて頂く身として、急ぐしかない。 net でソフトクリームのせの水出し珈琲、、で 近くの神社ググッたら、ちょと大きめぽい御霊神社とイカスリ神社でてきて、イカスリ神社で ほぼ間違わず、おてふり3つ出来て感動した 結果的に久しぶりの大舞台だった。 net 息継ぎ、間違ったから、途中から100メートル走ったハァハァ状態で、おてふりペースが速くならない様にだけ心がけた。 net あと何が驚いたって、昔からある、あの空間。 68 ID:IPZnhxdx. 46 ID:IPZnhxdx. 35 ID:IPZnhxdx. net 間違った、老後2000万円必要問題。 net 【幸福の科学】教祖三男「裕太様」の元奥様、「雲母様」です! 幸福の科学で評判の「美人奥様」で、咲也加も嫉妬メラメラでした。 まあ、色々あって、結婚僅か一年足らずで離婚。 5ch. 2、ハリケーンカトリーヌで大洪水、米国の大ガス田計画が潰された。 3、米国内の被災者は、家を失ったが、建てられないので、アメリカの住宅? 不動産関係の劣化金融商品?、明らかに詐欺に近いローンを組ませて 被災者に家を立てさせたが、生活再建は出来ていなくて、金融は破たんした。 米国の実体経済は、この時破綻していて、市場経済で米国に金を集めたが、中国は、 米国の経済破たんを見据えて、一路一帯で経済支配に乗り出し、 米国は米国第一主義で、大英帝国のグループに日本を巻き込んで、英国はEU離脱。 欧州は米国に見捨てられて、中国を選択したが、 中国発の新型コロナウイルスは、奴隷とAIで世界経済を制覇しようという中国、 天災は、無神論の最高峰、中国共産党を、狙い撃ちし、野望を食い止めた。 141 : 基本。 35 ID:BmYqrMzf. net 「分派活動」とは、天理教会を複数存在させるという意味ですか? 自称基本さん。 「正当な基本」は元々一つで一人で、「大」と名のついた教会系が「異端」です。 「正当な基本」は「天理教真柱派」とも名乗ってきましたが、本流です。 演歌王は堂々天理教ですよ。 天理王の弟子、演歌王です。 それは、先にも伝えてあります。 お釈迦様とイエス様と 日蓮様とギリシャの神と、縄文神や八百万の神の本流です。 正真正銘の天理教です。 親神様が正月晦日と日を切っての、世界大掃除、その送り出しには 「大教会」は無力です。 効能があるのは「人」。 教会ではありません。 一命一人の演歌王です。 人は神というのがイエス様の基本です。 人は仏というのがお釈迦様です。 演歌王は堂々の正当天理教で、なまくらが居残った大教会とは違います。 中山みき・天理王命を神名とする中山みきを親神とする宗旨の天理教です。 もともと、ただ一人の「天理教・中山みき派」。 それが天理教の基本で、 本流として、天理教の基本を名乗っていましたよ。 もう一人の自称基本さん。 あなたはイエス様の弟妹ですか? 天なる父の子であるを言えますか? 弥勒菩薩の中山みきの、慈悲に包まれていますか?直弟子ですか? 弟子なのですよ、あなたも、基本と名乗るなら、おやさまの弟子です。 net オリンピックのマラソン開催に協力した北海道知事は、北海道終息宣言で、 安倍内閣の、先ぶれの役割ですが、 世界の情勢は、コビット19、弱いけれどしぶとく強い、 蒲郡のウイルス撒いてやるの男性は、見事の死でした。 自分を感染させた「社会」への復讐でした。 現在、地球上で米国、中国の覇権争いの当事者は、実は天災で、すでに窮状。 数の威力や軍事力で谷底をままにして高山の栄華という、唐人高山。 エネルギーを抑えてから、神仏は、「口」を押えに出た。 つまり、呼吸器系と食物系です。 哺乳類であるのに「鳥」ですとコウモリさんの手法の、経済進化の頂点の2強。 エネルギー基地、天災に攻撃されて、復旧できない2大強国。 福島の被災者の救援すらできない第3の経済大国日本。 報道管制でだましこんでいるが、天理王命は演歌王に「説」を説かせて、 「知らしたら現れ出るは気の毒や」を、発動した。 これが天理教で、たすけるから、天理教です。 76 ID:mQMuY5cE. net 背乗り民族が基本。 net 情報というのは「5の理」で、情報操作が、5の理への謀反で、 戦争社会をつくる。 AIの利用で情報操作すれば国民は騙せると、無神論の頂点中毒共産党。 孔子様を裏切った、徳のない姿。 それは、大英帝国の流れを組む米国も、清教徒主義という名の、 イエス様の裏切り者。 愛のない姿。 天皇制を象徴天皇に変えて、あら人神から、象徴で統制する日本。 天照大神の「光」を、封じ込める闇政治の姿。 本気で戦う天の将軍のお味方は、演歌王げんざい、ただ一人。 でも、勝利しますよ。 天の将軍が・・・ 天理教は、たすけたいのです。 net 呪詛というのは、天理教の教えです。 イエス様が説かれている、天理教です。 地獄というのは、天理教の教えです。 お釈迦様が説かれている天理教です。 今回の新型コロナウイルスは、「手始め」ですから、地獄には至りません。 中国や米国は、ウイルス感染者を、人と扱うからです。 そうしないと感染拡大を防止できないからです。 net 米国は、中国での新型ウイルスを抑え込んだ発表の嘘を見破っている。 中国でコロナウイルスが発生し、世界に広まった事実は、明らかで、 この新型ウイルスの母国中国の現況は、劣悪な環境、野生動物はおろか、 ねずみでもコウモリでも食してしまう、鳥やカラスなど一匹もいない状態の、 れる悪な食生活は、まるで改善されていない。 そういう中国。 これを承知している米国は、中国の一路一帯制作そのものを攻撃します。 ウイルス発生源の中国での隠蔽(いんぺい)を批判する米側に対し、 中国側は「米軍関与説」をぶち上げ、米側は「偽情報キャンペーンだ」 (ポンペオ国務長官)と猛抗議。 さらに中国政府が米主要紙の記者排除を発表し、 「報道の自由」をめぐる対立が新たな火種として浮上し、 貿易戦争や人権問題などで緊張している米中摩擦が激化している。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 悪の大社高山が、みなが欲高慢だから、結局はバラバラになる。 新型ウイルスの対策も、中国発表は信じてはいけない。 ワクチンが実際は大した効き目なくても、もう対策は出来たと嘘ついて、 嘘の結果としてでも、制覇したとみせ、世界の経済交流が活発化しないと、 中国経済はアウトだから、中国共産党は天皇制を敷いている状態で、 大本営発表は、戦禍発表は、まさにプロパガンダである。 net プロパガンダの戦略は、大社高山が使えば、 神仏の軍団の長である天の将軍は、そこにも返しする。 「嘘を言えばうそを言ったものが嘘になる」天理。 中国共産党政府の嘘が、「ウイルス制覇」の嘘が、嘘になるということだ。 つまり新型ウイルスは、次なる新型ウイルスか新型感染か、中国を襲う。 net 「武漢ウイルス」。 対中強硬派のポンペオ氏は5日以降、湖北省武漢で発生した新型コロナウイルスを こう呼び、中国が発生源だと繰り返した。 オブライエン米大統領補佐官(国家安全保障担当)も11日の講演で、 「中国の隠蔽で国際社会の対応が2カ月遅れた」と対中批判を展開した。 これに反撃したのが、中国外務省のスポークスマン、趙立堅副報道局長だ。 ツイッターで根拠を示さずに 「武漢にウイルスを持ち込んだのは米軍かもしれない」と書き込んだ。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 中国国民をだますために、「武漢にウイルスを持ち込んだのは米軍」と公表。 なかなかの戦略で、表現の自由に制限ある中国では、国民は反論できない。 あまりに米国に都合よすぎる「武漢ウイルス」。 中国にはそう見えた。 米国にすればトランプに不利益をもたらした「武漢ウイルス」である。 米国農業の農産物を中国に大量輸出することは、トランプの野望だった。 そして大統領選に利用目的で、トランプの支持層に力を与えたかったわけだが、 きちんと潰された。 初期の中国報道を信じてトランプは脅威を軽視し、対策の手ぬるさを生んだ。 トランプは中国と闘う姿勢そのもので、指示層を固めるつもりで、 中国の不衛生そのものを本気で攻撃する。 米国の農業は、灌漑農業などで土地は疲弊し、女性ホルモン牛肉で、 これも危険農業だから、現状は新型コロナウイルスを発生させていないが、 米国そのものこそ、谷底支配を徹底した帝国主義であり、 米国は正しいを、大ウソを言い続けると、 特にイエス様は、天の将軍と共に、 人の長兄として断固とした審判を天なる父に求めるだろう。 net 上司送迎前、時間まちナウ。 昨日は御霊神社で おてふり3つやって、あと近くの北御堂で彼岸の?声明?聞いて、ミニ資料館もいった 通い末端在家用木15年やけど演歌王さんって何が凄いって、天理の内でも外でも救われる。 net 某食料品売場なう、、、他の宗教でもいると思うが、代理店じゃなの人じゃなく直でもいける 人、昔、新聞の訃報欄みて無神論者って書いてて、えっ?!本人そうでも、バリバリ神性、仏性おびてるやん。 67 ID:e4yhQrHb. net 別れて、ラ・ムー野外駐車場なう、、、で時代世代 暴力沙汰に代表の戦時影響人、本人子孫でのグラデーション差異 教団内に集う人の基質?性格?考え方の傾向も違うし。 世間や内の職場と同じ写し鏡。 net の噺や、俺の故理の親の人が元ヤクザだったのも後から聞かされ、えっ?!ツケ指で、大阪のステレオタイプしか知らなかったから普通に温和な人で驚き、東京は違うなと土地柄、世代 先入観。 net 兄の為お授け貰ってる両親がお婆ちゃんの血やなと俺に言ったが。 座りづとめのやり方も、もう忘れてる、まあ真宗の役員?やってたり、出世してる親戚の手前言えない、兄が酷くなたら 俺が尻たたくスタンス。 net 何かしたたんや、と恩着せがましいのは1番ダメと演歌王さんがいってた?だから男ほんかい とか、カイショなしのカイショとか、秀吉は 東証一部に勤めたいとか大志?野望?上昇志向 強い人は天理勧めたらダメなの判る。 net 職場にも天理の人多いが、職場に実際、俺が天理入ったの知った時、。 net でも個人的には昔からの演歌王さんの書込みの影響で幹部の人?御本部?大教会?もだいぶ昔 より改革され良くなったかと?オンブズマンや 2ちゃんの内部告発と同じで、疲れた、終り。 明日から先週に続き仕事3回泊り。 キツイなあ 終り。 そのために天理大学に入学したのであって、教団組織人にはなっていない。 net 天理教の教理研究が自分のしたいことで、天理大学に行かなければ、 基礎的な資料など目に触れない訳で、天理大学の入学目的は統一教会との闘いと、 教理研究。 天理教学生会の委員長に立候補したわけで、その時、後の人生を全てお供えした。 入学前に18歳に「大望の道」を、 天理大学に入学して「月日ありて」を主題歌と制作。 また、 天理教の演歌「甘露台一条の道」を制作。 後に百年蔡でカセット化、公開。 天理教の演歌をつくるという使命感は天理文化創造という二代真柱のご命に従い。 文化の創造は、簡単なものではないが、親神様のご守護があれば簡単である。 陽気遊山に、向かうなら、天理教の演歌もあった良いだろう。 そんなところです。 net 神様の、身の知らせの教理は、 柳井徳次郎著「たすけの台」などで、基本を確認し、 先ず「指の痛みの知らせ」を、いちいち思案して、確認して、身にて体験した。 諭し悟りは、15才には開始していたから、諭しながら、指の知らせで悟り、 それをお諭ししで、研究した。 おさしづ研究の身上さとし研究の本 深谷忠政著 で、「左善右悪」を知る。 病理とおさしづの関連の基礎知識は大学に行く前に、得ていた。 おふでさきの研究は大学に入学してからで、雑誌道の友のバックナンバーが、 並んでいた婦人会用の部屋で、上田嘉成の文章で、研究を開始した。 すると教祖伝の史実が明確でないとお筆先の研究に不自由するので、 資料集成部の書籍で、研究をし、教祖の逸話を集めて、研究した。 統一教会との闘いとは、天理教の幹部の子弟との闘いという様相になる。 統一教会に影響されて学習会に参加した教会本部の幹部子弟は、 教祖を人間だと思っていた。 せいぜい超能力者程度に思っていた。 宇宙の真理を月日の教えと見立てて、統一教会であれ、大本教であれ、 教祖は教祖、そんな中で一番すぐれているのは誰かという程度のレベルだ。 愛町の関根豊松を、教祖と同程度と、そんな輩ばかりで、味噌くそ一緒が。 これじゃ天理王命は、基本を必要とするわけだが、悔しいことに基本は、 大望を抱いてはいたが、まだ谷底を通っていなかった。 情けないに尽きる。 net 現在メディアで起きていること、西郷隆盛と西南戦争。 Youtubeで「小野光太郎」を検索してみてください。 net 演歌王さん教団を否定しつづけるのは 、 おやさまへの信頼です。 教団なんて、一人の効能者の登場でがらりと変わります。 もちろん基本はそういう効能者ではありません。 基本の相手は、世界です。 世界と戦う天の将軍の軍人で、言葉一つが用木の力です。 言葉の軍人です。 net あと、数カ月前?に布教所で飯田照明ちゅう人の本くれた。 net 地場は、苗代です 例えれば幼稚園、小学校です。 戦士は、つまり地場の者には、戦闘そのものが無理です。 効能は、教育効果はありますが、戦闘には無能力ですね。 イエスの呪詛は、戦闘です。 宮清めの行為は戦闘そのものですね。 十字架での拷問刑は、戦士への刑罰です。 砂漠でのサタンとの対決の「悪魔よ去れ」なんて、効能というより、命令です。 大工は普請しますが、建てる前の破壊は、大工の芸ではない。 呪詛とは言葉一つの力です。 ぢばが世界の中心だとしても、戦闘の中心ではない。 たすけの中心ですからね。 呪詛は、基本の仕事であり、呪詛を歌えば、演歌王です。 net 飯田照明(天理教布教公認に向けて1964年に8ヶ月間コンゴ滞在、 元天理図書館長、元天理大学教授)と、情報がありますね。 清水国男表統領が、基本に何が希望か叶えてやろうと、 それで、天理大学宗教学科の教授一同と基本は教理討論会をお願いした。 その時、高野先生やと一緒に壇上にいましたね、飯田先生。 まじめな良い方です。 net 批判や、、解りました、、、自分もコアラであり障害者であり、弱者実感だから、、。 しかも中国から起きている。 この国から出された数字は信用するとだいたい違いますから。 だから僕は信用しないのが正しいと思っています。 いま、コロナが収束したとか言って、(習近平(シーチンピン)・中国) 国家主席がわーわーしゃべっておられるみたいだが、 なんとなく「本当かよ」と私は見ます。 収束しているんだったら、素直にいろんなものが どんどん輸出されてこなくちゃおかしい。 日本はアメリカより先に収束できるんじゃないかと思っている。 きちっとした対応ができる国だし、医療崩壊のような状況がない。 (19日、参院財政金融委員会) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ コロナとの戦争は谷底さえままにしなければ、神仏は困る人をつくらない。 中国と米国は、連邦国家という、一国多制度の悪事の是正迄、太陽神と闘う。 そして負けます。 日本はビジネスチャンスですが、 唐人支配に従うと、コロナではなく水の災害にやられます。 ご用心です。 net 大阪府、兵庫県双方のトップが1 9日夕、20日からの3連休期間中、 互いに不要不急の往来を控えるよう呼び掛けた。 突然の新たな「自粛要請」に各地で戸惑いの声が上がった。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 大阪には、カジノをつくるという事情がある。 行動制限がコロナ対策に効果があるとは、迷信的宗教である。 詐欺のような状態を改善するには、 天災はそのためなお厳しくなるだろう。 net 思案して思案する、それがたりない、教義さえ 思案して疑えと、で自分意思で行動は、弱気農民で神仏にすがるでなく神仏になる!相手を補う助ける、農民一揆、武装蜂起にもならずと被害者批判ばかり、親様は高山の 内蔵、無意識 加害者批判。 net 思案して思案する、それがたりない、教義さえ 思案して疑えと、で自分意思で行動は、弱気農民で神仏にすがるでなく神仏になる!相手を補う助ける、農民一揆、武装蜂起にもならずと被害者批判ばかり、親様は高山の 内蔵、無意識 加害者批判。 31 ID:Zkr0tZn8. net 高山とは、お兄さんお姉さんで、一番下の弟とは妹とは年が離れていて、 「人は神である」などはとうの昔に目覚めています。 自分たちを「かみ」「上」と呼んでいるくらいです。 神であり続けるために、科学情報・医学情報・天文学情報を集めて、 天皇には最強の軍隊を、兵器を用意して、 「かみ」=最高の人間たちの組織 でした。 それは、先に生れたものの特権であり、弟はお兄さんのお陰を受けた。 妹はお姉さんのお陰を受けたという、側面もあり、 良いお兄さん良いお姉さんもいたわけですが、人間には埃がついて、 「欲しい、惜しい、憎い、可愛い、恨み、腹立ち、翌、高慢」と「嘘」「追従」 良いお兄さんは少なくなって悪いお兄さんが増えます。 特権階級は、高山になり、高山は超高山になります。 反対に、谷底も超谷底まで、だんだんが構造となります。 現在のGの国は、「G7][G20」はゴッドのGを名乗っています。 先進国・・先に生れた国家です。 後進国・・後から生まれた国家です。 土地も資源も、先に生れたものが頂きますでした。 イギリスに一等地は、英国女王の資産です。 アラブの油田は、アラブの石油王の資産です。 日本でも、鉱山などを独占している資産家がいます。 土地も資源も、先に先住した高山が抑えてしまって、谷底は、 その先住の高山にお金を払って、使わせていただくという、格差。 格の違いです。 41 ID:Zkr0tZn8. net 人類間の格差は、誕生日の早いおそいですから、 早熟の民族と国家は、先に生れた国家ですから、先進国。 縄文文化は、旧石器時代が気候変動で氷河期から温暖化されて、 生物を支配していたマンモスなどの巨大哺乳類の絶滅での危険生物の不在。 針葉樹世界から「栗」の繁殖による植生の違いが生んだ食糧事情にある。 口伝の元の理では「柿」と「栗」が、神から与えられた最初の食料とされる。 縄文人は集落を栗の木で囲んで、食料栽培をしている。 狩猟と採集の文化に、栽培という文化が芽生えて、食糧確保のための、 天文学が発達した縄文人。 世界で最も早い文明であり、 航海術にたけた彼らがメソポタミアに灌漑農業をもたらしたと、基本的に説く。 研究ではオリエントが農耕の最初とされるが、縄文人は農耕をしていた。 そうみなすのが、天理教の基本である。 最初期の農耕はオリエントの肥沃な三日月地帯において11,000年前、 パプアニューギニアで9,000年前の証拠が発見されている。 これらは、2万年前に最も寒くなった最終氷期の終わり、 1万年前に相当する時期に当たる。 この時期は紀元前5300年頃には メソポタミアにおいて灌漑施設が建設されるようになり、 ウバイド文明と呼ばれるメソポタミア最古の文明が成立した。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 兄魂姉魂の先行文明人は、灌漑農業を開始したという事は、 灌漑設備という土木工事の出来る、権力の存在を意味する。 縄文人が異常気候変動で北九州の安曇郷から移住した長野県安曇野に、 日本最古の灌漑施設がある。 35 ID:Zkr0tZn8. net 中国がコビット19の発生源である事、そこには中国谷底の食糧事情がある事は、 基本が当初から述べていた。 世界中で、最も高山と谷底の格差がひどいのは中国と米国だから、 天災が日の当たらぬ中国谷底に、日が当たるまで、天災での攻撃をやめない。 中国共産党は毛沢東の思想を排除して「人民公社」を否定し、私有財産を、 特権階級にみとめて、都会と田舎の天国と地獄をつくったことで、 神仏はお怒りになって、特に、共産思想に代わる支配のための思想に、 孔子を持ち出したことで、孔子様の天のお怒りは最大となっている。 「天災」。 中国は新型コロナを制覇したと言うが実際は出来ていない。 谷底の中国人に、普通の食料を配給する以外にはコロナは生まれ続ける。 79 ID:Zkr0tZn8. net イラン、イタリアは 中国モデルを導入 中国モデルを積極的に採用するのがイランだ。 2月19日に新型コロナウイルスの初めての患者が確認されたイランだが、 その後も感染拡大が続いた。 そこでイラン政府は、3月3日に「防疫措置を中国に学ぶ」と宣言した。 イランは国家動員計画のもと、 中国の診療モデルをペルシャ語に訳して公開し、 30万の「小組」とよばれる医療グループを組織し、 1000万人を対象に各世帯を巡回し感染の実態調査に乗り出した。 その結果21万人に発熱、頭痛などの症状が見られ、 うち3万人が重症であることがわかった。 治療対策については、テレビ会議を通して中国の医療経験を学んでいる。 22 ID:Zkr0tZn8. net 行動制限は、コビット19には力を与える。 大阪府、兵庫県双方のトップが19日夕、 互いに不要不急の往来を控えるよう呼び掛けた。 これはコウモリ因縁上、コビット19には力を与える。 往来を控えろとなれば、目立つ昼間には活動できない。 目立たぬ夜間に、行動する。 つまりコウモリである。 こういうことは、神仏お嫌いなので、政治の嘘は、今回は天災も元である。 98 ID:Zkr0tZn8. net 橋本さんが言い訳してた。 大阪知事は厚労省の役人からの情報で、動いたという事だった。 47 ID:Zkr0tZn8. net ウイルス99%除去の空気清浄機がある。 シャープ、ダイキン、など。 ウイルス殺菌の空気清浄機がある。 ナショナル。 これを学校の各教室において24時間稼働することで、学校は安全地帯になる。 80 ID:Zkr0tZn8. net 四半の空気清浄機は、加湿器も兼ねている場合が多い。 花粉対策で、ウイルス除去の能力もふぃかされた機種が出来た。 密室で、24時間ウイルス除去の空気清浄機を作動させても、電気代はわずかで済む。 コロナウイルスは感想を好むから、適度な過失で、高齢者の部屋をウイルス除去なら、 四半の定価7万前後で、政府が支給するなら、3〜4万で対策できる。 そうすると、それまでのインフルエンザも対策になる。 患者が減ると困るので、医師会は、空気清浄機による除菌を絶対に口にしない。 定価4万だと「浮揚」のウイルス除去であり、 定価7万だと「浮揚」「付着」のウイルス除去である。 安い機械の場合は、テーブルやソファーはアルコールや、除菌シートで拭く。 空中は浮揚だから、空気清浄機に任せる。 一部では、入荷待ちの店舗がある。 音は静かで、この情報が拡散の前に、買いに行けば、 カラオケ喫茶店は対策万全になる。 09 ID:Zkr0tZn8. net シャープ、4畳半で4万以下で、「浮揚」「付着」ウイルス除去が買える。 不安を煽っているのは、政府と医師会で、 なんで病院に空気清浄機が完備されないのか。 バスにも、満員電車にも、先ず、空気清浄機ではないのか。 ウイルスのワクチンつくるなんて、前近代的医学ではなく、 ウイルス除去、掃除、 欲高慢の心の掃除が、お釈迦様のお望みなのだ。 すぐそこにある、空気除菌、 掃除機にだって、除菌機能をつければ、世界中の市場が待っている。 科学を使って人間を守るには、医者ではなく、除菌掃除機である。 28 ID:Zkr0tZn8. net ナショナルでもダイキンでも、他の家電メーカーでも、 こんなビジネスチャンスはない。 世界が絶対に欲しがっているのは、ウイルスの除去、空気の清浄。 コロナウイルスを掃除してしまう空気清浄機であり、 空位清浄機能付きエアコンであり、 これを一気に作り、世界に売り出す。 先駆けて、病院や介護施設に無料で完備してあげたら、お釈迦様は、 不老長寿の甘露を、胎内に降らして下さるだろう。 呪詛します。 54 ID:Zkr0tZn8. net ウイルスのワクチンつくるなんて、 人間の肉体利用するには膨大な感染者が必要。 しかし「掃除」すれば、あしきは払える。 空気そのものをきれいにする。 感染拡大なんて、空気清浄プログラムの前には無力であると、 天の将軍を持ち出すまでもなく、演歌王で、十分にお諭しできる。 まず、売り場にあるうちに買う事だ。 基本的には、シャープが好きだ。 天災で懲らしめられた「頭はシャープ」。 花粉症対策とか、ウイルス除去迄機能を付けて値下げし続けたシャープ。 ナショナルは殺菌をシステムにした新製品で、演歌王の大好きな、買い物に行く 田舎の総菜屋さんは、お店でさりげなく、 ナショナルのウイルス殺菌空気清浄機を、作動させていた。 そういう配慮だから、このお肉の総菜屋さんの唐揚げも串カツも、皆うまい。 65 ID:UisrN06y. 54 ID:mXeBO92f. net 真理教のお話ですか。 基本の知るところを述べます。 サリン事件は、松本であって、地下鉄でした。 松本の時、長野県では民放特番で「オウム」犯人の番組が登場しました。 が、公安は、別人を犯人に仕立てあげ、泳がせて、殺人テロをさせました。 麻原は天理教会本部襲撃を計画していて、不都合があって、失敗ばかりでした。 高山の横暴に踊っていたオウムは、残党を泳がせている公安により、延命です。 全てが明治22年から130年のできごとで、そこまでは天の将軍は表に出ず。 天理教団は何の役割も果たしていません。 net マスクは新型コロナウイルスには無力です。 また一般論で言えば、 新型コロナウイルスの予防に空気清浄機は効果があるのか?という疑問に対して、 結論は、確実な効果はありませんとなります。 新型コロナウイルスは、直径100㎚(ナノメートル)ほどの大きさと言われます。 病院には医療用の空気清浄機が使用されていますが、プラズマクラスターは少数派。 安倍総理は賢いお人だから、大病院の空気清浄機が新型コロナに無能だったと、 無能な医療用メーカーをとばして、 つまり、シャープのプラズマクラスターに期待して、 マスク製造を依頼しました。 と、 新型ウイルスの情報を、堂々とシャープに流せるようにしました。 オウムの時も、国民に真相は告げない。 今回の病院内空気汚染も、国民に真相は教えない。 が、天の将軍は、もう表に出ています。 ごまかし切れぬわけがない。 安倍自民がたおれて。 すりより民主も倒れて、正義の政治が始まれば、 嘘は、皆バレます。 net そこで、空気清浄機ですが、フィルターの目が粗いとウイルス捕捉率が落ちます。 現状のシャープは、搭載されている「HEPAフィルター」の性能は、 0. 97%以上の粒子捕集率です。 新型ウイルスは 100㎚を㎛ですから変換すると、0. 1㎛となります。 これでは、確実に粒子を捕集することができません。 現在、日本のダイキンと米国のブルーエアが、 0. 97%除去が可能。 で、 新型コロナウィルスにも有効な空気清浄機能だといわれます。 しかしウイルスの不活性化ができないと、ろ過して集めて、最悪です。 シャープのブラスター効果に目を付けた安倍総理の一派は、 シャープの事情に通じていますから、株で大儲けできます。 net メーカーが特売をするのは、新製品の準備が整うとします。 今日の近所のケーズデンキ、エイデンでは、 シャーププラズマクラスター2500、など 値下げの 特売でした。 新製品の「新型コロナウイルス対策・空気清浄機」発売前に、 在庫処分に出ています。 つまり新製品、販売日は近い。 でも、部屋を密閉にし、24時間稼働させるなら、目が粗かろうと、 空気さえ循環させれば、空気清浄の役割は果たせます。 着実にコロナウイルスは不活性になっていく。 最新型はもうでますが。。 net シャープのイオン技術は、CMなどでよく聞く「プラズマクラスター」。 自然界にあるのと同じ+とーのイオンを、プラズマ放電により作り出して放出する。 部屋に広がったイオンは、浮遊するウイルスに付着。 分解して、ウイルスを水として空気中に返す。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ダイソーの扇風機には 空気清浄機能付きがあって、 PM 0. 1レベルの微細な粒子を自動で99. 95%除去する。 高い密閉性をもつ360度グラスHEPAフィルターで花粉やウイルス、 バクテリア、PM 2. 5、ニオイも除去。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 報道は、高齢者に、綺麗な空気をと、正常な空気環境を勧めない。 マスクでは、ザルと一緒。 ウイルスな防げない。 きれいな空気を吐き出す空気清浄機や、扇風機で、お年寄りの居間を、 助成金を付けるべきだが、 ワクチンで一儲けの医師会や製薬会社、 株価で一儲けの安倍さんの取り巻き、 天の将軍を、甘くみないことだ。 天災には複合も、進化もある。 net 密室でカラオケに使うには、シャープの2500、今なら3万円で、格安。 18畳ほどでも使える、 旧式でもサウンドブラスター、原理は一緒。 +とーのイオンを、プラズマ放電により作り出して放出する。 部屋に広がったイオンは、浮遊するウイルスに付着。 分解して、ウイルスを水として空気中に返す。 ナショナルのナノイーもイオン発生で空気をきれいにする。 イオン発生に水を使う。 オゾンでウイルスを殺菌するのはマクセルの除菌消臭器「オゾネオ」。 しかし、現時点では、 新型コロナウイルスを入手したり、 実際に効果試験を行なったりできる状況にはなく、 オゾンおよび「オゾネオ」シリーズに関して新型コロナウイルスに対する効果は 立証されていないが、 医療機関などならオゾン殺菌だろうが、カラオケ店ではオゾンは危険だ。 演歌王では空気清浄機能の原理を知り、花粉症対策でもあり、 演歌王トヨタ店、伊那谷店演歌王では、 空気清浄付加湿器を24時間絶対に止めずにきていている。 新型コロナウイルスの対策上、シャープの新製品を含めて、空気清浄機は、 高齢者さんの為に、導入を計画するとして、 加湿は、ウイルスの対策に欠かせない。 乾燥は危険である。 89 ID:BMyZOjLT. 02 ID:7dPKJTTN. 42 ID:aHh3tZZH. net この表現が短的?で凄いかと。 角が立たず天理 的、世界の人や要人に刷り込めたらエントロピー下がり人類や他動物もより長続きかと? でも、どう広めるかが1番難しいか?で この文書って前操作的で因果関係が解りにくい 優しい諭し文。 83 ID:aHh3tZZH. net 武器商人が読んだら『余計なこと言いやがって!、、、に知恵付けさせやがって!商売あがったれやろ! 18 ID:aHh3tZZH. net 各論や詳細語ったら収集つかないが。 概論で言うと数千年の埃が付いた悪いお兄さんお姉さんたちの無意識かつ複雑、知能的遺伝子レベルの加害埃をどう取り。 66 ID:aHh3tZZH. 23 ID:mXeBO92f. 消えてはならない聖火のリレー。 37 ID:aHh3tZZH. net 兎に角、天理は押し付けてきたら多分?『マジメな事を言い腐りやがって』表に出たら否定される様な?高山が暴走した時のブレーキ役だから表にでたら褒められる頼られるが、、暴走初期? 難しいが だと発展のブレーキで商売の邪魔しやがって逆恨みなような。 70 ID:mXeBO92f. net 天の将軍のことに想定が及んでいますか。 天理教団ですが、 天理教教団は「否定される」歴史があって、維新政府に仲良しをしましたが、 維新政府からほめられたりしていません。 演歌王は否定されると、パワーとなります、 笑われたり、そしられたりが、原動力です。 天の将軍は、論戦で勝つことはお嫌いです。 天の将軍は、歴史的事実 月日 で勝ちます。 演歌王は表で天理教を説くことにしますが、みなが認めるようなら偽物です。 演歌王が、否定され、そしたら本物です。 24 ID:aHh3tZZH. net 真宗も法然や親鸞の流罪や、蓮如が吉崎御坊に 行く時や吉崎から大阪本願寺に行く時のターニングポイントは必ず、南都北嶺や興福寺や出の 比叡山に寺潰されての異動と、日蓮と他もあったか?急激に信者増やすから、客取りやがって !と。 皇室の御用達の時も、で最後は徳川。 95 ID:aHh3tZZH. 00 ID:mXeBO92f. net 天理王命は高山のブレーキではありません。 高山の支配する社会を、破戒するのが天の将軍です。 天災は、その武器です。 97 ID:mXeBO92f. net 天理教は、神殿は「仮屋」です。 お筆先3号 大教団でも何でもない、ちっぽけな田舎宗教です。 天の将軍は、人間の故郷として地場を守らせています。 お屋敷とは、中山家の内内の屋敷です。 58 ID:mXeBO92f. net 教理研究 原典に示された「甘露」について 引用します。 おやさまは、「あると言えばある、無いと言えば無い。 あると信じて願うまことに見えてくる利益が神の姿や」との意、語ったと伝えられている。 つまり、「利益」「りやく」が神なのである。 これを、「天理教団」では、「天理教はご利益信仰ではない」と、全く逆を信者に教えている。 山名系教理・教学の神不在の自白ともいうべき「天理教団」の態度、ごりやく信心の否定こそ、大きな理の間違いです。 ご利益を否定するということは、つまり「神の存在の否定」そのものになる事、天理の基本に照らせば明らかです。 天理教信者に対して「天理教団」が手続きして、神がお渡しくださるおさづけ、まさに「ご利益」のためのものであり、別席制度そのものが、ご利益信心の道そのもの。 ご利益信心こそ、「王道」であること。 それは、おやさまが語った「見えてくる利益が神の姿や」「見えてくる利益がが神や」そのものである。 「甘露」とは、ご利益のご利益たるもの。 それが神からのさづけものだから、 「甘露台」をご神体として、拝している事を、深く研究しよう。 その為に、スレを立てる。 11 ID:mXeBO92f. net 教理研究 原典に示された「甘露」について 引用します。 天理教団は、天理教会一つ始まりの当初において、大きな理の間違いをしました。 現在の組織においての大教会というものは、 教会・講の開始は初代講元の三日・三年千日の事を理では三日と言うのですが、 三日の苦労で出来たものでした。 それは、十二下りの三下り目に、到達さえしていない、 おやさまを「元の神・実の神」と一瞬は感じたかもしれませんが、 後は闇夜のような、あざない道でした。 三ッ 皆世界が寄り合うて 出来立ち来るがこれ不思議 という姿を、扉開いた直後には、見せて頂けた。 感じていた。 しかし、三から四へと進行するにおいて、 四ッ よう/\ここ迄付いて来た 実のたすけはこれからや と、口で唱えて踊りながらも、 「四つ世の中、四つよんなか、四つ世直り」に進もうとするより、 教会大切という、宗教大切と言う、宗教高山因縁の道にはまり混みました。 81 ID:mXeBO92f. net 引用続けます。 甘露については、以下のような資料があります。 天理教祖中山みきの口伝等紹介。 yahoo. 甘露で育てる』と仰せになり、 又『十八歳迄は人並に成人するが、十八歳から先は、 なんぼ年をとっても、いつも十八の姿や』と仰せになった。 それから御帰幽になった時『満三十年経ったら産れて来る』との御言葉があった。 明治十四年三月、兄秀司殿の御死去の際には、 『小寒は先へ死んだが、今度の世ではやっぱり妹として生れさす』 との御言葉であった。 増野鼓雪先生が、厳密な理としての表現よりも、文学的な表現であると言うことに留意しても、 十八の姿でずっといられると言うのが、 理としての甘露の持つ意味をきちんと示しています。 「乳や乳母で育てるのではない」という言葉ですが、 これは、「生母の乳」や「乳母の乳」で育てるのではないと、理解されます。 「いわゆる母乳」で育てるのではないと言う事です。 当然のことで、十八になっても十八の姿のままであるとするならば、 その女性は授乳と言う行為そのものとどういう関係になるのか。 そこで、「甘露」という言葉の意味が、良く見えてきます。 実に、甘い、露の事です。 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 甘露の予言は現実としての甘露体の予言です。 13 ID:mXeBO92f. net 引用続けます 神の与えと言うものは、人間の都合に合致した「甘い露」である。 それが基本です。 「十八の姿でおいてやるかわりに、こういう労苦を背負いなさい」では、 十八の精神でいられないし、労苦と言うものが、老いを生みます。 つまり、おやさまの教えはもともと、 人間に「甘い露」を与えたいと言う前提で、「たすけたい」である。 それが、深く実感されないと、 甘露の神意は見えてこないと言うことになります。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 法華経を説かれたお釈迦様の御心ですね。 どんなことしても御仏の心の悟れない者。 基本みたいなものですね。 そういう者に甘露を与えたい。 頂きたい。 頂きたいではありませんか。 63 ID:mXeBO92f. net 引用続けます。 お筆先三号には、このような理が知らされてあります。 それは、賑わしい暮らしそのものの、アイテムと見てよいでしょう。 衣服も家も、自動車も、幸福な生活のアイテムは、 おいはぎや、泥棒から見たら、手に入れたいもの。 自分が幸福になるためには、賑わしさ、つまり繁栄こそ必要なわけで、 「物質文明」と呼ばれるその物質は、実は、欲しい人には貰ってもらえるもの。 差し上げられるものなのです。 でも、 このよふは にぎわしくらしいるけれど もとを知りたるものハないので 三号92 と、教えられた、理の世界がそこにあると言うこと、 それが、「甘露」について知るためには、一番に大切なことでしょう。 「元を知り足るものは無い」ので、・・ 立教も、甘露もすべては、それが原因なのです。 元を知るとは知り足るとは、神仏の加護と慈悲と親を知る、満たされる。 人は永遠の生命で、成長をし、神となり、神としても成長する。 甘露の門は開いている。 ありがたい限りです。 78 ID:mXeBO92f. net このよふは にぎわしくらしいるけれど もとを知りたるものハないので 三号92 このもとをくハしくきいたことならば やまいのおこる事は ないのに 三号93 甘露が、寿命薬とか、食事なしで済むとか、色々に言われます。 病まない、死なない、弱らない。 そのシンボルが、「甘露」です。 賑わしい暮らしをしていても、病は起きる。 この元を知ったら、病は、起きない。 こういう風に、読めてしまう、お筆先でした。 新型コロナウイルスも進化してきたのです。 ウイルスの分際で、やがて人間になろうと、進化してきたのです。 生物である彼らは、プラスイオンとマイナスイオンで分解されて、 元の水に帰ります。 今度生れてきたら役に立つ生物になってと、祈るしかありません。 54 ID:mXeBO92f. net 基本の父親の修養科の担任は、 肺結核の病人のおたすけにおいて、その結核患者さんに、 湯のみに、端を吐かせて、 「こんなものが怖くて、天理教してられるか」と、その痰を。 病人さんの眼前で、一気に飲んだ。 と、父親は、「基本よ。 それが天理教なのだ」と教えました。 「その先生は、 お水でも、出された瞬間に、こんな埃の心でだしたもの飲めるか!と、 埃の心のヒトの物は、絶対受け取らなかった、基本よ。 それが天理教なのだ」 と教えました。 そんな布教師に指導を受けてもまるで分っていない父親でした。 けれど毎月26日には教会に行って「26会」だと、小さくやってました。 何回も何回も聞かされました。 「基本よ。 net 大して怖くもない新型コロナウイルスは、 医療格差を、病人差別を表面化させましたが、おやさまはお優しいから、 神にもたれましょう。 高額医療を受けられることより、病の根を切って頂くことです。 おやさまは、「赤子を育てるのに、甘露で」と、小寒様の事で教えられています。 成長しつつあるものに渡すものとしての「甘露」があるということです。 そこを見落とすと、理の誤解が生じると思います。 未熟者にこそ、甘露は頂けます。 おやさまもイエス様もお優しいのです。 net ああ!?今気付きました。 人間の特性上みなが認める事はないですよ。 203高地で泣く人は多いが大逆事件で泣く人は少ない。 芸能芸術の主力『戦記物』って高山肯定じゃないですか? アニメ、歌含め。 今回はそれを攻めてる? 芸能芸術が河原乞食の昔に比べ高山?身体性も 高いしマスコミ影響力あるし。 net 学者は、医学者は、ウイルスに感染すると抗体が出来て、 ワクチンが出来るという、過去の経験知で、見てきたような嘘を言います、 天罰とすると、抗体は一定には出来ません。 それだけの事です。 net 痘瘡 1796年にイギリスの E. ジェンナーが初めてヒトに 牛痘ウイルスを接種して免疫をつくることに成功しています。 疱瘡とは、天然痘 てんねんとう。 また、種痘(のあと)。 のことです。 お筆先にほうそせぬようにとあります。 「天然痘をしないように」、「種痘の後のないように」の意味です。 net 人間そのものが軽症で抗体をつくるなら、「種痘の後のないように」で、 人体が「甘露体」なら、種痘の行為は無用になります。 医学的に痕跡の残る種痘で「天然痘が無い」は出来ていますが、甘露体ではない。 人間は「病まず」ではない。 この違いです。 net オリンピックでいや水泳の人、バトミントンの 人、火が消えたも素人でも神仏のなんとやらと 言い始め、、、戦争中、終戦や地震、台風の後傷に芸能はソウル・フラワーモノノケサミットや美空ひばり的大きな役目。 39 ID:mXeBO92f. net しんぢつに心すましたそのゆへわ たすけるもよふはやくをしへる 13-113 このたすけどふゆう事であるならば ほふそせんよのまむりつとめを 13-114 またたすけやますしなずによハらんの しよこまむりをはやくやりたい 13-115 体内には、胎内には、病まず死なずに弱らんに、設定が元々ある。 神の子ですもの。 遺伝情報にて、病まずの対策、弱らずの対応、皆整っている。 それを精神一つで、利用できる。 お釈迦様は、呼吸法で、脳の念を肉体各部に伝導させるを教えた。 ところが信仰組織は「人間は死ぬんです」と説いちゃった。 こりゃ無理だ。 天理教団も、山名系は、病助けなんてと、理を馬鹿にし、 人間の成長のための甘露を、完成したら甘露台とか出鱈目で、天の理を潰した。 まあそんなものだ。 00 ID:aHh3tZZH. net いつも笑われそしられては、凄いかと。 恨み買わない極上の前操作、前々操作かと、、、道徳的倫理的に見える任意の説教に比べ格段?と言うか言わない方がまし、余計に離れていったり 、最近の若い子なら余計に、言葉、諭しって 難しいと思う。 33 ID:aHh3tZZH. net 個人的にわ結婚もず歌芸能に金時間散財過去、ラジオも、で2ちゃんも、やっと離れりた。 、演歌王さんみたいに書込にカッコシタ物、目的当然なく、普通に2ちゃんだから憂さ晴らし埃 、に繋がる。 こんな書込みしてる暇あったら 今日も神社おてふりの時間潰しがベターだが ここが唯一スレの因縁か?演歌王さんの文が 気になるのは?終ります。 96 ID:wkq1AxS9. 47 ID:ETSL6Egd. net おいちゃんクツ磨かしてよ?! net 八島さんは基本には師匠ではありません。 インチキな教理研究家が八島英雄氏で、基本の批判対象です。 神名の問題 天理教八島派の異説 批判 1 :基本。 それは、「泥海こふき」に由来する教説である。 それに対して、天理王命の神名は、初代真柱の創作であると説く、異説がある。 それは、八島系の天理教である。 また、八島系は、天理教の神名は、「古事記・日本書紀」からの、借用・盗用かのごとき異説を、とく。 それは、誤りであるという、基本の立場を、堅持して、彼らを批判する、スレを立てる。 天理教祖の、原典に示された神名の問題を、正しく理解しよう。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 八島は全共闘過激派と交友関係があり、東京教区の青年会員 会長や後継者 を、 共産革命運動に巻き込んでいた。 そういうインチキ宗教家です。 net 当時天理市には「天研」という共産思想集団がいて、論争したことがあります。 天理大学に全共闘があり、論破して、本来の天理教に戻しました。 関東では東の八島、簡裁では西の村上、理論家の双璧でしたが、基本とは年齢差があって 論争の機会はありませんでした。 西の村上 記憶で語っていますので誤りあったらお許しください さんは青年会委員長で、 この方の兄弟は天理教学生会の委員長で、統一教会に勧誘されて、学生会常任委員を、 統一教会の集会に参加させていた方です。 八島英雄さんのきゅさん活動の同志の方とは何名かお会いしました。 天理教中央大教会会長は八島英雄さんのシンパで、 教会本部から、どうすると問え荒れて 八島を捨てました。 その部下教会から、八島に流れた方もいて、お目にかかりお話を聞きました。 net 八島問題の件で引用続けます。 4 :基本。 神を拝むなら大社の神を拝め。 」と、厳命をした、奈良中教院とは、明治政府の思想統制のために設立された機関です。 中教院の制度は、明治初期の太政官制度のもと、宗教統制による国民教化の目的で設置された中央官庁組織の、「教部省(きょうぶしょう)」をルーツとしています。 『国民教化を実現する為に教導職制度を設け、三条教則による国民教化・大教宣布運動を行った。 教導職は半官半民の任命制であり、 神官・神職、僧侶などの宗教家を始め、落語家や歌人、俳人なども教導職に任命された。 』 『国民教化をより具体的に行う為、教導職の全国統括機関である大教院、各県レベルの統括を行なう中教院が設置され、全国に小教院が置かれた。 』 と、このような内容です。 まさに、思想統制の道具です。 大教宣布運動とは、天皇は神だという「大教」を国民に広めると言う事です。 中山秀司は、積極的に、大教宣布に協力しています。 明治六年十一月にはには、秀司宅で、大教宣布の説教を、聴衆を集めて催しています。 「古事記日本書紀の神名」を用いていたのは、中山秀司さんです。 ところが、中教院の側には、「天理王」と言う神名を用いている現実が、分かってしまった。 それで、弾圧が開始されました。 これが、史実の示す事実です。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ おやさまを親神と認めない八島英雄は、思想家としての中山みきをでっち上げます。 イカサマです。 大勢がたぶらかされました。 八島のシンパは天理大学宗教学科の先生方でもあり山名系の資金援助ありと 基本は見ています。 コウモリ因縁といえば天理教校や単利大学の学者さんたちは本来の天理教と、八島説を、行き来する、悪事です。 女の物まねする大徳寺・天明庵に似せ教祖、ここにも出入りしていました。 中山秀司は政略的に古事記を利用して、これもコウモリ因縁で、 おやさまのお名前、天理王命を取り払い、 八島英雄も、おやさまのお名前、天理王命を取り払い、でした。 それが、基本的な形の始まりです。 天理王命のスタイルです。 それと別に、山中忠七や仲田義三郎が理を取り次ぐスタイルが、あります。 「神」=みき、の教えを、取り次ぐ立場の仲田義三郎が、入信した増井りんに取り次いでいます。 その立場にいた人たちは「扇の伺い」を頂いていたのですが、みな、取り上げられています。 それは、転りん王の神名の人たちのしていたスタイルです。 神名を間違えていると言う事は、ご守護にも、その間違えた心が、表れると言う事です。 優先順位は? 御守護? 神名ではないの? 見ず知らずの人から親切にしてもらっても、感謝の心はあるし、 名前は記号みたいなもんではないの? 普通の天理教徒さんの行間の深さが私には読めません。 仕事に行ってきます。 22 :基本。 この部分は、核心を突いていると思います。 普通の天理教徒 基本 は、その神名を信仰しています。 net 理と言うものは、普通に、記号を用いて現します。 その記号には、記号固有の言語の意味がついています。 ゴールドは、「G」、神は、「G」、「G7」とは、国際社会の「G」の国家と言うような意味に使われます。 巨人は「G」、偉大も「G」、・・ そういうものを、隠喩・メタファーといいます。 それでは、金属の金としての特性はなんでしょうか。 それは「展性」です。 どこまでも、薄く延びる性質の事を、「展性」と言います。 その最も最大のものは、「金」です。 つまり、「引き伸ばし」の理において、「金」は一番と言う事です。 こういったこと、又、腐食しにくい金属であり、それでいて合金が作りやい、こうした特性が、 「金」の特質であり、ご守護の理の姿という事に、周知されています。 『熱、湿気、酸素、その他ほとんどの化学的腐食に対して非常に強い。 そのため、貨幣の材料や装飾品として古くから用いられてきた。 』 金の輝きについては、黄色と赤を反射したものであり、貸物借物の教理では、「黄色」は、大戸辺命様の守護の理です。 「大戸辺」・「おおとのべ」、延べるという意味では、金が最大の物質という事です。 このように、理を示す言葉としての、「記号」は、記号そのものに、認知言語学で言う隠喩・メタファーがありますから、 記号を勝手に付け替えては、「理」の理解は不能になります。 そこで、「天理王」という記号は、地場限り・おやさま限りです。 それが基本です。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 八島英雄は、おやさま人間説を唱えた代表的異端です。 26 :基本。 その時の史実として、教祖が、夫の梶本惣治郎さんに言われた言葉があります。 『あんた去年暮れに、そうなってくれと言うたやないか。 』 『神さん言う通りにしてやったんや』 『何も悔やむ事ないやろ』 と。 去年に、惣治郎さんが言った言葉は、 『お前は庄屋敷の地持ちさんの娘さんや。 わしは鍛冶屋や。 』 『鍛冶屋に嫁に来てお前は損したやろう。 わしも損した。 』 『神さんの娘さん、もったいない。 いんでくれ。 』 です。 「いんでくれ」と、いう音に、正文遺韻は、「帰んでくれ」と、感じを当てて表記しているようですが、 「去んでくれ」が、普通でしょう。 神様のおかげで迷惑した、と言う自白が、『わしも損した。 』 居なくなってくれという、自白が、『いんでくれ。 』 そして、奥さんは、その頃には妊娠していたはずであり、自白のままに、死にました。 自白の教理とは、そのようなひな型に、きちんと残されています。 net 東の八島英雄さんのお母さんは「二代目中川よし」と言われたおたすけ人です。 病助けの方でした。 西の村上さんのお母さんは、 中央大教会初代 盲人の目が明きいざりいの足が立った神殿お助け人 に病たすけられています。 病助けを磨かないで、理論で、神様をでっち上げている。 中央大教会会長も共産活動の八島の支援者で、シンパ。 天理教学生会常任委員に八島英雄さんのお兄さんの教会の方がいて、突然神殿で教服が発火したと その話をお聞きして、八島問題への神のお怒りを悟りました。 当時の記憶です。 net よせばいいのに、表棟梁清水国男さんは八島英雄を除名にします。 「つき来るならばいつまでもいよ」ですから、除名はした側がわるい。 兵神では有力教会長の飛び降り自殺など、祟り 天の返し がでています。 除名された八島は、不満分子とともに櫟本分署跡に拠点を作って、 教祖と官憲の弾圧と抵抗の証として、施設を保存し、そこで神楽つとめの、 物まねをします。 気のどくを絵にかいたような、八島教学です。 一度も論争できなかったのは、神意だったのでしょう。 村上天理教青年会は、現在までも、理論武装で布教するとの方針を 伝え続けていますが、隠れ八島派は、いるでしょうね。 中山みきは神です。 疑うなら、月日が退きます。 天災です。 net G7外相、新型コロナ巡る中国の「偽情報工作」を議論=米長官 中国発のコビット19、新型コロナウイルスは、米中の経済バランスに多大な影響です。 英米日と、他のEUとに分裂しかかっていた西欧ですが、 中国が不衛生な国で、事実としては経済大国でない 北朝鮮型共産主義の国だと、露見した。 そこで、世界経済の再編成が行われます。 つまり、中国叩きです。 引用します。 [ワシントン 25日 ロイター] - ポンペオ米国務長官は25日、主要7カ国(G7)外相テレビ会議で、 新型コロナウイルスを巡る中国の「意図的な偽情報工作」について 議論したと明らかにした上で、 中国で発生した新型コロナの流行に関して引き続き正確な情報が必要と訴えた。 天災の的は、絞り込まれるだろう。 net 2020年の130年前は、1890年です。 ドイツ社会主義労働者党は1890年にドイツ社会民主党と改称され、 マルクス主義者は社会民主主義者とも称するようになった。 暴力革命的な共産主義に対して民主的に議会政治で社会を変えていこうという それが社会民主主義だが、 『社会主義の諸前提と社会民主主義の諸課題』(1899年)を端緒とする。 共産主義者は社会民主主義を名乗ることもあったというが、 レーニンは1917年に出版の『国家と革命』で社会主義は共産主義より下等とした。 中国は毛沢東思想の共産党支配だあったが、人民公社の共同経済では経済は活性化しなくて 個人的な経済活動を認め、私有財産も一部認めるという、 変則的な、共産党一党支配による、疑似社会民主主義を行うようになっていた。 開かれた政治体制かと思ったが、北朝鮮モデルの独裁であり、社会民主主義は、 日本社会党の崩壊のように、机上の空論に落ちいている。 net 自民党は、社会民主主義的であり、ただし皇教を利用している点に、問題がある。 社会民主主義誕生から、130年、2019年。 12月30日 - 中国 アメリカテスラ社の電気自動車 EV が生産・初出荷された。 12月31日 - 中国 湖北省武漢市の華南海鮮卸売市場で 原因不明の肺炎患者が発生していることを、 同市の疾病予防センターが公表した。 88 ID:da5bksW1. net かつ、北一輝の理想世界が現代。 net 八島さんは極左と付き合いあったなら判るんだろうが、えっ! ?なんで、戦時中の皇教えに従う天理より立ち悪いのでは? 極左 暴力革命の知合いがいるって、天理の要職で。 当時、共産?社会主義?って、そんなに知識人に万能 道具に思えた。 net と言いながらも、もし自分も、タラレバで 20年位?前に生まれてたら、で学生でいて?、、ノンポリでいれるか?運良く?悪く? ?仲間た意気投合して、でも、途中で怖くなり 気が弱いからヤクザの組抜け的仕損じて リンチで死んでる様な自分も想像できるが だから、演歌王さんは凄いかと。 net あと本かった時、維新?とか緑の党?何年前の 選挙の時、現都知事がローザルクセンブルクに 見えた、妄想があったから、何十ページか 読んでそのまま、きりないから終る。 因みに三島由紀夫の映画も見てない、見る時間も金も気もない。 37 ID:V3bSxFhu. net 社会民主主義誕生から、130年、2019年。 1889 最初の勤労ファッシ結成 から130年。 2019年。 こんな記事がある。 中国で新型コロナウイルス感染症が初めて現れた時期である。 イタリア ミラノのマリオネグリ薬学研究所のジュゼッペ・レムッツィ所長は 去る19日(現地時間)米国の公営ラジオ放送とのインタビューで 「医師たちは昨年12月、また11月にも特に高齢者を中心に とても深刻で得体の知れない肺炎が発病したことを記憶している」と語った。 また先月21日、イタリア北部で最初の地域感染が確認されて以降、 なぜ当局はきちんと発病を抑制できなかったのかを説明した。 「これは中国から伝染病の発病が知らされる前に、 少なくともロンバルディア(北部の州)では ウイルスが流行していたという点を意味している」として、 存在自体が知らされなかった伝染病と闘うのは不可能であったと説明した。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 中国の武漢発 イタリアのロンバルディア発 イタリアのウイルスは中国のウイルスより凶悪であるという情報もある。 18 ID:V3bSxFhu. net イタリアに侵食した中国人。 引用しよう。 「中国人がいないとイタリアの米作りは成り立たなくなってしまった」と嘆く。 「中国人って1カ所には留まらない」 農業に次いで、大理石の石工、ゴミ処理工場労働者、ソファー・皮革・衣料職人、 バー、レストラン、床屋、中国産品の雑貨商などが中国人に依存するようになり、 中国人はミラノを「イタリアにおける中国人の首都」にして、 ありとあらゆる産業を蚕食していった。 その大部分は浙江省や福建省の出身者で、 多くは非合法でイタリア入りしている。 教育程度は他国からの移民に比較して低く、それゆえイタリア社会に同化し難い。 苦労をものともせず、倹約に努めるという「美徳」を備えてはいるものの、 それ以外に目立つことといえば 博打、脱税、密輸、黒社会との繋がりなど……。 どれもこれも、胸を張って誇れるビジネスではない。 文化程度の低さは、勢い生きるためには手段を選ばないことに繋がる。 ・・同書の著者が、アンナと呼ばれる20歳の美しい中国娘に「夢は?」と尋ねる。 すると彼女はこう答える。 <夢! そんなもの知らないわ。 中国人って1カ所には留まらないものなの。 あっちがよければ、あっちに行くわ。 おカネの儲かり次第ってとこね。 この地に未練なんてないの。 もう14年は暮らしたけど、とどのつまりは行きずりのヒトなのネ……> この印象的なシーンで、同書は終わっている。 21 ID:V3bSxFhu. net 今回の新型ウイルス騒動は、中国人の洋務運動以来の、儒教の否定に起因している。 イタリアのウイルスは感染力が強大で、武漢発より悪質で、 それ故に死亡率が高い。 今、防衛しなければならないのは、イタリア型新型ウイルスだと、日本政府は理解できていない。 00 ID:BRKWKcT9. net 『(中山正信)分家 「あまり(稿本天理教)教祖伝をほじるなよ」 八島(英雄) 「今、内部から発表しなければ取返しがつかなくなります。 外部からあばかれたら どうします。 」 (中略) 分家 「八島が知っている嘘だけではないのだ。 真実を知ったら皆が怒って、我々を中庭に 引き出して殺すだろう。 」 八島 「本部から発表すればそんな事は起こりません。 net おやさまは。 初代真柱と正善真柱を指名してあって、教祖伝は二人が著作している。 分家は、理の間違いをしていて、人脈として教祖伝を語る資格はない。 「分家」とか「ご分家」というのは、おやさまがつけた名ではない。 二代真柱が、史実をきちんと残す作業をして、教会組織上には不都合があって、 八島英雄だけでなく、色々な学者を利用している。 分家 「八島が知っている嘘だけではないのだ。 真実を知ったら皆が怒って、我々を中庭に 引き出して殺すだろう。 」 これは、「我々」分家たちの虚構が暴かれるという事だ。 軍部の脅しでまともな天理教は教団が追放した。 天理教団に残ったのは、 教祖を天理王命と呼ばない、中山みきのお墓を立てた連中で、異端同等である。 八島英雄も分家もみきを神として拝していない。 net 文化の言う「真実を知ったら」であるが、中山みきが天理王命である真実は、 歴代真柱以外、誰も知らなかった。 八島は思想家中山みきを説くことで、共産活動する革命を説く自分を正当化し、 清水国男に教団追放されて、天理教の神名問題で、教理の無知の恥をさらした。 八島はお筆先もお指図も、解説できない。 天理教の素人にすぎない。 革命家崩れで生涯を終えた。 教祖伝の執筆者には芹沢光次朗がいる。 「おやさま」の作者で、資料は芹沢茂の天理大学宗教学科の資料が使われた。 作家の解釈の部分いがいは、たいてい正しいが、厳密には正しくない。 芹沢は 「不思議な女」と定義していて、中山みきを元の理を説いた不思議な女と説く・ イエスキリストに例えて語られていて、キリスト信者の芹沢の立場が色濃い。 net さて、今起きていることだが、首都圏外出自粛である。 首都圏外出禁止もあり得るという。 それでウイルスに勝てる等、科学的根拠はない。 net 神は全てを支配しているというのが、正月三十日の日限のあとに相当する、現在、 神の支配を、きちんと悟れるかどうかが、信心の力量である。 このコロナを大難は小難、小難は無難で通るには、神仏のお気持ちに、 添う事である。 net 演歌王さん、こんばんは!久しぶりに執筆拝見しました!お元気そうで何よりです。 質問と言いますか考え方をお聞かせ願えればと思います。 現在、世の中はコロナの影響で外出出来ず…という感じで、特に私の県は田舎のため、県外への旅行や出張なども「なぜ今?」という風潮があります。 先日26日の本部の月次祭に私の両親は参拝しました。 net 両親からすると毎月本部月次祭へ行っていますので、普段と変わらぬ行動ですが、止めなくて良いのか?行かせて良いのか?との葛藤があります。 結果、感染して周りの方に迷惑をかけてしまうことは、おやさまはどう思われるか?と考えてしまいます。 反面、こんな世の中の状況でも本部に参拝に行く両親をお道の人間として、教祖の弟子としての両親を誇らしく思っています。 しかし、感染した場合の両親、その際の自分の立場、周囲の目、すごく怖いです。 周りの方に迷惑をかける事を含め両親を止めるべきか、またはお道の人間として本部に参拝に行くことを認め送り出すべきか?どのように考えればよろしいでしょうか? 私の家は信者宅で両親は定年年金者、私は会社勤めです。 37 ID:AtGEh62s. net お尋ね頂きまして有難うございます。 先ず基本的なことから一つづつですが、ウイルスの事を「ばい菌」と呼びます。 各国家の医学研究者が公開するばい菌の情報は混乱しましたので、整理します。 天災と高山への基本の投稿で幾度も書いていますが、この菌は経口感染します。 経口感染とは「口」を通しての感染で食べ物に菌がついていたら 食べて感染ありです。 ウイルスの種類は3種類で旧のコウモリ由来型、その悪質変化の武漢型。 ここまでが「チャイナウイルス」とトランプの呼んだタイプです。 そして一瞬ニュースになって今は隠されている最強悪のイタリア型。 以上の3種類は感染力と地視力の順番で 三つ並べられます。 ばい菌の大きさは花粉より小さい。 マスクは何の意味もありません。 では何で医療従事者が治療時用マスクが欲しいというのか、それは「濃度」です。 このばい菌は「濃度が濃い」と感染力が凶悪になるから濃さを薄めたいのです。 このばい菌は生命力が強く3〜5時間後もドアノブで生存すると言われていますから、 感染者が大便でトイレを使用した後にトイレ利用すると、ゾル感染の恐れありです。 鼻やのどにばい菌がついて、繁殖すると匂いや味覚に異常が出ます。 発病です。 38 ID:AtGEh62s. このばい菌は付着感染します。 換気では物に付着しているばい菌は残っています。 大便をするとゾル感染がおきます。 経口感染という事は胃液で死なない。 感染者の大便には大量のばい菌がいて、何時間も便器の中で生きています。 大便をトイレに落とした跳ね返りも空中に拡散したら、ゾル感染です。 上気道にばい菌がつくと養分を打て繁殖します。 だから、トイレで保菌者が大便した後に「臭いな」と感じて、自分もして、 それからマスクしたら、ばい菌が培養されます。 マスクは培養器です。 水洗トイレでは必ず蓋をしましょうで、コンビニでも二しますから、 トイレには便器の仲や周辺はウイルス培養中で、感染ルートの分からない感染は、 ゾル感染とみなすのが合理的です。 net ばい菌は経口感染 食べ物で感染しのど元に住みつく、胃を通過しても死なない。 ばい菌はゾル感染、呼吸で感染し鼻や口の軌道の粘膜に住み着く。 通常の風邪は「葛根湯」が日本の風邪薬の主役です。 かかったかなと思ったら、葛根湯入りの風邪薬は医学の常識です。 普通の風邪だと、市販の風邪薬が「葛根湯入り」だから、咳やくしゃみやで、 初期に葛根湯を服用して、「発熱」させて、栄養を取り寝て、風に対応します。 ところが、ばい菌は初期症状を出さない。 かかったかなと思ったら重症。 こういう点に、危険が潜んでいるわけです。 だからさっさと検査して、症状の出る前に保菌者を調べたいのですが、 その場合、保菌者は隔離が必要で、ベットが足らない。 では症状なしの初期の保菌者が判明して、医学上投薬する薬が無いわけです。 日本の医学制度では、医薬制度では処方が決まっているから、 謎だらけのばい菌。 ばい菌には処方箋が出せない。 net 風邪薬の葛根湯は、発熱させて、体力のあるうちに人間の免疫力を利用して、 抗体を用意するという、漢方の手法です。 これをさっさと使えば、初期の保菌者の発病を葛根湯で人為的に起こさせ、 抗体を人間につくるということも、ありえますが、薬事法があります。 ちゃんと医学的実験をしないと、そんな治療したら、刑事罰です。 net 政府が打ち出している対策は 新型コロナウイルス感染症対策の基本方針 令和2年2月 25 日 新型コロナウイルス感染症対策本部決定 による。 引用しよう。 2.新型コロナウイルス感染症について現時点で把握して いる事実 ・一般的な状況における感染経路は飛沫感染、接触感染 であり、 空気感染は起きていないと考えられる。 閉鎖空間において近距離で多くの人と会話する等の 一定の環境下であれば、 咳やくしゃみ等がなくても 感染を拡大させるリスクがある ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ これが嘘である事は 中国政府が野生動物を食するを禁じた実例で明らかである。 経口感染がある。 東京の屋形船の会食は換気の問題より、飲食物への付着問題である。 閉鎖空間という言葉だが、「トイレ」は 閉鎖空間である。 大阪のライブハウスのトイレはどうなっていたかが重大で重要である。 換気は換気扇でできていたとして、トイレ内付着ウイルスと浮遊ウイルス。 大便からの感染拡大と理解すれば、狭いライブハウスの狭いトイレ。 原因である。 札幌雪祭りの催事場も、トイレはどうだったか。 寒さ厳しいサッポロ、 密閉され遮断されたトイレ空間に中国人感染者の糞尿からの、飛散、浮遊、付着。 3から5時間死なないウイルスの培養のトイレを日本人も利用した。 まず、トイレ利用中こそ、最も用心すべき密閉空間であり、 前の利用者とは接触なしで、感染拡大する。 可能性は、極めて大きい。 82 ID:p8Ear6Km 中国は、嘘ばかりついたが、新型コロナウイルス問題では、とりあえず嘘はやめた。 強権で、なにがなんでも封じ込めようとしているから、嘘はやめた事のなっている。 嘘ついてももうばらばら状態だからである。 米国は、猛威を振るう米国発新型インフルウイルスの情報を、隠蔽している。 それでいて、マスクは必要ないと言う大嘘を、発表している。 大違いである。 net ウイルスといえば、食中毒のノロウイルスで保健所が扱う。 各国政府は令和1年11月には、中国とイタリアの新型コロナウイルの発症を、 当然承知していた。 中国は米国は日本は、日中、米中の首脳会談を予定していて、 経済の為に、感染症対策を怠った。 これが天の将軍、中山みきの高山支配の戦略であって、 大社高山の「欲と高慢」を、自白させた。 「国民の生命より経済」。 と、、有能な政治家ぶりであった。 ところが、この天災は、「イギリスの大英帝国・米国連合軍」「中国の一路一帯」、 そして「EU・その他のGの国」の、権謀術策に対する、天災であり、 天の将軍は谷底支配のやりくちをふさぎにかかった。 ただの風邪ですませば、経済に悪影響の無いものを、 中国はタダの風邪扱いで、お正月を祝おうとしたが、危険は承知だった。 米国も中国発の新感染症扱いとは当初しないでいたが、天は嘘を嫌う。 日本に寄港をした英国女王名のクルーザーにばい菌を用意して、試しに出た。 英国は英国船籍なのに対応せず「大英帝国・米国連合軍」の配下である日本に、 対応させて、 日本は、「経口感染」と知りながら、人体実験を行い、厚労省は 「経口感染」を隠蔽したので、ばい菌は拡散した。 そして現在に至っているが、天の将軍と仲良しであっても、 ばい菌食べて安全とか、汚染の空気を鼻と口に入れて大丈夫とか、 それは、理に反する。 ばい菌を食べさせている現実の改善のためにも、病理は順守すべきであるが、 それには、とりあえずはウイルス分解能力を有する空気清浄機の活用であって、 シャープのウイルス分解の仕組みは優秀であると以前に紹介した。 ダイキンでは99,9%のウイルス除去の風邪を吹き付ける扇風機を売っている。 この答えです。 天の将軍としての天理王のためではなく、 ご両親は人間の故郷としての地場、おやさまの元に行くのです。 おやさまはお喜びです。 感染したらと周囲に迷惑がとご心配のようですが、 ご両親だって、同じ心配をしておられます。 きっと。 でも、26日におやさまにお目にかからないことでの、 残念と比較したらどうでしょう。 神様とのお約束があって、お地場に帰るのは信心です。 ご両親の為に、どうぞ感染しないようにと、おやさまにお願いしましょう。 net イベント自粛を安倍総理が打ち出して、2月滋賀県で 演歌王のカラオケイベントがありました。 会場のヤマハホールさんは、感染対策の徹底を条件に、開催を許可しました。 出演者は殆ど高齢者ばかりで、病気もち、手術の直後の方もいて、 でも、カラオケしているから健康でいられると、そういう方々でした。 脳梗塞の後、ろれつが回らなくなって、カラオケで歌えるまでに1年以上の方もいて などなどなど。 イベントしたら感染する、その危険より、 カラオケ歌わなかったら、体調を崩すという方々。 もちろん宗教は関係なしのイベントです。 距離を置いた椅子の配置、出入り口のノブの毎回の消毒。 マイクの消毒。 手、指の消毒・・。 ヤマハのロマン楽器さんはさすがでした。 net 松本市に感染者が出て、県はイベントの自粛を通達しました。 岡谷市では3月22日に100人規模のカラオケ発表会を予定していて、 中止にしました。 演歌王の弟子が個人で、それでも歌いたい方のために、50人規模のカラオケの会を、 高齢者の福祉施設で開催しました。 ヤマハホールさんの例に習い、身元と健康状態の不明な方は入場拒否、 イスとテーブルは、距離を置いて配置し、 出演者の手と指の消毒、歌唱ごとにマイクの消毒、 窓は閉じないで、空気の入れ替わる空間の確保。 入院から退院したばかりの90代の女性は楽しそうでした。 net 「人間と言うものは楽しみなくばならん」 お言葉です。 お地場帰りがご両親の楽しみであるなら、なくばならないものです。 昨日カラオケを教える日で、松本市波田に行きました。 8人の予定者が、松本市で感染者が出たとのことで、家族から止められるなど、 2名のみの参加でした。 悟りの域にでも達しているのでしょうか。 まるでばい菌に無頓着でした。 オリンピックも楽しみです。 娯楽です。 政治の介入を防いでいますが、経済の介入は、堂々です。 娯楽を谷底にという発想は、経済高山にもあるでしょうが、商売用です。 神仏は、それがお嫌いだと、イエス様の教えです。 97 ID:AtGEh62s. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 嘘はお釈迦様がお嫌いである。 イタリアの農村への中国人農業者の移住は、大規模なもので、 イタリアの、基本が言う処の最強悪のウイルスは、イタリアを培養室に、 なお増加するだろう。 72 ID:AtGEh62s. net 武漢は中国共産党の強力な封鎖で、ウイルスを整髪したという、 習近平発表という嘘のでっちあげの「虚偽モデル」である。 繰り返し反復しよう。 武漢では「経口感染」 食べて感染 と「ゾル感染」 糞便汚染空気で感染 が起きて、 野生動物を食べる習慣があり、 基本がカラオケを教えた中国人女性が 「中国では鳥もネズミも動くものは一匹もいない。 日本には鳥がいる」と驚いたが、 食糧事情が「経口感染」に、下水設備の劣悪などが「糞便感染」に、 この状態は排除できていないから、 感染を抑え込むなど、武漢では不可能である。 武漢の嘘に便乗して、「大都市封鎖」にでたのは、 イタリアも、イギリス、フランスも、劣悪な環境に住む谷底の者を、 上下水完備、高度な医療ありの高山の大都市に入れない方法で、人知では、 大都市を守っていると見えるが、 武漢でそうであるように、イタリアでそうであるように、天理上は逆効果である。 都市封鎖は、今回のばい菌には何の役にも立たない。 正しくは、都市の人間を、検査して陰性なら、地方に移すことである。 80 ID:AtGEh62s. net もともと空気は、東京は汚れている。 東京は人口過密である。 それ以上に問題なのは、風俗業界があって、そこでは濃密感染が存在する。 「経口感染」はキスでも拡散する。 「肛門感染」は風俗なら、あって当たり前である。 繁華街のそうした飲食店の排水は、下水は、ばい菌の培養地となる。 57 ID:AtGEh62s. net 都知事が呼び掛けて、 「外出しません」という事を聞くのは、70%いるとして、 後の3割は、いう事を聞かない。 3割の中の、コウモリ因縁で夜に生き血を吸う商売している、そんな悪人、 5%から15%の人たちは、特に若いものは、ビジネスチャンスととらえる。 ウイルスの保菌者が犯罪者として、逮捕に警官は完全防御服がないといけない。 保健所が、風俗業のトイレ検査に出向くには、危険を覚悟しなければならない。 封鎖された東京は、東京全体を闇で覆っていて、最悪を招きかねない。 東京都がクルーズ船で、都民は、乗客よいう状態は、飛散を予測させる。 96 ID:AtGEh62s. 論文が26日、英科学誌ネイチャーに掲載された。 チームは、2017年以降に中国への密輸で差し押さえられた 「マレーセンザンコウ」約30匹の肺や腸などの試料を分析した。 センザンコウのコロナウイルスと新型ウイルスのゲノム(全遺伝情報)の配列は 85〜92%一致。 ウイルスが細胞に入る時に使うたんぱく質を比べると、 アミノ酸の配列が新型と97%一致するウイルスもあった。 現在人に流行している新型は、 コウモリから別の動物を経て人間に感染したとみられるが、 研究チームはセンザンコウが媒介したかは不明としている。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 動物がウイルスを持っている、 哺乳類からの感染というのは、あり得ることである。 今回のばい菌を持っているのは不思議でも何でもない。 43 ID:AtGEh62s. net 中山みきを馬鹿にした維新政府は、宗教をまやかしや迷信程度に扱った。 「ばちを当ててみよ」と馬鹿にした。 正月三十日と日を切って、神は返しをしている。 まだその天の将軍の権威を認める状態になっていない大社高山は、お釈迦様の 法滅の予言を、思い知ることになる。 66 ID:ljm4wAdL. net 中国人は個人で身体性が高いが日本は戦争も学生運動も熱病気で国全体身体性高かったイメージ。 職能家系じゃなくても親が戦争、軍人世代 なら殴る蹴るが基本で今やっと曾孫世代で消え 去るか?身体性高の良い面悪い面。 41 ID:ljm4wAdL. net 上は戦争からしたは友達、家族、組合、会社内、暴力、非暴力、裁判含め。 闘いって身体性 高い者ドウシしか成立しない様な。 net 語るにはレベル高すぎ知識なさ杉ですが、極左の友人が?とか言ってたけど。 良い点も無いんですか?例えば八島氏が天理のお陰で他の極左よりヤバイ事件は起こさなかったとか。 net 布教所で見てても此の事件って今でも重い深い し差別問題にも繋がるし、よっぽど頭回る時で 確実な箇所しか語れない。 19 ID:ljm4wAdL. 92 ID:ljm4wAdL. net 家系因縁も癌で若く亡くなる家系とかは自覚ある人も多いかと、でも、前世因縁だけは 絶対相容れない人が、だから布教でも、、 特に、事件加害被害者や同和とか。 04 ID:ljm4wAdL. net いさんで、色んな改革をしろ!と諭し?、地震 台風なら、この木切ろうか?や1か?100か?的 だが、東北地震の時、道州制の話題一瞬でたが、あれでもムリ?戦争レベルか?と 刃をグイグイ突きつけてくる様な?とバイオハザード見たいに敵とする者には悪魔だが土下座 ですいません! 86 ID:AtGEh62s. net 天理王は赤衣装の悪魔で、それは聖書の黙示録に記述があります。 皇室も、英国女王も、広大な土地の所有者で、 非課税で、相続税なしの特権階級です。 本当の悪魔は、誰なのでしょうか。 中山みきも赤い衣装の悪魔です。 黙示録では。 コロナから助かるためには、普通に風邪の治療をする事で8割は助けて頂けると、 基本はそう悟っています。 その風邪の治療で治癒しない場合には、人工呼吸器や、人工肺で、呼吸を補助。 自然の治癒力を神仏にお願いすることだと思います。 なお皇室や王室が土地をたくさん持っていても、大変だろうなと思います。 過ぎたるは及ばざるがごとしですから、膨大過ぎる資産は、お荷物でしょう。 65 ID:AtGEh62s. net 江戸時代までの漢方薬で、薬効成分は出尽くしていると教理的には、思います。 有効成分を、抽出する、組み合わせるという手法で、新薬が作られていて、 ワクチンというのは、人工的に観戦させて作っていますが、 牛のワクチンを人間に応用した場合と、人のワクチンを人に用いる場合と、 効果は、当然牛のワクチンが勝るという道理になります。 人間に遺伝子情報は牛の遺伝子情報より上位です。 人は牛の遺伝子は支配できますが、人と人の間では、上下が不定です。 ジェンナーのように牛の先道利用が、天理にはかなうと思われます。 78 ID:AtGEh62s. net 感染者のニュースでわかりますが、 出歩いている人が感染したのは、海外出歩き。 初期には雪祭りやライブがあって、ジムがあって、・・ 今は、病院や、で、若者の出歩きは無関係な場所です。 そこでクラスター感染。 東京都はなにやってるのでしょう。 病院を空気洗浄して、防御している情報はありません。 役にも立たないマスクを煽って、病院内空気洗浄しない東京都。 あまりに露骨です。 06 ID:AtGEh62s. net 千葉県に障碍者福祉施設で、58人集団感染した。 死中であるきと無関係である。 千葉県は障碍者福祉施設に「99,9%ウイルス除去」の 空気清浄をしていなかったのだろう。 糞尿の感染の防御をしていなかったのだろう。 空中に浮揚し付着したウイルスは、若者の外出で拡散などしない。 高齢者が食品を買いにスーパーに行くから、拡散する。 障碍者福祉施設では、食品の買い物にアルコール除菌させていたか。 障害者施設では、食事の提供者に、いちいちアルコール除菌していたか、。 高齢者の行動をきちんと管理しないと、感染拡大は防げない。 net 科学的根拠のない外出禁止令ではなく、施設の「食」「糞尿」管理こそ、 必要である。 人間にある遺伝子情報に影響を与えて、感染拡大する。 保菌者は高齢者で、高齢者からの感染防止を打ち出す時だ。 八島さんは、二代目中川よしと言われたおたすけ人を母に持っていた。 母に従う兄に対して、新たなリーダーを求める青年会の若手には必要な人だった。 当時の青年会の若者の親は、おたすけを日常としていて、 八島よし先生ほどでなくとも、みなかなりの効能者だった。 効能者を目指す兄と、効能者以上をめざす八島英雄。 病助けをいくらしても、信者は増えたとしても、社会は変わらない。 病気なら、そこらへんのおじさんでも、おばさんでも、お助けしている。 やはり、社会を変えなければ、天理教祖の理想は実現しない。 中山みきを、信奉するという点では八島英雄先生は、人後に落ちない人だった。 天理教祖中山みきを「不思議な女」ととく芹沢光次朗の父親も高名な効能者だった。

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くまくま日記

あまのじゃく 歌詞きめつのやいば

日曜日にポケモンの映画を観に行ってきたのですが、翌日から長男くんは38度の熱を出して寝込んでしまいました。 ところが熱が下がった14日になっても、なんだかテンションが低い。 元気がなく、ぼんやりと寝転んでばかりいます。 「どうしたんだ?」と訊いてみたところ、「なんでもない・・・」とのこと。 その元気のなさは、なんでもないことはないだろうと追及すると、しぶしぶ話し出したのは、DSのゲームカセット一式を入れたケースが見つからないらしい。 8本のソフトが入っていて、デュエルモンスターやマリオなど、いままで購入したものは全部そこに入れていたそうです。 「映画から帰ってきて、デュエルのダウンロードしたのになあ・・・」と呟いている。 「そういうときはさあ、考えていても仕方ないんだよ、身体を動かして探せーっ」ということで部屋を片っ端から探したのだけれど、みつからない。 どこにもない。 「ほんとに映画から帰ってきて家でダウンロードしたの?」と訊いてみると、「ぜったいにダウンロードしたんだよ」とのこと。 けれども探しても探しても出てこない。 もう一度訊いてみると「うーん、どうだっけかなあ・・・」と自信がなくなっている。 こういうとき、ひとは得てして希望のある方へ現実を捻じ曲げてしまうものです。 見つかってほしい、という気持ちが曖昧な記憶から確かな虚像を作り上げてしまう。 帰ってきてダウンロードした(はずだ)から、ぜったいにケースは家にある(はずだ)という現実を作り上げる。 想像ですが、きっと映画館に置き忘れてきてしまったのだと思います。 というわけで、映画館に電話をしてあげようとするのだけれど、つながらない。 ところが、ぼくに発破をかけられて部屋中を探していると、にいちゃん(長男くん)の背筋もぴしっとしてきて、声が出るようになってきました。 結局みつからないので、昼ご飯を食べることにしたのですが、実はおとーさんであるぼくも月曜日にPasmo定期券(10月まで)を紛失したばかりで、さらに体調も悪く、ついてない親子だなあ(苦笑)、家族は運勢的にも似るものかなあ、と思わず痛感。 「なくなっちゃったときはさ、考えていても仕方ないんだよ。 早いうちに動くこと。 誰かが取っていてくれるかもしれないし、やるべきことをやると気も紛れる。 あとは気持ちの切り替えが大事だね。 いつまでもくよくよしていないこと」などと、冷やしたぬきそばを啜りながらにいちゃんに話していたのですが、叱りそうになってしまう気持ちをぐっと堪えました。 こういうときにぼくは感情的になりがちで、すぐに怒ってしまう。 それがいけない。 ただでさえ落ち込んでいるのに、さらに追い討ちかけちゃだめですね。 なんて声をかけようといろいろと考えたあと、ぽつりと言ってみました。 「でもさ・・・なくなっちゃったけど、楽しかったんだろ?」 うん、と頷く。 しかしですね、なぜかここで、とーさんであるぼくのほうが思わず涙ぐみそうになった(困惑)。 なんだか感傷的になってしまった。 絶対的だ永遠だと信じていても、いつの間にか紛失してしまったり、失われてしまうものがあります。 失われてしまっても、心のなかにある楽しさやイメージは残っているのだけれど、モノがなければ褪せていくばかりです。 記憶の中に残ったデータは新しく書き換えられることもなければ、もう一度リセットして最初からやり直すこともできません。 テキストや映像にして過去を残すことはできるけれど、現在の残滓であるところの過去は、どこか現実とは切り離された別の世界です。 などという理屈っぽいことはともかく、「でもさ、楽しかったんだろ?」という自分の言葉でまいってしまったのですが、きっと長男くんの人生には、これからそういうことが何度もあるのではないかな。 また、おとーさんの人生も、実はそういうことの繰り返しなのだ。 大きな何かを得れば得るほど、失うときの喪失感も大きくなるものです。 人生に安定などあり得ない。 人生は何かを損なっていくことの連続のようなものです。 とはいえ、楽しかったね、だからいいよね、と呟くことにしよう。 かなり昔にもDSのカードを引っこ抜いてしまい、それまでこつこつと遊んでいたデータが全部消えて、長男くんがしおしおと一日泣いていたことがありました。 いまの中学生は、ケータイに保存されたメッセージやアドレスが消えると悲しみに打ちひしがれて立ち直れない子供も多いようです。 現在(いま)を残そうとする気持ちは大事だけれど、固執すると辛くなる。 でも、固執するよなあ。 固執するなというほうが無理だと思う。 現在の世界を永遠に残したい欲求や衝動から、文学やカメラや映像の技術も発展したのではないでしょうか。 ゲームソフト8本といえば、金額にして4万円ぐらいになります。 しかし、単純に価格だけで済むものではなく、遊びに費やした膨大な時間も付加される。 だから、その損失は金額に換算できるものではないし、代替可能というわけでもない。 けれども、多くのものは最後には失われてしまうものです。 苦しみ、悩み、せつなく思う現在の自分でさえ、最期には失われてしまう。 あらゆるものは消えてしまう。 「もし、1本だけ戻ってきたとしたら何が戻ってきてほしい?」 そう訊いてみると、「デュエルかな」とのこと。 やはり、最新のゲームがまだ心残りなのでしょう。 いま、とーさんは自分の小遣いをちょっとはたいて、その1本だけ知らぬ顔で買ってあげようかどうしようか迷い中。 とはいえ、自分でゲットしてやるぜ!ぐらいの勢いがあるとうれしいのですが。 日常のひとこまから、そんなことを考えています。 投稿者: birdwing 日時: 22:57 2008年7月19日 手垢のついたような言葉でもあり、あえていまさら言う必要もないかもしれないと思ったのですが、阪本啓一さんの「ゆるみ力」とリチャード・カールソンさんの「小さいことにくよくよするな!」を読みながら感じたのは、いまを大切にすることの重要性でした。 過去は過ぎてしまってここにはないし、未来もまだ来ないのでここにはない。 楽しかったことであっても辛かったことであっても、過去の幻想に囚われすぎると現在のしあわせに気付かないし、未来の理想にこだわりすぎても、やはり理想と現実のギャップに凹むことになります。 いまここにあることを大切にして、いまできることを最大限にしていくことが大切ではないか。 あれやらなきゃよかったなと思っても、やっちゃったことは取り返しがつかない。 また、あとでやろう、あとで書こうと思うと、たいていやらなかったり書かなかったりするものです。 であれば、やらなきゃよかったなと思うようなことをしなければよいし、やりたいと思ったことをすぐに着手すればいい。 ・・・という簡単なことができないから困るのですが(苦笑)。 阪本啓一さんの「ゆるみ力」では、冒頭でマイアミに旅行した際、帰りのチケットを購入した航空会社が倒産したというご自身の実際のエピソードを引用しながら、そのトラブルから学んだ教訓を述べられています。 阪本 啓一 日本経済新聞出版社 2008-06 by すなわち、旅行中はネットなどで情報を入手せずにシャットアウトしておいたことがよかった、知らなくてよかった。 なぜならもし帰りの航空券が使えないことを知ったらマイアミで休暇を楽しむことができなかったから、とのこと。 そして、次のようにまとめられています(P. 17)。 どこか遠い未来ではなく、過ぎ去ってしまった過去でもない。 「ゆるめない」理由はひとえに、「心ここにあらず」が原因だ。 せっかく心が今・ここにあるというのに、見えない未来、あるいは過ぎちゃった過去へと心を「送信」してしまう。 心は今・ここではないとゆるめない性質を持っている。 今・ここ以外に送信されてしまうと、固まる。 これが「ゆるみを固くする」原因だ。 逆説的かもしれませんが、ぼくは次のようなことを考えました。 人間も動物である以上、油断をみせることは外敵に襲われる隙をつくることであり、外界からの攻撃を恐れて身体が緊張する。 いま・ここにない過去や未来に想いを馳せて、心ここにあらずの状態を作ることは、身体的には外敵の攻撃を受けやすい状態にあり、無意識的に危険を察知して(というよりも原始的な動物としての恐れが発動して)身体が攻撃に備えた状態になる。 だから実は安心できないのではないか、と。 むしろ問題を直視して、現実をしっかりと受け止めて、そのための行動を起こしたほうが、逆に安心できる。 やらなきゃならない問題は、取り組んでしまったほうが安心できるし、行かなきゃならない場所には行っておいたほうが安心する。 やらなきゃ、行かなきゃ、と思いつつ行動しない状態が不安を呼ぶ。 情報も同じかもしれません。 多くの情報は2次情報です。 誰かの語った言葉であり、誰かが加工した現実といえます。 それは自分の体験ではないし、自分の現実ではない。 その現実に一喜一憂することは、過去や未来のように「ここにない」何かに不安になる状態と同じ。 もし安心したいのであれば、自分でその場所へ行き、ひとから話を聞き、体験してみる。 自分ではない誰かはそう思ったかもしれないけれど、自分はそうは思わないな、ということもきっとあるはずです。 リチャード・カールソンさんの「小さいことにくよくよするな!」からは、次のフレーズを引用してみます(P. 20)。 頭で悩みごとの雪だるまを作らない。 Be Aware of the Snowball Effect of Your Thinking マイナス思考や不安のタネというものは、勝手に膨らんでいく。 「思考の攻撃」には終りがないし、 悩みや不安で頭がいっぱいのとき、心が穏やかになれるはずもない。 真夜中ふと、「明日やるべきこと」が浮かび、忙しくて死にそうだと思ったら、 「ああ、またやっているよ」と自分に言いきかせ つぼみのうちに摘み取ること。 そして、やはり次のことを心に留めておこうと思います(P. 30)。 いま、この瞬間を生きる。 Learn to Live in the Present Moment 明日起きるかどうかわからないことは関係ない。 the present moment is where you are - always! 投稿者: birdwing 日時: 23:18 2008年7月12日 細菌性髄膜炎で息子(次男くん・5歳)が入院していたのですが、おかげさまで10日に退院できました。 ブログを読んでいる方にはご心配をおかけしました。 あたたかい励ましの言葉もいただいて、ほんとうにありがとうございました。 完治というわけではなく、まだ炎症が残っているため、ときどきひどい頭痛に襲われるようです。 1日のうちに何度かアタマを痛がっています。 とはいえ抗生剤も効いて、脊髄のなかにうようよ増殖していたインフルエンザは退治できました。 後遺症も残らないのではないかと思うので、まずまずの結果ではないでしょうか。 よくやった、ラッキーボーイ。 ワリオというか紫ピクミンのような体型だった次男くんは(ゲームを知らないとわからないですね)、ピクトグラムの棒人間のように痩せてしまって痛々しい。 今後、栄養のあるものをたくさん食べて、回復してくれることを祈るばかりです。 外出も禁止されているので、結局のところ幼稚園の先生や友達に会えるのは夏休みが終わってからということになってしまったのですが、仕方ない。 人生そんなときもあります。 というか5歳のきみの人生は、はじまったばかりなので、ゆっくりいきましょう。 とはいえ、病室でママがいないときに暴れて号泣して、看護婦さんに激怒されて病室を変更されたぐらいのツワモノなので、以前にもまして甘えん坊になった性格は、なんとかしたほうがいいと思うのですが(苦笑)。 一方で、ぼくは地に足のつかない3週間でした。 いまだに6月がつづいているような感覚があり、ものすごく長い時間を過ごしたかと思うと10分も経っていなかったり、あっという間に3時間を過ごしたり、破滅的に心が壊れていて処理機能が低下して考えがまとまらないのに、その半面シャープに研ぎ澄まされた感覚もあったりして、自分でありながら自分ではない状態でした。 あらためて気付いてびっくりしたのが、この3週間、ほとんどオンガクを聴いていなかったということ。 かろうじて、いつだったか日曜日、病院からの帰り道、ラーシュ・ヤンソン・トリオの「HOPE」というアルバムを聴いてピアノの音が胸に染みまくったのですが、iPodをどこへ置いたかもわかりません。 デイバックのなかに突っ込まれたままのこともあれば、部屋の片隅に放置されていたこともありました。 音楽がなければ生きていけないぐらいの必需品であったぼくには、あり得ないことです。 おかしなテンションがあり、日々をいっぱいいっぱいの状態でやり切っていた感じです。 オンガクに喩えると、変拍子というかポリリズム的なビートに翻弄される毎日でした。 やっと生活のリズムが元に戻りつつある手ごたえを感じているのですが、客観的にみて冷静に毎日を過ごしていたかどうか、自信がありません。 ただ、非日常的な毎日だからこそ気付くことはたくさんありました。 ぼくは家で長男くんと父子ふたりの生活をしていたのだけれど、長男くん(11歳)のめざましい成長にわずかながら気付くことができました。 まだ子供だと思っていたのに、大人のような考え方になりつつあります。 眠る前に、国語の授業の「ぼくの世界、きみの世界」という教材の話を聞いて、親子でテツガク的な対話ができたのは、辛い毎日のなかでも楽しいひとときでした。 ふだんは彼と別々に寝ているのですが、次男くんの入院中は隣りで寝ていたので、そんな話もできました。 「ぼくの世界、きみの世界」という教材は、西研さんという哲学者がわかりやすく哲学の入り口のようなものを解説されているエッセイのようで、同じチョコレートを食べても、甘いという感覚がきみとぼくとでは違う、ぼくとは一体なんだろう、どうすればきみと分かり合えるのだろう、というようなことを述べられているようです。 この話が長男くんは好きらしい。 国語の授業でいろいろと考えて、テツガクに興味を持ってしまったとのこと。 さすがぼくの息子というか、血は争えないな、と感じてうれしかったのだけれど、ぼくもこういう話は大好きです。 電気を消した布団のなかで、共感、多様性、世界の認識の仕方(アフォーダンスなど)、構造化など、彼と1時間ぐらい話をしました。 たぶん11歳のちいさな頭には理解できなかったと思うのですが、明日学校だからもう寝よう、と言っておきながら、もっと話したくてうずうずしていたのは、何を隠そう父であるぼくのほうだったかもしれません。 彼と将棋をやってみたのですが、強くなってしまって全然勝てない。 「小学六年生」の雑誌に将棋のマンガが掲載されているらしく、それで守りの手などを研究してノートにまとめています。 穴熊(詳細はWikipediaのを参照ください)という守りの手を打たれて、え?え?なんだそれは?と思っているうちに負けてしまった。 ちなみに穴熊とは玉将(王)が隅に配置されて周辺を金などで固める陣形のようで、鉄壁の守りを作りつつ着実に駒を取っていくという手法が、いま彼の得意の戦術のようです。 悔しいのですが、出たとこ勝負の感覚的な攻め方のとーさんは息子に勝てません。 入院自体は辛いことなのですが、チャンスととらえることもできる。 繰り返される毎日の日常的な生活のなかでは、気付かないことにもたくさん気付くようになります。 そして入院している本人よりも、その周辺の家族のあり方であるとか、ぼくの人生にとってほんとうに重要なものは何だろうということを考えさせてくれた3週間でした。 子供が入院している非日常の毎日から日常の毎日へ変わりつつあり、そのときに感じたことは薄れてしまいつつあるのだけれど、大事だと感じたことをできる限り維持しながら、ふつうの毎日に戻ろうと思っています。 なんでもないふつうの毎日が、いちばんしあわせかもしれない。 気が緩んだせいか土曜日の朝起きると耳が痛くて、病院に行ったら中耳炎と言われてしまい、今度は父であるぼくのほうがムコダインという抗生物質のクスリを飲むはめになったのですが、薬を飲んだらすっかりよくなりました(早めの対応が大事です)。 ついでに洗濯機がぶっ壊れたり、とんでもないカミナリと雨もあったりしたのですが、そんな日々の断片をまたブログで書き連ねていきたいと思います。 無駄に長文ですが、暇な時間に読んでいただけるとありがたいです。 あらためて、よろしくお願いします。 足の親指にテープでとめられた脈拍と酸素の計測器。 皮膚を透かして蛍のように光るセンサーの赤いひかり。 液晶に表示された100近辺の数値。 点滴のビニールと手に巻かれたネットの包帯。 最先端の医療機器にもテレビにもなるディスプレイ。 明るい部屋には、きみを含めて4人の子供たちがいる。 そして4組の家族たちと医師、看護婦たちが見守っている。 今度の入院は喘息ではなく、細菌性髄膜炎と診断されたきみは、力なく横たわり、ひたすら眠っている。 38度近い熱は波のように引いたり寄せたりして、きみの額に痛みをもたらした。 その傍らで、所在のない父親は、たくさんの動物や植物たちの折り紙を折りあげていった。 たわむれに買った本のページを開きながら、山折り、谷折り、中割り折りなどを繰り返して、ちいさな紙片は、次々とちいさな世界の構成物に変わっていく。 檻で囲まれた清潔なシーツの上にひろがる、ちいさな世界。 スモールワールド。 きみの眠りを妨げないように、そっと置いた、うさぎ、つりがねそうの青い花、小鳥、そしてクリーム色の鳩。 窓の外には半円形のかまぼこを立てたような建物がみえる。 遠くから長期の入院に付き添うひとびとが宿泊する施設だそうだ。 建物の下には円形の庭が広がっている。 それはちょうどきみが大好きなナスカの地上絵のようにみえないこともない。 きみは窓の外を眺めることさえ嫌だ、と言っていたけれど。 売店で買ったミニカーは、1日ごとにきみの枕元に増えていった。 はしご車やダンプカーなど、チカラ仕事をするクルマが多かった。 あまのじゃくな父親は、スペースシャトルを買ってみた。 10年後、きみが成長する未来には、月へハネムーンに行くことさえできるかもしれない。 あるいは、そんな技術はまだ夢の夢で、いまと変わらない毎日が続いているかもしれない。 どちらでもいい。 そんな未来にきみがいればいい。 好奇心の目をくりくりと動かして、分厚いくちびるをちょっと尖らせたりしてみながら、スモールワールドを卒業したきみの眼前に、おおきな世界が広がっていればいい。 はやくよくなるように。 折り紙でつくるちいさな世界に、祈りを込めて。 投稿者: birdwing 日時: 23:59 2008年6月 3日 思い立ったが吉日ということで、節約をしようと思い立ってみました。 しかしながら、たいてい思いつきの行動はつづいた例がありません。 閃くのは簡単だけれど、重要なことは閃きをきちんと行動に移すこと、かつ持続することでしょう。 3日ボウズなわたくしは忍耐力に欠けます。 とはいえ、節約はなんとなくつづけるつもりでいます。 使いたい目的もあるので。 具体的には1日1000円で過ごそう、というわけで1万円札をくずして1日1枚(自分で自分に)渡す配給制にしているわけですが、ひとによっては贅沢だ、と思うかもしれないし、足りない、と思うかもしれません。 どうなんでしょう。 というわけで、世の中のおとーさんのお小遣い事情がわからないので調べてみたところ、GE Money Japanというところで「」という調査をしていました。 2005年から4年間トレンドを追っているようですが、その2008年版をチェック。 今年の4月にサラリーマン500人に対して調査したようです。 サマリーを抜粋すると以下のようになります。 4%が昇給あり。 8割近くが「小遣い額に変化なし」。 8回と昨年並み。 5人に1人が1,000円未満から手軽に利用 ううむ。 さすがに共感するというか、よくわかる。 しかしながら、昼食代平均570円は安いですね。 東京も場所によると思うのですが、ぼくが外食した場合には800円が平均という気がします。 そんなわけで外でランチを食べて、ちょっとお茶でもしようかと思うと1000円ぐらいはあっという間に消えていく。 ぼくはタバコを吸わないのですが、喫煙したらもっとお金はかかりそうです。 上記のページには1979年から2008年までのサラリーマンのお小遣いの推移もあって、なかなか悲哀をそそるのですが、90年のバブル期には小遣いの平均額は76,000円だったようです。 理想の小遣い額が71,600円なので、おとーさんたちはバブルの夢をまだ追っているのかもしれないですね。 というわけで、節約生活をはじめてみたのですが、なんとなくがらりと視界がかわったというか、目からウロコが落ちたというか、新鮮でした。 まずですね、ご飯やコーヒーがうまい。 特にコーヒーは、そもそも会社の給湯室で自分で入れればよいのだけれど、ぼくはわざわざコンビ二や車内の自動販売機で缶コーヒーを頻繁に買うので(気晴らしに歩く意味もある)、この数が制限されると、1杯1杯をありがたく飲むようになります(笑)。 これはきっと、戦場で一本のタバコをうまそうにのむ感覚に近いかもしれません。 ありがてえ、うまいぜ、コーヒー、じゃ戦ってくるからな、あばよ、という。 そして、余計な糖分を取らないせいか、身体が妙に健康です。 忙しくて疲れていることはあるのだけれど、なんとなく身体が軽い。 というか、ストイックな気持ちが身体を健全にしてくれているのかもしれません。 節約ひとつでこんなに世界が変わるのかーと、ちょっと驚いています。 というか、ぼくはいままで無駄が多すぎたんですよね。 ほんとジャンクな生活で欲望の赴くままに飲食し、CDや書籍を購入していたので。 だからきっと生活の落差が大きい。 とはいえ、その不健全さが自分らしさのような気もするので、気がつくとやーめた、ということになっているかもしれないですが。 あらためて反省もしています。 仕事が佳境なときなど、深夜に疲れてコンビ二に立ち寄り、蕎麦やらおにぎりやらビールやらポテチやらをしこたま買い込んで帰宅し、夜中に遅い夕食(あるいはものすごく早い朝食)を食べることも多い。 しかし買い込んだわりに食べられなくて残してしまい、明け方に包装されたままのおにぎりをそのまま捨ててしまうこともあったんですよね。 感覚が麻痺していた、と思いました。 世界のどこかでは飢えに苦しんでいるひともいるのに、これはいったいどうしたことか、と。 飽食のあまりに思い上がっていないか、と。 田舎のばーちゃんであれば、もったいないから食え、お百姓さんに申し訳ない、とひっぱたかれる。 まあ、賞味期限1年ぐらい過ぎていても、これは食べれると主張するばーちゃん(というか、ぼくの母)には困ったものですが、食べ物を粗末にしてはいけません。 などということを考えていて、どうしても連想して考えてしまったのが、ニュースで大きく取り上げられていたでした。 偽装や残飯を使いまわしていたことは許されないことではあるのだけれど、ちょっと箸をつけただけで残すようなお客もどうか、と思った。 もちろんすべての客がそうではなかったでしょう。 ただ、自分も含めて、あるいは自分の息子たちもみていて、豊かさのあまりに食を軽んじていることも多いと思います。 8割がた茶碗にご飯が残っているのに、子供たちは、ごちそーさまーと言うときもある。 お米のひとつぶひとつぶをきちんと食べなさい、とぼくは親から言われたような気がするのですが、なんとなくいいか、と思ってしまう。 時代は変わった、のでしょうか。 いいのかな、それで。 使いまわし=リサイクル、という安易な構図もどうかとは思うけれど、もったいない、という感覚は大事な気がするんですよね。 しあわせなことにぼくらは飢餓の状態に直面することはありません。 でも、意識的に節約というハングリーな状態を自分に課してみて思うのは、ぼくらの生活は予想以上に豊かであり、ありがたいものである、ということでした。 当たり前のように豊かである現代では、当たり前のありがたさに気付かない。 実は突拍子もない素敵なことよりも、当たり前のありがたさに気付くほうが難しい気がします。 たとえば、大気のように漂っているしあわせ。 あまりにも淡くて日常的であるからこそ、そのありがたさに気付かないものです。 失ってしまったときに、はじめて気付くものかもしれません。 悲惨なくらいストイックになっても仕方ないけれど、豊かな時代だからこそ節約を楽しむというライフスタイルもありではないか、と思いました。 とはいえ、亡者のように節約至上主義にはなりたくないですけどね。 趣味や大事なことにはとことん投資する、そんなひとでありたいです。 貯めたお金は墓場に持っていいくわけはできなので。 投稿者: birdwing 日時: 23:27 2008年5月22日 喘息というか風邪のせいか今週の次男くんは夜中に咳き込むことが多かったのですが、2日お休みをもらって今日は幼稚園の遠足でした。 とんでもない快晴にめぐまれました。 休んでいた彼はこの暑さに大丈夫なのか?と心配になるくらいに。 空も青い。 遠足の場所は新宿御苑と聞き、どうしようか・・・と悩んだのですが、仕事場から近いこともあり、ちょっと偵察に。 ほんとうは幼稚園から禁じられているようなのだけれど、お昼休みの1時間を使って園内に入ってみました(入園料200円)。 庭園風の池がある場所を抜けると、子供たちの声がする。 森のような暗い場所を抜けたとたんに、広い芝生が広がって、ぱあっと辺り一面が光で溢れました。 さすが遠足日和、小学生や保育園やら、いくつかの学校から公園に来ているようで、あたりをつけた園児はうちの子供の幼稚園ではありませんでした。 けれどもうろうろと歩き回っているうちに発見。 どうやら、木陰でランチ中のようでした。 不思議なもので、たくさんの子供たちのなかで自分の子供はみつけられるものですね。 とはいえ、一度、ぜんぜん知らない子供が自分ちの子供だと間違えてしまったけれど。 そのうちに昼食が終わったのか、子供たちは遊びはじめました。 ものすごく広い芝生を走る、走る。 お、おいおい。 そんなに走ったら喘息が(おろおろ)。 と、おとーさんの言葉は遠くて届かない。 でも、次男くんは心配そうに見守るこちらに気付いて控え目に手を挙げてくれたりした。 はぁ、息子ながらちょっときゅんとした(笑)。 遠いなあ、もっと近づいて写真撮りたいなあ、と思ってカメラを構えていたら、前傾姿勢でこちらへダッシュしてくる老女が。 ええと、失礼なんだけど、副園長先生でした。 しまった、変質者かと思われたか?と一瞬逃げようとしたのだけれど、このしあわせな公園で不毛なチェイスが始まってしまいそうで諦めていると、「心配ですか?心配ですね?でも元気ですから、大丈夫ですよう!」と声をかけられました。 ええと、2日寝込んでいたもので、ちょっと心配しまして。 会社も近かったもので。 でも大丈夫なのですね。 はいはい。 はい、さいならー(しどろもどろ)」と父は変な汗をかいて退散。 あー恥ずかしかった。 上着を脱いで息子から離れると、芝生の反対側にはバラが美しく咲いていました。 一眼レフのカメラで撮るおじいさんとか、絵筆を握るおじいさんとか、みんなで集合写真を撮るおばあさんとか(老人ばっかり。 でもなくて、若い写真家風のひともいた)、なかなかにぎわっていました。 いちばん大切なひとに、このバラを贈りたいな、などと考えながらぼくもスナップ。 摘んだら叱られますけどね(苦笑)。 なので、写真の花束です。 ちなみにバラの花言葉は。 (赤)「愛情」「模範」「貞節」「情熱」 (黄)「嫉妬」「不貞」 (白)「尊敬」「私はあなたにふさわしい」 (ピンク)「上品」「愛を持つ」「しとやか」 (朱赤)「愛情」 (薄オレンジ)「無邪気」「さわやか」 うーむ、黄色はどうかと思う。 でも、どちらかというと嫉妬深いぼくには黄色が相応しかったりして(苦笑)。 実は長男くんも黄色好きで、学生の頃にはぼくも黄色が好きでした。 黄色のカーディガンなんか着ている女性は、いいなと思います。 菜の花の色かもしれない。 気が付くと時間が押していて、昼食の時間がない。 そこで、御苑の売店所でサンドイッチ(500円)を買って3分で胃のなかにねじ込みました。 ほんとうは上半身裸になって、日光浴でもしたかったんだけど、公園内でぼくはずっとスーツ。 公園にスーツは似合わないですね、ほんと。 +++++ さて、なんとなく決意表明を(笑)。 ブログを書こう、書き続けていこう、とあらためて思っています。 読者数やコメントであるとか、アクセスはあまり気にせずに自分の書きたいことを綴っていきたい。 エントリーとしてアウトプットするためにはインプットも必要です。 最近は感想もおざなりになっているのだけれど、音楽や本や映画を引きつづき摂取していきたい。 いろんなひとの意見を参考するのも大事ですが、自分の審美眼を大切にするつもりです。 流されるのではなく、自分がこれはと思う作品(本であっても音楽であっても映画であっても)を、ピックアップしよう。 そして、趣味のDTMでは、大勢のひとに聴いてもらわなくてもかまわないから、自分の人生で納得のいく曲を創りたい。 何曲もなくていい。 1曲だけ残すことができれば十分です。 なんとなく最近、ブログを書くのを躊躇していたんですよね。 何に躊躇していたのか、よくわかりませんが(苦笑)。 いろんなものをシャットアウトして、ただひたすら闇のなかに光を見出そうとしていた。 もちろんぼくは光を見出しているのだけれど、ぼく自身がもっと光に溢れていなければ、誰かに輝きを与えることもできない。 辛いこともあって、ひたすら歩いてしまうわたくし(困惑)ですが、光を与えてあげたい。 誰かのために、まずは自分が輝かなくては。 暗闇のなかに閉じこもっているのではなくて。 そんなことを闇のなかから考えました。 投稿者: birdwing 日時: 23:40 2008年5月20日 健康のためだけではないのだけれど、雨降りとくたびれた日以外は新宿御苑のあたりを歩いて帰っています。 たいていiPodで音楽を聴きながら歩くことが多い。 アルバムをひととおり聴くこともあれば、自分の作った曲を1曲のみを延々とリピートさせて、あーだこーだ改良のアイディアを思い巡らせながら考えながら帰ることもあります。 今日はなんとなく音楽を聴く気持ちになれずに、イヤホンを外して帰りました。 気持ちが塞いでいたせいかもしれません。 どうせ音楽を聴かないのなら、街の音でも聞きながら帰るか、と思ったのだけれど、聞こえてくるのは自転車のブレーキの軋む音とか、トラックの汚れた排気音とか、けたたましいおばさんの笑い声とか、急に鳴り響く救急車とパトカーのサイレントとか、そんなものばかりでした。 なんとなくめげた。 といっても、思考に支配されていると音も聞こえなくなるものです。 周囲はさまざまなノイズで溢れているのにもかかわらず、聴覚にブラインドをおろすように、何も聞こえなくなる。 騒音に包まれながら、無音の闇が広がっている。 イヤホンと大音量の音楽で耳を塞がなくても、ぼくらの意識は外界の音をシャットアウトすることができるみたいですね。 それが・・・楽しいことばかりではないのだけれど。 無音の闇のなかをただひたすら歩み続けていると、新宿御苑のあたりでは、ふいに草いきれのようなむっとする匂いに包まれました。 低圧ナトリウムランプというのでしょうか、オレンジ色の街灯が暗い御苑の木々を照らしている。 そして、顔を上げると新宿の副都心のビルが眩しい。 新宿の丸井CITY-1、バルト9というシネマコンプレックス(映画館)が入っているビルの裏側、目の前に新宿高校がある場所がなんとなく好きで、わざわざこの場所を経由して歩くこともあります。 映画の待ち合わせか、ここで電話をかけているひとも多い。 ずいぶん前に携帯電話のカメラでスナップしてみたことがありました。 その写真です。 この前は、歩道がちょっと広めになっている。 壁面に照明が取り付けられたこの建物を眺めていると、なんとなく落ち着きます。 壁面といえば、マイクロソフトがTouchWallというプロトタイプを先日披露しました。 ブログでマルチタッチスクリーンによる「Surface」を「」というエントリーで取り上げたこともあったのだけれど(といっても薄っぺらな表面的な把握ですけれど)、壁面全体をタッチスクリーンにしてしまうような技術です。 Plexというソフトウェアによって、赤外線で位置情報を認識して操作できる。 にYouTubeの動画が掲載されていたので、その動画を。 いま壁は壁でしかない、というか壁は建物の一部なのだけれど、壁が情報端末になる。 そんな未来を妄想しながら新宿駅のほうへ、とぼとぼと歩いていったのだけれど、雑踏で人が増えて路上で楽器を演奏するひとの音などが聞こえながらも、ぼくの耳は無音の状態というか、ノイズキャンセラーを利かせたように静かなのでした。 あるいはいろんな思考が音を奪っていたのかもしれない。 騒音なら耳を塞げば大丈夫です。 けれども問題なのは、内なる音に耳を塞ぐことかもしれない。 自分の内側でなっているさまざまな悪しき言葉、しゃがれて嗤うような声、肌を粒だてるような不快な音に耳を塞ぐのは、なかなか難しい。 そんな音をやり過ごすためには、ぼくはただ歩くしかない。 歩いて、身体を動かすことで音に向かう心をそらす。 けれども、どんな闇にも光が当たるときが来るものであり、夜が明ければ朝になります。 闇があるからこそ光は眩しく感じられるのだし、夜の静けさがあるからこそ、さわやかな朝に心も打たれる。 どちらかに傾倒するのではなく、闇と光の両方を受け止めることが大事なのかもしれません。 無理に笑ったり、無理に悲しむのではなく、ありのままに。 投稿者: birdwing 日時: 23:59 2008年4月24日 ぼくのブログは辛辣モードに入っている気がします(苦笑)。 昨日のエントリーでは、はてな批判をしてみました。 ふだんはできるだけほわほわした文章を書きたいと心がけているのだけれども、一方で辛口のエントリーも書いてみたい。 誹謗中傷はよくないだろうし、批判についても、オトナの気持ちになってやり過ごせとか、読み手に不快を与えるから慎めとか、穏便にすませるべきであるという見解もあります。 それも大事だけれど、自分の気持ちに嘘をついてまで丸くおさめりゃいいのか、とも思う。 穏やかにやり過ごす方が問題ではないのか。 目を瞑ってしまうことで損なわれていく何かがないか。 穏やかならない気持ちが生まれるとき、それをきちんと分析して論じてみることは大切な試みだと思うのですが、いかがなものでしょう。 断っておきたいのは、ぼくは日々の不満をブログで解消しているわけではない、ということです。 いま、ぼくはとても充実している。 しあわせな気分にある。 この精神の安定性を基盤として、批評あるいは批判的な精神で書いてみたらどうだろう、ということを考えています。 というのは、ちょっといい子な優等生のエントリーに疲れちゃったからなんですよね。 不良にはなれないし、ちょいワルもどうかと思うのだけれど、先鋭的でありたい。 人間のエッジを尖らせていたい。 事なかれ主義の老人になるにはまだ早い。 はてなに関していえることですが、ぼくは、はてなが好きでした。 いや、過去形ではなくて、いまでもはてなで好きなサービスはいくつもあります。 好きな文化もある。 けれども好きだからこそ盲目的にすべてを肯定するのではなく、これは酷い、ということに対しては率直に言うべきではないか。 好きだからこそネガティブな意見も言える、のではないか。 愛情の反対は憎悪ではなく無関心である、といったのはマザー・テレサだったかと思うのですが、ほんとうにどうでもいいものに対しては、無駄に労力をかけて語りたくもないと思うんですよね。 エネルギーがもったいない。 何かを批判するとき、憎しみをぶつけるとき、そこにはまだ何かに対する愛情が残っていると思います。 というわけで今日は、茂木健一郎さんの「思考の補助線」を批判します。 茂木 健一郎 筑摩書房 2008-02 by ぼくは茂木さんのファンなのだけれど、ファンだからこそ言いたいのは、この本は酷い。 読むにたえない、ということです。 +++++ 「思考の補助線」の正しい読み方は何か。 それは、 こんな寄せ集めの知のガラクタに金を払って読めるか!と破り捨てる ことだと思います。 こんな酷い本にはブーイングをかますべきだ。 この本は、ぼくが読んだ茂木健一郎さんの本のなかでは最低です。 途中までしか読んでいないけれど、最後まで読む気が失せました。 でも、読んでいるひとがいるので頑張ってぼくも読みますけどね。 買っちゃったし。 もともとはどうして脳内でイメージを結ばないのだろうと首を傾げながら読んでいたのですが、それもそのはず。 原稿の升目を埋めるためだけに、雑多な知を寄せ集めただけの内容だからではないか、と思いました。 これは筑摩書房の出版としての責任もあるのではないか。 メディアの病も関連している。 あとがきで、茂木健一郎さんは次のように書かれています。 懐古主義の甘ったるい文章はさておき、ここで注目すべきなのは、PR誌が初出であるということです。 要するに、この本は、タダで配布され、筑摩書房のプロモーションのために作られたPR誌に掲載された駄文を、リサイクルすべく再構成しただけというわけです。 これは読者をなめている。 筑摩書房といえば、知的なコンテンツを提供している第一線の出版社であり、ぼくも「ちくま文庫」の坂口安吾全集はよれよれになるほど熟読しました。 しかしながら、「思考の補助線」における雑多な寄せ集めの文章は、PR誌に掲載されたものであると理解したときに、なんとなく腑に落ちます。 著名な作家であること、キャッチーに目を引く内容であればいいという方針のもとに、PR誌のスペースを埋めるためだけに用意された埋めくさ、雑文原稿に過ぎないのではないか。 偏見かもしれませんが、ぼくにはどうしてもそんな風に読めてしまう。 地に落ちた編集姿勢もさることながら、雑文の寄せ集めを最高の知の織物(テクスト)であるかのようにして、しかも売れやすい新書というブームのパッケージに詰め込む筑摩書房の方策があざとい。 こんなことをやっていれば、出版に対する信用は失われるのではないだろうか。 どんなにファンであっても、こんなものでいいかのような手抜き仕事を一度でも垣間見てしまうと、気持ちが動かなくなる。 プロには手抜きは許されないはず。 一方で、知を引用することについては、以下のようにも考えました。 記号論やポスト構造主義の考え方に、「テクスト」という概念があるのだけれど、これはとして作品が成立している、というような考え方だったかと思います。 つまりひとつの作品のなかには、時代や社会などのさまざまな文脈が縦糸と横糸のようにはりめぐらされている。 引用の織物としてぼくらはテクストを読む。 一瞥すると、ゲーテ、チューリング・マシーン、マルクス、デリダやソシュール、荘子、ニーチェなどなど、縦横無尽に知が引用される「思考の補助線」は、知の織物のようにみえます。 しかし、そこには「統べる」力がない。 だから、結局のところ寄せ集めのツギハギに過ぎない。 引用された知は単なるハイパーリンクとして外部に開かれているだけで、織られてはいません。 これも言語学的な概念だと思うのですが、連辞(サンタグム)と範列(パラディグム)という考え方を思い出しました。 これが、「ぼく/あなた/愛する」のように助詞を排除して言語のつながりを緩和すると範列的になる。 喩えるならば、小説は一人称であるによって統べられる物語といえるかもしれません。 」のように時間軸に沿って物語をいくつも統合していくことができる。 一方で「ぼく/あなた/愛する」のようにつながりを緩和して言葉をばらばらにする範列的な配置は、「詩」的かもしれません。 どちらが優位という問題ではなくて、構造の多様性を述べただけのことです。 ここで、ばらばらな範列的な知について考えるのですが、それらを統合するためには、連辞的な力を働かせなければならない。 では、知のつながりを統べる力とはいったい何か? ばらばらな知を統合するのは、紛れもないではないか、と考えます。 「思考の補助線」において、知が寄せ集めのツギハギにしかみえないのは、そこにである茂木健一郎さんが不在だからです。 いや、ご自身の過去の遍歴などを書き連ねているのだけれど、カテゴリーを超えて知を統合しようとする「情熱」が感じられない。 過去さえも範列的にばらばらに配置された部品に読めてしまう。 本来であれば、散りばめられた知を「統べる」のは、茂木健一郎さんご自身のなかにある力であるべきです。 しかしながら、ただ部品を散りばめただけで、彼はそこに力を働かせようとしていない。 評論にしても、エッセイにしても、散りばめた素材をという力でまとめあげなければ、客観的な(ある意味、科学的ともいえるのだけれど)事実の列挙、あるいは範列、履歴にすぎません。 あたかも子供が玩具箱をひっくり返したように、ざざーっと零れたままに知の断片をとっちらかしておくのは、作者である茂木健一郎さんの幼稚さと怠慢を感じずにはいられない。 脳科学者という名の駄文家であれば、そんな子供じみた行為も許されるのかもしれませんが、であれば、そんな手抜きの文章は、ぼくらが金を払って読むようなものではない。 茂木健一郎さんは音楽家の江村哲二さんとの共著である「音楽を「考える」」において、「日本にも辛口批評を!野蛮人精神を!」としてブーイングすることの必要性を説いています。 茂木 健一郎 江村 哲二 筑摩書房 2007-05 by ぼくはこれもまた子供じみていると思っていて、というのはブーイングは批評であるかのようにみえて、批評ではない。 というのは、そこには、オペラであれば、なぜその歌手がまずいのかというクールな視点に欠けるからです。 豚のように鼻をならすのであれば、誰でもできる。 知を漁る豚のような(失礼)茂木健一郎さんには、お似合いかもしれないけれども、そこに知的な批評精神を求めるのであれば、鼻をならさずに人間の思考で、言葉として批判の花束を贈るべきではないか。 アーティストを尊重しつつ(だって、あなたには歌えないでしょう、茂木さん)、聞き手としての不満を批評として述べるべきだと思う。 ぼくもまた下品に鼻をならしながら、納得できない筑摩書房の出版クオリティと、茂木健一郎さんの、おまえらにはわからないだろうと知を散りばめながら実はたいしたことを書いていない読者をなめた原稿執筆を批判せずにはいられないのでした。 投稿者: birdwing 日時: 23:56 2008年4月23日 ブログを書き始めたとき、ぼくは「はてなダイアリー」を使っていました。 というのは、派手さはないけれども長文のエントリーを綴るには適している場所だったし、なんとなくサブカルチャー的な文化も感じられた。 そして、はてなという企業自体の先鋭的な何かに共感したからです。 しかしながら、はてなスターというくだらない機能がユーザーにほとんど説明もなく実装されたときに、アタマにきて、はてなを去りました(苦笑)。 ほんっとに怒りが押さえられなかった。 余計な機能を開発している暇があれば、もっと別の改良をすべきではないか、と腹が立ちました。 しかもそれが「スターは他人を褒めることしかできない」のような偽善者的な大義で語られていたのが大嫌いでしたね。 そんなわけで、はてな村から逃亡したのですが、こうしてしあわせなブログ生活を送っています。 そして、あれだけ頭にきたはてなスターは、いまでは形骸化している気がします。 18日に、はてなは携帯電話からブログにコメントするとき、非ユーザーに登録を求めるような機能変更を行ったようです。 ああ、成長してないなあ、はてな、と懐かしいような気持ちになりました(苦笑)。 やっぱり、はてなは、はてなだったか、と。 ユーザーをないがしろにする姿勢は変わっていない。 いつも訪問させていただいているお気に入りの、はてなのブログで、ふだんは温厚な書き手の方がまれにみる激怒をしていたので、ぼくもこのことについて個人的な見解を述べてみたいと思います。 少し機能から脱線して、いろんなことを俯瞰しながら。 +++++ はてなは、コミュニケーションの下手な会社である。 そう感じました。 それは、ダメな理系出身の開発者のペルソナ(キャラクター)をそのまま拡大して企業化したようで、ちょっと可笑しい 笑)。 ・ジーンズにぼさぼさの頭で客先に現れる。 ・有能なギークであれば許されるのだが、格好ばかりで技術がない。 ・仕事が遅い、雑、ポイントをはずしまくりで、説明不足。 ・追及されると言い訳ばかり。 ・客に高圧的に指図する(あなたは何様ですか?)。 ・ひとの話を聞けない、理解できない。 ・文章が書けない、書いてもへんな日本語。 ・さらに、きちんと説明できない。 ・コストを下げるべきちいさな案件まで徹夜して仕上げようとする。 ・プロジェクト管理ができない、計画性が皆無。 ・なのにライフハック的な方法論ばかりにこだわる。 ・時間をかけることが仕事に対するこだわりや情熱だと勘違いしている。 ・一方で、不完全や未熟を可能性と履き違えている。 ・行き詰ると逃げるか引き篭もる・・・などなど。 このイメージは、そのまま、はてな的な何かに通じる気がします。 また、あえて言うと企業として幼稚ではないか、という印象も感じています。 大人の会社ではない。 はてなの近藤社長には「「へんな会社」のつくり方」 という本もあるのですが、へんな会社であっても、会社である以上、常識的な社会性は持っていてほしい。 つまりそれはどういうことかというと、きちんとユーザーもしくはステークホルダー(関連するひとびと)と、コミュニケーションできる、ということです。 近藤 淳也 翔泳社 2006-02-13 by ユーザーの気持ちを推し量る・・・などという高度なことを、はてなに求めても仕方ないかと思いますが、せめて、この機能を追加するとユーザーとしてはこんなデメリットが生じるよね、こんなところに不満を感じちゃうかな、と予測すること、仮説を立てることをやってほしい。 それは、すべてのサービス開発において基本となることではないでしょうか。 プロトタイプ(試作)による開発にも近い。 ただですね、これは理解あるユーザーありきであって、ライトユーザーを含めたすべてのユーザーにこの方式を求めるのはおかしい。 それは「未熟なサービスを、顧客志向という勘違いのもとに強制的に使わせる非・顧客主導型のダメ経営」だと思う。 ITバブル期であれば許容できたかもしれませんが、いまは無理。 サービスを使っていただいているお客様はモルモットではないですよね。 人体実験をするのであれば、梅田望夫さんのような耐久力のあるひとだけにすればいい。 だれもが梅田さんのようにマゾ的な、自虐的な人体実験を好むとはいえないと思います。 弱者を守るという大義のために、一方的に体制を押し付けていますが、その実は弱者を排除する横暴のようにさえ感じられます。 せっかく友達のブログを携帯電話で読んで、あったかい言葉をかけようとしたのに、コメントのつけ方がわからない、説明も何もないので困惑する・・・。 そのサービスは、はたして使う側の立場から、やさしいのかどうか。 使いやすいのかどうか。 携帯電話の事業者によるフィルタリングの要請、という理由(=大義)もわからないことはありません。 未成年者に有害なコンテンツをみせない、悪質なコメントスパムなどを排除する姿勢は正しい。 ただ、その正しさを大義として、思考停止していないか。 コメントを書き込もうとするすべてのユーザーに登録を求めるのは、安易すぎる。 何も考えていないだろう、はてな(苦笑)という感じがします。 というか、ユーザーを獲得したいがための罠のようにさえ思える。 ひょっとして経営が行き詰っているのか。 相反するふたつの状況を成立させながら、うまく突き抜けられること。 ここで頭を使うべきだと思うんですよね。 考える力が必要になる。 このときに創造性が発揮される。 ブレイクスルー、イノベーションが生まれるように思います。 つまり、なぞなぞ認証に近いのかもしれないのだけれど、短い合言葉を入力すれば、コメントが書き込めるようにする。 その合言葉は、はてなのユーザーからしか発行できない。 メールなどで、友達に配信される。 そして、一度使った時点で携帯電話の個体番号を認識して、その後は友達はかんたんにアクセスできるようになる・・・のような。 技術わからないので、なんともいえませんけど。 はてなにはもっとユーザーの気持ちを気づいてほしいですね。 ラボやユーザーの意見を収集する仕組みだけできていても、暴挙のようなユーザー無視の展開があれば、それはきちんとユーザーを見ていない、聞いていない、と感じられる。 さらに、直前になって説明するのでは、言うこともできていない。 見ざる、聞かざる、言わざるの企業姿勢では、ユーザーとしても困る。 これって何かおかしいんじゃないか、という気づき(?)は、新しいアイディア(!)のシーズ(種子)かもしれません。 疑問符を感嘆符に変えるような、そんなサービスをぼくらは求めています。 やっぱりネットで、わくわくしたいじゃないですか。 ぼくらが求めているのは技術や大義ではなくて、コミュニケーションを変えてくれるようなサービスなのだから。 なんて朝令暮改な企業だ。 最初から・・・やらなきゃいいのに。 計画性がない企業ですね。 ちょっと騒がれたらこれか。 ユーザー重視というより流されるだけですね。 これをフレキシブルとは、ぼくは評価したくない。 思想がない、と言いたい。 振り回されるユーザーは大変だと思いました。 お疲れさまです(決して、はてなには言っていないので、あしからず)。 投稿者: birdwing 日時: 20:16 2008年4月15日 小説を読むことが少なくなりました。 物語に没頭することが少なくなったような気がします。 気分の問題なのか、それともネットに接することが多くなった時代(自分?)の問題なのか。 あるいは年齢かもしれないし、そもそも読みたくなるような物語がないのかもしれません。 といっても本を読んでいないわけではなく、そこそこ読んでいます。 では何を読んでいるかというと、新書です。 通勤時に持ち歩く本は文庫よりも新書であることが多くなりました。 どうやら新書ブームらしい。 出版業界は低迷していると言われていますが、確かに新書はたくさん出ています。 新書はタイトルだけ眺めてもキャッチーであり、興味を惹く内容が多く、それほど厚くないので手軽に読める。 文庫に比べたら少しだけ割高だけれど、なんとなく購入しやすい。 内容によっては、深い教養や知識を与えてくれるものもあります。 好奇心のきっかけを作ってくれることもある。 新書とはなんだろうか、と考えてみたのですが、持ち歩ける知(ポータブルな知)ではないか、と考えました。 持ち歩くためには、軽くなくてはいけない。 物理的な重量として軽いだけでなく、内容が軽いこともポイントです。 この軽さがカル(=軽)チャーであるなどと数年前に使い古されたキャッチコピーというかおじさんの戯言が思い浮かびましたが(苦笑)、へヴィな内容のものは朝もしくは疲れ果てた帰りの電車で読むには辛すぎる。 要約(圧縮)されていたり、いっそのことウワズミだったり、断片だけ抽出したり、かいつまんで読んでも理解できたり、そのまま誰かに読んだ内容を話せるようなものがいい。 茂木健一郎さんの「思考の補助線」という本を読んでいるということを先日も書いたのですが、茂木さんも最近は新書が多いですね。 「クオリア降臨」「脳と仮想」「脳と創造性」のハードカバーによるごつごつした文章で、ぼくは茂木さんのファンになったのだけれど、茂木さんの著作の第一印象は読みにくいということでした。 それでも読み進めていくうちに茂木さんの思考のうねりを感じ取れるようになり、生きざまに打たれて思わず読後に涙を流したことがあった。 貴重な経験でした。 小説を読んで泣くことはあっても、評論や哲学のような本を読んで感涙したことはなかった。 そんなわけで茂木さんのファンになったわけですが、最近多発している新書の軽さはいかがなものか。 ただ、茂木さんご自身もジレンマを抱えているようです。 後半をぺらぺらとめくっていたら、まさに新書に言及していたところがあったので引用します(P. 106)。 時は流れ、もはや売れる本が薄味であるという事実に対して誰も驚かなくなった。 折からの「新書ブーム」で、以前ならば単行本で出版されていたはずの内容や、一昔前にはレベル的には新書に成りえなかったであろうと思われる原稿が、「再定義」された「新書」のフォーマットで大量生産されている。 時代に絡めとられながら、茂木さんも憤りと申し訳なさを感じているようです。 商品として大量生産され、売れるためにカルさというフォーマットのなかで自分の知を発信しなければならない。 嫌だなと思っていてもそんな時代やマーケティングに流されることに対する苛立ちや不甲斐なさのようです。 時代に絡めとられる表現者としての思いを次のように語られています。 かくなる私も、そのような思いがないわけではない。 内心、忸怩たるものがあることは否めない。 誰もいない夜に、突然、うぁーっと叫びたくなることもある。 カントや、ヘーゲルや、アインシュタイン、夏目漱石のような先人に対して申し訳なく思う。 この軽さはブログ文化の影響もあるのではないか、と思いました。 そもそもブログは文芸のジャンルに当てはめると何か、などということもとめどなく思いを巡らせていたのですが、エッセイもしくはコラムに近い気がします。 小説ではない。 詩でもないですよね(たまに詩的なブログもありますけど)。 もちろん論評のようなブログもあります。 社会批判もある。 けれどもそこには物語性よりも、架空半分リアル半分の個人の考えや生活が反映されていることが多い。 ちょっとだけ薀蓄を語ったり、引用したりしながら、軽く読めてしまうものが多い。 ブログは表現者に門戸を開きました。 ああ、ぼくにも書けるんだ、書いていいんだ、ということは、ものすごい革新的なことでした。 ただそのことによって生まれた一億総表現者時代というものが、プロの書き手の領域を侵食している気がします。 もちろんぼくはその表現者の革命を歓迎するのだけれど、その一方で、やはりプロの書き手には一般のぼくらには到底かけないような文章を書いてほしいと願う。 まさにブログそのままの文体で新書になっているような本もありますが、正直なところ金を払って読むようなものではないですね。 そのレベルの文章であれば、ブログでタダで十分に読める。 ところでちょっと視点を変えます。 持ち歩くためには、小型化、軽量化が重要なポイントになります。 ソニーのウォークマンの登場により、音楽を持ち歩くというスタイルが生まれたことは革新的なことだったと思うのですが、その後、ガジェットと呼ばれるさまざまな情報機器は小型化する傾向にあり、いま電話を持ち歩くこともできれば、ワンセグによってテレビを持ち歩くこともできる。 あるいは、ゲーム機だって持ち歩けるし、そもそもノートPCや携帯電話でインターネットを持ち歩くこともできるようになりました。 しかし、そのためには機能を制限したり、動画や音声を圧縮する必要があります。 音楽のmp3は圧縮技術のひとつといえますが、やはりWAVEなどのファイルに比べると音質は損なわれる。 音質は損なわれるけれども、持ち歩くことを最優先にしたわけです。 新書文化というのは、それこそ持ち歩くために知を軽くしているわけですが、持ち歩けない知、重い知というのもあっていいのではないか。 というよりもそもそも知はそういうものであって、簡単に持ち歩けてはいけない。 圧縮されたmp3のようなぺらぺらな音を楽しむのではなく、どっしりとしたスピーカーで原音を楽しむような知もあっていい。 と、ここでさらにころころと視点を転換するのですが(苦笑)、一方でぼくは音楽でいうとポップスを信奉しています。 クラシックやジャズなどのエッセンスをうまく使って、気軽に聴ける音楽にだって素晴らしさはある。 軽いから軽視されるものかというとそんなことはなく、難解な音楽を凌駕するような感動や、まっすぐに生きる想いや、生活に潤いを与えてくれるようなポップスもあります。 たとえばぼくにとっては、ロジャー・二コルスの音楽などがそうなのですが。 ポータブルな知をきっかけにもっと重い知に挑戦してもいい。 あるいはファッショナブルに、ポータブルな知だけをまとってみるのもいい。 ただし、とても大切なことは、ぼくはその軽さを蔑んだり一方的に批判したり、意識から排除するような人間にはならないようにしたいと思いました。 重ければいいってものではありません。 カルさのなかに、ゆるさのなかにぼくらを癒してくれるものもある。 どんなものであれ世のなかに存在している以上、その存在には意義がある。 もちろんその意義を理解できないこともあるけれど、異質なものを理解するスタンスでいたい。 実はぼくは最初、このエントリーで全面的に新書のような軽い知を批判する文章を書いていたのですが、ネットを通じてその誤りに気付かせてくれる文章に出会いました。 そこで目が覚めた。 多様性に目を開いていたいと思います。 余裕がないと、ひとつの側面しかみられなくなるのだけれど、世界はいろんな側面から成り立っている。 だからすばらしいんですよね、ぼくらの住む世界は。 というわけでぼくの鞄のなかには、今日も新書が入っています。 難解なビジネス書だったり哲学書のハードカバーが入っていることもあるけどね。 投稿者: birdwing 日時: 23:58 2008年4月11日 通勤電車のなかで座ることができてほっとしていると、乗っていた電車は、駅に入りきらないおかしな場所で停車。 どうしたんだろうなと訝しがっていたところ、緊急停車の合図があって停めたというアナウンスが入りました。 最初は、なんとかをなんとかせずの合図が出ているため電車を緊急停止いたしました・・・のような業務用語らしきアナウンスが流れていたのですが、聞き取りにくく理解できませんでした。 その後、慌しいノイズ混じりで、「社内がいちばん安全です。 しばらくお待ちください」を何度か繰り返したあとで、隣りの駅で人身事故が起きたことが伝えられました。 隣りの駅って・・・。 ぼくが通う路線では、都内の隣りの駅は歩いても30分かからない場所にあります。 というか、この駅のプラットホームから隣りの駅が見えたはず。 しばらくぼんやりしていると、現在、救出作業をしていて、電車の発車時刻は30分後とのこと。 ぱたぱたと携帯電話を開く人が増えて(というよりも、そうではなくても電車の車内では携帯電話を使っているひとが多い)、入学式に遅れることを告げる母親などもいました。 新品のランドセルを背負った女の子は、ちょっとかわいそう。 ぼくも携帯メールで打ち合わせ先のお客様に遅れる連絡を入れたのですが、「人身事故で」と理由を打ったときになんだか滅入った。 電車のなかの楽しみがいくつかあるのだけれど(携帯電話を使ったあれこれ、本を読む、音楽を聴く、そして・・・眠る)、そのいずれもやる気が起きずに、放心しているばかり。 電車の窓からは青空がみえました。 昨日は冷たい雨が降っていたのに、今日は雲の流れが早くて日差しが零れる。 その後、打ち合わせが終わって撮影した今日の青空をスクラップしておきます。 それにしても、なぜこんなに天気のいい日に電車に飛び込んでしまおうと思うのでしょう。 いや、こんなきれいな青空だからこそ、かなしみが深まるというか日常からの手が緩まるというか、もういいかな、というふらっと気が抜けることがあるのかもしれません。 その気持ちは、わからないでもない。 明るすぎる風景が逆に耐えられない思いを募らせることがあります。 なんだか切ない。 亡くなった方のご冥福をお祈りしながら、それでも考えずにいられないのは、 なぜ、いつかは終わってしまう生を、自らの手で終えてしまうのか ということです。 ちょっとヘヴィなテーマに入ってしまいました。 けれども少し考えてみたいと思います。 ぼくらの生には限りがあります。 永遠に20代でいられることもできなければ、楽しい時間ばかりを持続することもできない。 辛いこともたくさんあります。 こんな辛さには耐えられない、いっそのこと終わらせてしまえばすっきりするだろうと考えて、つながっている線を断ち切るための決断に迷うことも多い。 続けるか/終わらせるか、というぎりぎりのエッジに佇んでいると、それだけで精神は消耗し、疲弊していきます。 本来の問題よりも決断のために力が奪われて、それだけで疲れ果てていく。 かつては耐えられていたとしても、どんどん自分のほうが弱くなる。 辛さの度合いは変わらなかったとしても、自分の方が弱ってしまうので、ちょっとしたことで、もういいかとリアルから手を放してしまう。 辛さや痛みが大きければ大きいほど、終わらせる側へ転がり落ちる可能性は高くなるものです。 もちろん終わらせてしまうことが潔い場合もあります。 終わらせてしまったことで、新しい何かがはじまることもある。 また、尊い状態や美しい状態を守ることもできます。 もっと酷い状態になる前に、手を打つこともできるわけです。 学校であるとか、仕事であるとか、さまざまな人間関係とか、潔い決断が求められることは確かに多い。 ただ、生という問題に限ってはどうなのか。 生を閉じるための選択は、勇気がいるものかもしれません。 しかしながら、ぼくは保留をすることも勇気が必要ではないかと考えました。 選択自体を保留にして、現状維持のままにする。 ものわかりのよさを捨てて割り切った答えを出さずに、複雑な人生を曖昧なまま生きてみる。 というよりも、優柔不断になってしまう。 迷っている状態のまま、しばらく別のことを考えることができればいいのですが。 気晴らしというのは安易だけれど、意識を別に向けることによって、世界の解釈が変わることもある。 しかしながら、そもそも思い詰めているからこそ、生を閉じるようなことを考えるわけで、別のことを考える余裕がないはずです。 余裕がない状態では、どんなに美しい風景も音楽も耳に入りません。 誰かのアドバイスも遠い場所で聞いているような言葉に思える。 料理の味さえ感じられなくなる。 目を閉じて、耳を塞いで、盲目的に、ひたすら続けるか/終わらせるかの選択だけを考える。 この悪夢のような状態をどうすれば終わらせることができるのか。 きっとそう考えるはず。 終わらせることになれば楽になる。 とにかく楽になりたい。 辛いことを抱えて生きていく未来を想像すると、現在の重圧よりも未来の重圧のほうが大きくなる。 「耐えられない/続けたい」というバランスが崩れると、ふらりと揺らめいてしまう。 でもですね、だからこそ結論を早めずに、そのアンバランスな状態で、しばらく課題を先回しにしてみたらどうか、と思うわけです。 というのは自分が変わらなくても、環境が変わる場合もあります。 現在が最悪であれば、さらに最悪になることは有り得ない。 もちろん最悪だと思っていた現在より、さらに最悪な深い場所があるのかもしれませんが、そのときはそのときで。 要するに、ぼくらの人生は、いつか終わってしまうものじゃないですか。 その人生を自らの手で終わらせてしまう必要はないのではないか。 うーむ、なかなか難しい問題ではあるのだけれど。 そんなことを考えながら一日を終えた帰宅途中、茂木健一郎さんの次の本を購入しました。 ずっと気になっていたタイトルの本です。 茂木 健一郎 筑摩書房 2008-02 by 久し振りに読んだ茂木健一郎さんの本は、文体が熱い(笑)。 「クオリア降臨」などを読んだときの興奮を思い出しました。 とはいえ、なんとなく言葉が像を結びにくいイメージもあります。 確かに専門的な話題も多く扱っているのだけれど、専門用語を抜いても、熱い文体の割には脳内で像を結ばない感じ。 茂木さんの個人的な経験を書きながら、抽象的すぎる。 なんだろう、これ。 引用している知の分子(というか構成要素)が、うまく結合していないような印象です。 という第一印象を保留にしながら読み進めていきたい。 おかげさまで体調も大分よくなりました。 とはいえしばらく文章を書いていなかったら、なかなか書けないものですね。 練習を中断していたアスリートがいきなり走り出したようなもどかしさ、でしょうか。 ブログは逃げていかないので、ゆっくりと書けるときに書いていこうと思います。 自分のスタイルで。 投稿者: birdwing 日時: 23:49 2008年4月 2日 桜が咲いて街のあちらこちらがぼんやりと霞む4月。 はなやいでみえるのは桜のせいだけではなくて、新しいひとたちが東京に溢れているせいでもあります。 入社であるとか入学であるとか、新しい生活をスタートした新社会人や新大学生がどっと増えるのもこの月。 満員電車に乗ることに慣れていなくて、どことなく混雑が余計に窮屈な状態になったりもするのですが、ゴールデンウィークが過ぎる頃には、その混雑も緩和するような気がします。 都会の生活に慣れてきたのか、あるいは社会に疲れて引き篭もっちゃったひとが増えたのか(苦笑)。 サイモン&ガーファンクルに、「4月になれば彼女は」という名曲がありました。 YouTubeからライブの映像です。 ちょっと切ないのですが、まず歌詞がいい。 メジャーコードとマイナーコードがくるくると変わるような曲にぼくは惹かれるのだけれど、コード進行もいいと思います。 それから、3フィンガーのギターもいい。 出会いと別れを時間の流れにしたがって追っていくと物語ができあがる。 名曲の歌詞を、非常に個人的な解釈から掌編小説化すると、次のような感じになるでしょうか。 勝手に物語化してすみません。 クリエイティブ・コモンズのライセンスだったら許されるのかもしれませんが(苦笑)。 やさしい雨で小川の水が溢れる4月、きみはやってきたね。 5月にはいっしょに過ごして、きみを抱いた。 僕の腕のなかで眠った。 でも、6月になると気が変わって眠れない夜を彷徨い歩いたっけ。 そして7月。 きみは飛び立ってしまったんだ。 ひとことも行ってしまうなんてことを告げずに。 8月、僕のなかできみの記憶が消滅した。 あんなに好きだった想いが消えてなくなった。 凍えるように冷たい秋の風が、僕の心を吹き抜けていく。 そして9月になれば、僕はまたきみのことを思い出す。 かつて新しかった恋も、いまはもうずいぶん色褪せてしまったのだけれど。 「August, die she must」をどう解釈するか悩んだのですが、「8月に彼女は死んでしまうだろう」と直接的に解釈するのはいかがなものか、と。 なんとなく村上春樹さんの「ノルウェイの森」のような世界観になります。 なので、主人公のなかで彼女の存在が消滅する、としてみました。 また、きみ=彼女というように、実際のカップルを想定すると恋愛の物語になるのですが、夢とか希望のメタファ(暗喩)として捉えると、もう少し別の物語になる。 追いかけていた夢を見失った青年の話として読み解くこともできます。 入社のときに抱いていた仕事に対する夢を、8月には喪失してしまった、という。 さて、そんなブンガク的な方向から話をまったく別の方向へ転換するのですが、解釈という面から気になった記事をピックアップすると、新社会人の傾向のネーミングです。 社会経済生産性本部の提言によると、今年の新入社員のタイプは「カーリング型」とか。 以下、引用します。 しかし、少しでもブラシでこするのをやめると、減速したり、止まってしまったりしかねない。 また、売り手市場入社組だけに会社への帰属意識は低めで、磨きすぎると目標地点を越えてしまったり、はみだしてしまったりということもあるだろう。 就職は楽勝だったかもしれないが、サブプライムローンの問題等の影響により経済の先行きは一気に不透明になった。 これからも波乱万丈の試合展開が予想され、安心してはいられない。 自分の将来は自分の努力で切り開いていくという、本人の意志 石 が大事になろう。 うーむ。 うまい・・・といえるのかもしれないけれど、どうだろう。 余計なお世話だ、という気もします(苦笑)。 山野美容短期大学の名誉教授である森清さんを座長(座長って・・・)として、斉藤幸江さんのような就職・採用アナリストをメンバーに加えた4名の「職業のあり方研究会」で命名されているそうです。 だいたいこういうネーミングはわかりやすいので、すぐ流用して多用しはじめるおじさんなどが多いのですが、ぼくは全員を同じ傾向で括ってしまう姿勢が気に入らない。 というよりも括ることによって、逆に現実自体をその方向へ変えてしまうこともあるのではないか。 心理的に大衆を操作、とまでは言わないけれど。 というのは占いに近いものもあって、たぶんそういわれたら誰でも外れることはないと思うんですよね。 新入社員ではないぼくだって、カーリング型っていわれたら、そうかな?と信じてしまう。 ボーナスというゴールであるとか、評価という「ブラシ」がないと失速するわけで。 社会的にネーミングを面白がっているだけではなく、ではどうするのか、ということまで考えないと提言にならないような気もしました。 もちろんこの提言のなかには、「自分の将来は自分の努力で切り開いていくという、本人の意志」が重要であるという言葉があるのだけれど。 しかしながら、時代の傾向を一語で切り取る視点の鋭さは見事です。 そこには、メタファとして、前進するモチベーションの維持=カーリングというなぞらえ方も効いている。 ひょっとしたらその背後には、膨大な意識調査であるとかヒアリングのデータがあって、最終的にこの一語にまとめられたのかもしれません。 思考のあざやかさ、最終的にシンプルにわかりやすくまとめる仕事は見習いたい。 というわけで、ぼくはといえば、セルフカーリングでいきますかね。 自分に自分でご褒美を与えて、ゆるゆると自分を前進させていく。 目的地がどこなのかわからないけれど(苦笑)、人生と言うのは全般的にカーリングのようなものかもしれない、などと乱暴に括ってみて収拾がつかなくなりました。 やれやれ(と、村上春樹風に終わってみる)。 投稿者: birdwing 日時: 23:33 2008年3月29日 春は、どこかへ出かけたいような、身体を動かしたいような、何かを終わらせて別のことを始めたいような、要するに心機一転したいような、それでいて過去を大切にしたいような(けれども途方もなく眠い)季節です。 先週の日曜日には、昼間からビールを2缶空けてよい気分だったのですが、こりゃちょっと休日の過ごし方としては緩くないか?ということで、息子(長男くん)と渋谷へ行って卓球してきました。 なぜか卓球(笑)。 といっても、長男くんは小学校で卓球クラブの課外活動をやっているそうです。 ラケットを買ってあげたりしていたので、マイラケット持参で渋谷まで行ってきました。 花粉症のマスクをして非常にテンションの低い長男くんは、行っても行かなくてもどーでもいいような顔でした。 というよりむしろゲーム三昧の日曜日のほうがいいという顔なのですが、そんな彼を無理やり連れ出して、酩酊70%の父は、息子とふたり電車に揺られて休日の渋谷へ繰り出したわけです。 まず行き慣れない渋谷の東口方面で迷った。 そして若者たちの雑踏にくらくらした。 ついでに30分760円の卓球は高くて困惑。 けれども、久し振りに少しばかり身体を動かして爽快でした。 酔いも抜けたし。 今日は晴れたり曇ったりの一日でしたが、東京のサクラは満開。 髪を切ってさっぱりして、近所のサクラを眺めながら散歩しました。 そのときのショットです。 ついでに図書館に行って本2冊とCD3枚を借りてきました。 図書館の近くの植え込みには白い水仙のような花が咲いていて、なんだか懐かしい匂いがする。 子供の頃を思い出すような匂いです。 ネットを通じて匂いまで届けることができればいいのだけれど・・・難しいですね。 借りたのは次の本。 長男くんの折り紙飛行機研究から、ちょっと折り紙に興味が沸いてきたので。 桃谷 好英 誠文堂新光社 2000-02 by 布施 知子 誠文堂新光社 2005-05 by いやーしかし箱の折り紙は最初で躓いた。 難しい。 これ、できないかも(泣)。 つづいて借りたCDはハーゲン弦楽四重奏団のモーツァルト:弦楽四重奏曲 第15番 ニ長調 K. 421 417b 、キップ・ハンラハン・アンド・ジャック・ブルースのアルバムとこれ。 セロニアス・モンク ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル 2003-12-17 by 「ソロ・モンク」は、CDショップのカフェ・ミュージックのコーナーで試聴していました。 なかなかよかったので買おうか買うまいか迷っていたのだけれど、図書館にあってラッキー。 ありがとう、図書館。 それにしても、どうして図書館のCDはオーソドックスなのか突拍子もないのか、びみょうなアルバムばかり置いてあるんでしょうね。 ロジャー・二コルスがあってびっくりしたのですが、「ビー・ジェントル・ウィズ・マイ・ハート」でした。 名盤や定番のアルバムはないのですが、妙なこだわりのあるチョイスになっているような気がします。 ネットでダウンロードして音楽を購入でき、図書館の蔵書はデジタルでアーカイブ(保存)されつつある時代です。 けれども、ぼくは新しいメディアの恩恵を十分に理解したり歓迎している一方で、それでもアナログなCDショップや図書館という場所を肯定したいと思っています。 効率化から考えたら、そんなもの不要ですよね。 NGN(Next Generation Network:次世代ネットワーク)によって、テレビとネットの融合が加速されつつあります。 したがって、オンデマンドによる映画の配信もより身近になっていくことでしょう。 レンタルビデオショップに行かなくても、自宅でビデオをダウンロードして観ることができるようになる。 それでもやっぱり、リアルなレンタルビデオ店とか、図書館は残っていてほしいなあ。 要するに人が介在して借し出す場所は、モノのレンタルそのものだけでなくコミュニティとして意義があると思います。 もちろんネットにおいてもアバターやバーチャルボディなどを使えば人間的な質感のあるサービスは可能だと思うのですが、貸し出しのときの笑顔だとか、ちょっと困った顔だとか、そうした表情は体験できない。 さらに、いまのところ図書館の本の匂いであるとか、窓から光の差し込む具合だとか、そんなリアルな空気感も体験することは不可能です。 また、リアルな場所の確保は、そこで働く人材や雇用の創出もできると思う。 本や音楽のコンテンツだけ入手できればいいのだと効率化の観点から割り切ってしまうと、付随的な感覚や面倒なことはすべてノイズであって、排除しても問題ない。 けれども、その無駄なものが結構大事だったりします。 そもそも春の休日に図書館まで歩くことは健康にもよかったりする(笑)。 参加したことはないけれど、地域のコミュニティで行われる講演や朗読会のようなものも、レベルが低いとか参加者が集まらないとかの問題だけでなく、実施していること自体が重要な場合も考えられます。 などと考えながら、なんだかぼくも老人になりつつあることだなあと思い、微笑ましくなりました。 老人結構。 どんなに威勢のいい若者も年をとります。 アンチエイジングも大切だけれど、衰えていく身体や脳ときちんと向き合ったり、覚悟を決めることも大事でしょう。 年相応の生き方もある。 若い頃には無駄に身体を鍛えて腹筋割ったり、無駄に遠征したり、無駄に酒を飲んだりしたものですが、年をとってそんな無駄なことをしなくなった反面、かえって別の意味で無駄を楽しめるようになってきました。 心に余裕ができたからかもしれません。 他人と比較して無駄にしゃかりきになることもなくなったけれど、自分の大切なものに対しては無駄に熱中したり没頭できる。 その取捨選択ができるようになったことを、われながら褒めてあげたいですね。 老いた気分にはなりたくないけれども、精神的に成熟したい。 無駄に目くじらを立てるのではなく、無駄を許容できることは、ある意味オトナだと思います。 ブログや趣味のDTMによる音楽制作も、無駄であっていいと思うんです。 もちろん無駄じゃなくて、儲け第一で稼ぎが多ければ多いほどいいというスタンスでやることも間違いではありませんが、ぼくは(個人的な見解としては)人生における膨大な無駄で構わないと思っています。 無駄だけれど、いちばん尊いし、適当にやるのではなくてあらゆるものを注ぎ込む。 無駄に対して真剣に取り組みたい。 かつてぼくはブログや趣味にも、ビジネスライクな目標管理の視点を導入したことがあったのですが、疲れちゃいました(苦笑)。 ただでさえ仕事で疲れがちなのに、プライベートでさらに疲れてどうする、という。 しかしながら、ほんとうに熱中しているときは、人間疲れを感じないものです。 作曲家の江村哲二さんも本に書かれていましたが、何時間でも集中できる。 趣味のせいで、とか、趣味のために、という発想自体がなくなる。 そもそも無駄とか有益だとか、そんな発想自体がなくなる。 究極の理想としては、そんな風に生きてみたい。 ということを前提として、まずは無駄ウェルカムの方向で、春を楽しみたいものです。 のんびりと、やわらかい風に吹かれながら。 投稿者: birdwing 日時: 22:41 2008年2月16日 考えることが趣味ともいえる自分ですが、風邪をひいて寝込んでしまって頭の切れが悪いです。 熱は下がったのだけれど喉が痛い。 関節もちょっと痛んでいます。 あったかくして寝よう。 でも寝るのが惜しい。 ああ、どうすれば(苦悩)。 考えるテーマはいろいろとあるのだけれど、先週久し振りにDTMに着手したこともあり、クリエイティブとは何かということを考えていました。 すると、お気に入りのブログで紹介されていた以下の本のことを思い出して気になって、どうしても読みたくなったので火曜日に購入。 これです。 茂木 健一郎 江村 哲二 筑摩書房 2007-05 by 音楽は「考える」ものではないかとも思うのですが、考えなくてもいいものまで考えがちなぼくにはうれしい。 あまりの面白さにぐいぐい読んでしまい、木曜日には読了しました。 脳科学者である茂木健一郎さんと、工業大学出身でありながら独学で作曲家の道に進んだ江村哲二さんの異色の対談なのですが、考えどころ満載です。 面白すぎる。 いちばん注目したのは「自分の内なる音を聴く」ということなのだけれど、美味しそうなので後日に取っておくことにします(笑)。 そこで別の側面をクローズアップします。 創造性の背景には危機がある、ということです。 対談のなかで、江村さんが12時間ずっと楽譜を書き続けていたことがある、という体験をお話するのですが、それを「一種のフロー状態」という言葉で括って、茂木さんは「そういう状態のときには生命の危険とか感じませんでしたか?」と質問します(P. 172)。 そして次のようにつづけます。 茂木 脳には、あるところでブレーキをかけるという安定化機能がホメオスタシスとして備わっています。 フロー状態というのは、その制限をかけているタガを外してしまった状態ですから、それをどう外すかということは生命体にとっては深刻な問題なのです。 ホメオスタシスは恒常性ですね。 一応、Wikipediaから引用しておきます。 恒常性 こうじょうせい 、ホメオスタシス(ホメオステイシスとも)とは、生物のもつ重要な性質のひとつで、生体の内部や外部の環境因子の変化にかかわらず、生体の状態が一定に保たれるという性質、あるいはその状態のこと。 生物が生物である要件のひとつであるほか、健康を定義する重要な要素でもある。 生体恒常性とも言われる。 19世紀のクロード・ベルナールは生体の組織液を内部環境とし、 20世紀初頭にアメリカ合衆国の生理学者ウォルター・B・キャノン Walter B. Cannon が「ホメオスタシス」 (同一の homeo 状態 stasis を意味するギリシア語から造語)と命名したものである。 趣味のDTMになぞらえて考えると、リミッターというエフェクターがあります。 過剰なインプットがあったときに、その音を抑えるように働く。 音が大きければ大きいほど作用して、一定のレベルに押さえ込む。 ただ、レベル以下のときには作動しません。 そのままの音をアウトプットする。 コンプレッサーの機能の一部なのですが、恒常性とは、そのエフェクトのようなものと考えてよいのではないでしょうか(乱暴すぎますか。 苦笑)。 江村さんのような偉大な作曲家となぞらえるのはおこがましいのですが、創造の過程で共感したのは、ぼくも集中してDTMをやっていると時間を忘れてしまうことがある、ということでした。 眠らず、食べず(飲むことはあります。 ビールだけど)、気が付くと鳥が外で鳴いていたりする。 さらに創作にのめり込むと妙な恐怖感に襲われることがあるんですよね。 これ以上は踏み込んではいけない領域なのではないか、のような。 ちょっと神がかり的な状態です。 これは音楽だけでなく、文章を書いているときにもたまに遭遇する感覚です。 これが精神のリミッターというか恒常性のようなものではないかと考えました。 創作する主体が、精神的もしくは身体的に危機的な状況に置かれると発動して、あちら側(いわゆる非日常)へ行ってしまわないようにする。 そもそも何かに集中しすぎる状態というのは、一種の自閉的な状態でもあり、原始的な状態でいうと外敵から襲われやすい状態にあります。 ぼーっと人生について考え込んでいるシマウマがいたとしたら、ライオンに食べられちゃいますよね。 思考している状態というのは一種の無防備な危険な状態にあり、それを制御するために生物の本能的な制御がかかるのかもしれません。 というか、どこかで読んだっけかな?この話。 その制限を突き抜けたところ、つまりタガを外したところにアートの世界があるのではないか、と考えたりしたこともあったのですが、同様のことが池谷裕二さんと糸井重里さんの「海馬」という本にも書かれていました。 この本を読んで「」というエントリーで取り上げたこともありました。 昔の芸人さんは、たくさん恋愛をしなさいということをよく言われたようです。 はちゃめちゃな事件を起こすことも多かった。 同様にブンガクをやる人間や芸術家は、許されない恋をしたり酒に溺れたり薬をやったり、さんざんな放蕩生活をして、ぎりぎりのなかで結晶化した作品を生み出していたかと思います。 人間の身体はよくできていて、痛みを感じると脳内麻薬のようなものが出て痛みを和らげますよね。 美しい音楽や文学は、それ自体が麻薬のように人生のさまざまな痛みを和らげます。 だから、過剰な辛さや苦しさによって人間が押し潰されないように、美しい芸術などが生まれたのかもしれない。 しかし、まったく苦痛がない世界がしあわせかというと、そうではないでしょう。 たぶん過剰にしあわせな世界に長期的に暮らしていると、進歩がなくなってしまう。 だから、平和や喜びに溢れすぎている状態も生体にとっては危険ではないか。 その危険を回避してバランスを取るために、破壊的なロックやアートが生まれるのかも。 というのはいま、ひとりの人間内の恒常性として考えていなくて、社会全体をひとつの生体として考えたときの恒常性です。 ガイアとかホロンとか、そんな発想っぽいところがありますけれども。 黒川伊保子さんの「ことばに感じる女たち」という本を読んでインスピレーションを得たのですが、日本語の乱れは表面的にみると悪しき傾向かもしれないけれど、その傾向によって救われているひとたちもいるわけです。 あるいは、インターネットや携帯電話やゲームなどの機器は確かに次の世代の子供たちに悪影響を及ぼしているかもしれないけれど、ではその悪を取り除けば社会はよくなるかというと、必ずしもそうではない。 その悪しきものによって救われたり、ライフスタイルを進化させたりしているひともいるわけです。 当たり前といえば当たり前なのだけれど、社会にはさまざまな恒常性(的な何か)が複雑に絡み合って、微妙なバランスを取っているものかもしれません。 その平衡感覚を維持しながら、破滅しないぎりぎりのところまで精神を危険に晒せるひとが、美しい何か・・・・・・切ない旋律であったり、透明な音であったり、ラジカルな文章であったり、激しく心を揺さぶる色であったり、そんなものを生み出せるのではないか。 といっても微妙ですね。 タガを外したときに及ぼされる力が強くて制御の力が弱いと、あっちの世界に行っちゃいますからね(苦笑)。 ただ、やはり自分自身を危険に晒す覚悟がなければ、何事も成せないような気もします。 危険は変化と置き換えてもいいと思うのですが(というのは自分が変わるということは、怖い=危機的な状況なので)、とんでもない変化に晒されるときに大きな創造のチャンスが得られるのではないか、と思っています。 特に芸術家であればなおさらのこと。 考えてみると、さまざまな危機が地球上の生物を進化させてきたのではないでしょうか。 いまぼくらが直面しているのは、地球環境の問題や情報過多による危機かもしれないけれど、その危機をきちんと受け止めることが大事ではないかと、あらためて考えました。 ほんと怖いし、憂鬱なことが多い。 でも、怯えるのではなく、逃げるのでもなくて、ただありのままに受け止める。 危機から生まれるのはアートだけでなくビジネスかもしれません。 ただ、その危機感が大きければ大きいほど、振幅を揺り戻すようにして何かとんでもないものが創造できるのではないか、という期待もあります。 危機を楽しんでいるようで不謹慎かもしれません。 あるいは楽観主義すぎる気はするのだけれど、安定した平凡な生活から生まれるものって、どこかやっぱりエッジがぼけてしまうんですよね。 別に好き好んで不幸になることはないと思うのだけれど、創造の場において危機感(言い換えると緊張感。 よい意味でのストレス)は重要ではないかと考えました。 投稿者: birdwing 日時: 23:39 2008年1月20日 「新風舎出てるよ」と奥さんに呼ばれたのでテレビのところに行ってみると、ちょうどニュースで自費出版大手の新風舎が倒産したという記者会見が行われているところでした。 久し振りにみた松崎くんは引き締った顔をしていて(そりゃ当然だろう)、ぼくにはどこか凛としてみえた。 以前よりも痩せたのではないだろうか。 健康そうだからちょっと安心したけれど。 と、なれなれしく呼んで大変失礼かと思うのだけれど、実はぼくは高校のときに新風舎の社長である松崎義行くんと知り合い、まだ会社ではなく同人誌で運営されていた新風舎に参加していた時期もあったのでした。 それほど仲がよかったわけではなかったけれど、彼がマガジンハウスの「鳩よ!」という雑誌で連載を持っていたこととか、あるいはビジネス系雑誌で取り上げられていたことなどを遠くから眺めて、眩しく思っていた時期があります。 と、ここでおじさんはまた過去に思いを飛ばすのですが・・・(最近ノスタルジーばかり)。 研数学館に通う予備校生として上京後、まともに受験勉強していたのも束の間、勉強もせずに余計なことばかり考えていたようなわたくし(苦笑)は、松崎くんの家に泊まって、詩とか映画がどうあるべきかの話をしたこともありました(全部話した内容は忘れたけど)。 大林宣彦監督の映画を教えてもらったのも彼からだったし、「ベルリン天使の歌」などの映画も観にいった気がする。 ねじめ正一さんがU2のレコードをバックに詩を朗読する、という困惑するような新風舎のイベントに参加したこともあったし、TILLという同人誌に参加していたこともあります。 新風舎の倒産報道を視聴しながら、そんな過去のさまざまなことを思い出したんですよね。 ところで、そもそも若かりし頃のぼくが詩に関心を持ったのは、非常に不純な動機だったと思います。 要するに、小遣いがほしかった、という。 旺文社から出ていたVコースという雑誌に詩の投稿を募集しているコーナーがあり、そこで入選するといくらかの図書券がもらえることを知り、応募したのが詩を書き始めた最初でした。 選者はかなり有名な詩人の方でした(誰だったか忘れた)。 図書券もらえるならやってみるかー、ということで投稿をはじめたのだけれど、なかなか入選しない。 ところが、毎回のように入選しているとんでもないひとがいる。 それが松崎義行というひとでした。 こいつは何ものだ?と思っていたのですが、ある日、文通欄(苦笑)のようなところに、文芸の同人誌をやりませんか、のような松崎くんからの告知がありました。 そこで早速手紙を出して、松崎くんとの交流がはじまったわけです。 まだインターネットもない時代で、田舎もののぼくは東京の見ず知らずのひとに電話する勇気もなかったので(ついでに携帯電話もない時代だったので)、毎月文通のようなやりとりでした。 ちなみにVコースの詩のコーナーにはいつも掲載される常連が他にもいて、ぼくは上京してからもうひとりの常連さんと電話で話したことがあります。 ものすごく硬派なブンガク系のひとで、「きみの詩はいい。 きみは詩を書き続けるべきだ!」と激励されました。 腰砕けなわたくしは「いやあ・・・もう詩はやめちゃおうと思うんですけど、だめですかー」のような脱力した回答をして、彼を黙らせてしまったような気がします。 ところで、高校のときには新風舎は同人誌なので会費を徴収して運営していたのですが、その方針あるいはスタイルが加速して、現在の新風舎の問題にもなっていったような気がします。 自費出版のビジネスモデルで儲けるために、本を出したいひとを騙して、お金を毟り取る営業スタイルが問題になっていました。 詐欺商法のようなことで訴えられていたりしたようです。 「」のような記事に詳しく書かれています。 訴えるひとたちの気持ちもわからないではないですね。 というか、ぼくもかつては、同人誌はもちろん商業誌に自分の作品や名前が載ることで(あるいは載らないことで)一喜一憂したものでした。 名前が載ったときには、妄想が膨らんで困ったものだ。 少年の頃に限らず、数年前にも企画のコンテストに応募して連続入賞して、ちょっとした小遣いを荒稼ぎなどしていたのだから困ったものです。 変わらんなー、10代の頃から(苦笑)。 でも、自分の筆の力で金を稼ぐという、傭兵的な何かが結構気持ちよかったんですよね。 フリーライターの方はみんなそうかもしれませんが。 そうして自分の名前が載ったり好きなことでお金を稼ぐだけではなく、できれば自分の本を出したいという想いはありました。 本を作るだけでなく、書店に並べたい。 ベストセラーになるといいなーと。 先日、仕事でとあるベストセラー作家のインタビュー取材に同行したのですが、ものすごい豪邸でびっくりした。 圧倒されたのだけれど、やはりかすかに羨望だけでなく嫉妬もある。 そんな欲があるのは、ふつうじゃないですかね。 新風舎の詐欺問題に関していえば、知人もしくは友人だから擁護するわけではないのだけれど、自費出版に過剰に夢を抱きがちなアマチュアにも問題があるのではないか、とあえて言いたいと思います。 というのは、ですね。 もし本気で作家になりたいと思うのであれば、自費出版とかその程度で甘んじていてはいけない。 自費出版は最後の手段でしょう。 本気で本を出したいのなら、次のようなことを考え、行動すべきではないか、と。 つまりですね、自分では勉強もしない、調べもしないし努力もしないで、パッケージ化された他力本願による自費出版という安易な道を選びながら、夢を買うのが高いとか詐欺だとか叫ぶ表現者はどうかと思う。 ぼくの私見では、そういうことだけに拘ったり熱くなるひとは、表現者としては三流ですね。 そんなことを声高に叫んでいる暇があるのなら、一文でも書け、あるいは売り込みに出ろ、と言いたい。 熱意の向けどころが違うんじゃないか。 音楽だってそうじゃないですか。 プロとしてデビューするためには、音楽が大好き!という気持ちだけでは通用しない。 運もあるだろうし、努力も必要です。 才能は大事だし、政治的な力だって求められる。 最終的には自分の力だろ、という気もします。 こんなにお金をかけたのにうまくいかなかった、詐欺だ、というひとに対しては、お金をかけなきゃいいじゃん、とシンプルに思う。 夢にかけた費用に唾を吐く人間は、夢を追う資格がないんじゃないですか。 もちろんその夢につけこむ詐欺も問題だと思いますけど。 純粋に表現したいのであれば、いまの世のなか、ブログがあるじゃないですか。 印刷物に、本に拘る理由はいったい何でしょう。 金儲けをしたいのであれば夢で儲けなくても仕事を探せばいいと思うし、名声がほしいのであれば自費出版なんかやってるんじゃないと言いたい。 自費出版で名声が得られるわけがないでしょうが。 本を作っちゃいましたと知り合いに自慢したい欲求を満たすことはできても、その本を買うかどうかは読者の問題です。 流通したかどうかの問題ではないような気がする。 ぼくは利用者・消費者も、もっと賢くなるべきだと思います。 ネットに関するあれこれにも言えるのかもしれないけれど、たとえばセキュリティにおいても自衛のスキルが必要になるのではないか。 プロバイダが、ソフトメーカーが不備だったと責めるのも妥当ですが、自分自身も防御の力をつける必要がある。 一方で別の視点からは、自費出版が低迷しはじめたのは、やはりブログなどの個メディアによって、ネットで簡単に表現ができるようになったこともある。 本を出すことが偉いという信奉者は多いのだけれど、そうではない表現者も増えてきているのではないでしょうか。 いまだにアクセス数や発行部数に拘るひとが大多数だと思いますが、ぼくなんかは最近、そうした呪縛から離れつつあります。 そして、離れてみると、ものすごく幸せだったりします。 +++++ 16日に、茨木のり子さんの「倚りかからず」という詩集を読み終えました。 茨木 のり子 by 詩集は、他の本とは読んでいる時間の密度が違う気がしました。 文字が少ないからすぐに読み終えるのだけれど、そんな速読が通用しないのが詩集ではないか、と。 ゆっくり読むのがふさわしい。 ご飯をよく噛んで食べるように、詩集は言葉の味を愉しみながら読むものでしょう。 それにしても、見栄とか体裁とか、勝ちとか負けとか、名声とか数字とか。 そんなものに「椅りかからず」に生きていきたいものですね。 +++++ 数年前、外苑前の洋食屋さんで松崎くんと昼ごはんを食べたことがありました。 ものすごい久し振りに会った彼は、「社長よりも詩人でいたい。 表現者でいたい」というようなことをぽつんと言っていたことを思い出しました。 きっと会社が大きくなるにつれて、いろんなひとが集まり、いろんな思惑に動かされ、自分のやりたいことが見えなくなったのかもしれない。 谷川俊太郎さんとも交流があった彼は、「ワッハワッハハイのぼうけん」という本を新風舎で復刻させたのだけれど、8歳のときにこの本を読んで出版社を作ろうと思った、というような松崎くんのメッセージのハガキがこの本には挿入されていたような気がします。 熱風書房(新風舎の直営書店)で購入して、ぼくは長男くんに読ませたところ、すごい気に入ってくれた。 長男くんの描くへたっぴな絵は、この本の和田誠さんの挿絵にちょっと似ている。 谷川 俊太郎 by 新風舎に騙された、詐欺にあった、と訴えるのもいいでしょう。 しかし、憤って新風舎を吊るしあげる表現者たちは、いったい他人にどれだけの影響を与えたのか。 誰かの人生を変えるほどの衝撃を与えたことがあったのか。 ぼくは松崎くんには書き続けてほしいと思います。 失敗は、失敗だと思うから失敗であって、成功への途上であると考えれば失敗ではない、と誰かが書いていました。 というよりも、会社以外のところに、松崎くんのやりたかったことがあったのではないか。 だから会社を失ったとしても、彼のやりたいことはまだ残っているんじゃないか、と思っています。 頑張ってね、松崎くん。 いまは逆風かもしれないけれども、新しい風が吹きますように。 投稿者: birdwing 日時: 00:00 2008年1月 8日 感情の起伏というのは誰にでもあるものだけれど、ぼくも時々テンション高くなったり逆にむっとしてみたり、話をしている途中で機嫌を損ねたり拗ねてみたくなったりすることがあります。 先日もとあるひとと話をしているうちに、なんとなく機嫌が悪くなった。 かちーんとくることがあって、今日は話をしたくないな、と思った。 けれどもそのときに相手が「やめないで話をしましょう」と言ってくれたので、しぶしぶ話をしているうちに少しずつこわばりが和らいでいきました。 そして最後には心を覆っていたもやもやが消えていました。 すっきり。 後で考えてみたのですが、非常にありがたいことだったな、と。 やめないで話を継続してくれたひとに感謝したい、と思いました。 気に入らないときに、さよなら!と断絶してしまえば、確かに気分的にはそれ以上悪くなることはないでしょう。 けれども逆に、もう少し付き合っていればもっとわかりあえるはずだった関係さえも捨ててしまいます。 悪くはならないが、突き抜けたよい状態にもならない。 持続させること。 もし自分にとって価値のあることであれば、停滞する時期があっても長期的な視野のもとに地道に努力を続けること。 やめないこと。 これは大事ではないか。 ということを考えていたら、いま読んでいる原田永幸さんの「とことんやれば、必ずできる」という本にも似たようなことが書いてありました。 原田 永幸 by 原田永幸さんは、アップルコンピュータの社長からマクドナルドの社長へ、という経歴を持たれていて、要するにマックからマックへという転身が面白いのですが、非常にやわらかい言葉で真理を突くようなことを語られています。 これもまた先日読み終えた、ダイエーからマイクロソフトの社長となった樋口泰行さんにも通じるのだけれど、やはり異なった業種であっても力を発揮できるリーダーというのは、思考がやわらかく、さらに熱い。 専門性を究めていると同時に、どんな領域においても原動力となるパワーを秘めている。 特に、原田永幸さんは趣味で音楽をやられている。 この部分がぼくにも、おお!と共感する何かがありました。 なんとドラムを叩かれていて、「最高齢のミュージシャンデビュー」の記録を作ることを夢とされているとか。 いいなあ。 引用してみます(P. 16)。

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同じような構図の写真みつけた。 net バラの儀式公演M14:哲学の森 指原莉乃、島崎遥香、松井玲奈、渡辺美優紀、山本彩、横山由依、北原里英、高城亜樹による8人ユニット曲です。 -- 、, / \ ,? パステルカラーの衣装、セットのポップな作品となっています。 ちょっとユーモラスな描写も混じっています。 指原さんが一人だけみんなとはズレた動きをしたり、ラジオ体操みたいな振りが入ったり、童話の「大きなかぶ」みたいな動きもあったりと、全体的に明るい演出がなされています。 重い歌詞にポップな曲、コミカルな振付にパステルの映像。 ミスマッチを通り越して、シュールな世界になっています。 net 【告知】 今こちらでIDありの新板申請について話し合いを行っております 【重要】 2ch管理人drunker 「ID制の新しいAKB板を作ります。 net 上記スレに書き込みする際は名前欄に「! おうち帰ったら復習だー!!! 写真載せ忘れておりました… バイオハザードの舞台を観に来てくれたなっちゃん先輩とわかにゃんぱいちゃん 久しぶりに会えて嬉しいなっ。 -- 、, / \ ,? 71 ジェイソンおめちゃ あきちゃ応援スレでラグビーの話題というスレチなネタバレについて言及してんだろ。 あきちゃ関連でネタバレとか頓珍漢な回答もいいとこ。 こういう説明責任とか言ってるやつも重箱の隅をつつくような人間。 だれに責任が掛かるんだよって返すとたぶん自分のアイドル論を押し付けてくるやつ。 net 無職だと平日のイベントいきまくれる。 まじでおすすめ。 朝は目覚ましなしで起きるし、ストレスフリーですわ。 net _ _ ,. / ヽ! 、 ,:::! ヽ::::ノ ヾ::ン! 丶 ー-一 /. ;;_,,.. net まずくない。 ディベートがしたいなら余所でやればいいんじゃね。 net おっとこいつは失礼。 net 子供の喧嘩かよ。 お互い自分にはまったく非はないと思ってるっていうね。 net 建設的じゃないからw 誰も興味ないんだよそんなこと。 -- 、, / \ ,? net ヤクザグッズ品揃え豊富山口組各組織バッチ、住吉会。 稲川会、広島共政会。 net あきちゃはこれくらいの髪の毛の長さがいいな! -- 、, / \ ,? net うーんショートいいかなと思ってたけど、やっぱロングの方がいいのか。 髪色も良いね。 net まったくw そろそろ学習しようぜ。 こういうのに反応しちゃダメなんだよw せっかく話題が変わったような感じだったのに、唐突に出してみて反応待ち。 それで頓珍漢な回答してぐだぐだにするっていう。 近頃の流れ見てりゃわかるっしょ? むしろすごい分かりやすかったんだが。。。 こいつも対立廚。 うんざりさせてスレから人をいなくさせるのが目的。 残念ながらアンチにマナーもモラルもないんだよね。 : 'e' :. \\ /. net ,. net 当然のことかな?まぁそういわれればそうかもしれないし。 ID非表示になってから出た話ってこともあるなら、そうでないかもしれないしw 問題なのはもっともらしい話を持ち出して、荒らしてる輩がいることじゃないのかね。 で普通終わるところを、公演中に弁明がないとか説明責任があるとか言うのは、 どう考えてもおかしいでしょ? こういうつい言い返したくなるような事を言って、反応を待ってるんだよ。 たぶん。 net たしかに足を怪我したことで仕事が減り、露出が減ったのは選挙前ということもあり痛かった だけどそれ以上に大きかったのはファン慢心だろ。 あそこで16位に入ってればその後の扱いも大きくかわったよ。 きたりえまでもいかなくても、 そのくらいファンはついてきてたかもしれない。 net とりあえず俺がこれまで言ってきたことは、アンチがそれに便乗して、荒らしてるってこと。 それはスルーしようねってこと。 そこまでの完璧を求めてないし、配慮しろなんて思わないし、おかしいとも思わない。 だからどうでもいいと言った。 説明責任とか言ってたやつもいたが、おまえはそこまで言わんよな? こんな話題掘り下げても何も面白くないと思うが、まぁせっかくレスくれたので最後に。 net 2015年11月16日(月)・17日 火 の劇場公演予定が決定致しましたのでお知らせ致します。 なお、演目・開演時間は変更となる場合がございますことを予めご了承ください。 各公演の出演メンバーは決定次第ご案内をさせていただきます。 ご理解・ご了承の程、よろしくお願いいたします。 net さて、まぁ明日か〜。。。 思えばパチンコ新規であきちゃ推しになってから、フレンチのことも知ってって感じだったな。 これが一つの節目になるね。 現地組は感想とかよろしくお願いしますね。 , ,. :l: : : : :! : : : : : : : :ハ 'r- \. 小学生の頃あるある。 おはようございます。 18 ID:AnLTJGQ901111. 67 ID:ccqV8dHY01111. 95 ID:AnLTJGQ901111. 09 ID:RT2lv00L01111. 45 ID:gcu32Jb301111. 03 ID:gcu32Jb301111. 結構前かも。 Twitterアップデートしたら難しすぎなんか字も大きいし…らくらくフォンくらい大きいよね?これみんなそうなの?まあいいや、、 堂上教官のツンデレがたまらなかったです。 身長差萌えです。 隣のあきちゃが号泣してました。。。 42 ID:29JPZHXLd1111. 10 ID:gcu32Jb30. 44 ID:gcu32Jb30. 02 ID:gcu32Jb30. 14 ID:N88JcyaB0. 86 ID:npzmAGTH0. 78 ID:L0ZviJm00. 93 ID:tcdabHUpd. 57 ID:tcdabHUpd. 06 ID:VNkGFq9U0.  ̄ "  ̄( ノ. \ """" v,,, _,_,,, ,,/l ::::... ,,,,傘傘傘::::::::傘傘傘............... 61 ID:WDQ8Djgt0. 肌の質は負けてない!? AKB48の高城亜樹が久々にフル出演した劇場公演を終えてホッとした表情をInstagramで公開している。 同じステージに立った達家真姫宝も並んで写っているが、「復活」したばかりの高城に比べて弾けるような笑顔が対照的だ。 それでもフォロワーからは「あきちゃ、かわいい」とコメントが寄せられるように、彼女のきめこまやかな肌はアップになっても美しい。 「足完全に治ったんだね。 よかったよかった!」「足、大丈夫だったかな? 心配です」と彼女の体調を気づかうコメントとともに、「かかか…可愛いですね」とその表情に見入るファンも出ている。 「あきちゃ可愛すぎる」「めっちゃかわええ」といつも以上に反響が大きいのもそのためかもしれない。 高城亜樹の醸し出す魅力はまだまだ若手に負けないようだ。 49 ID:VNkGFq9U0. 08 ID:tcdabHUpd. 94 ID:WDQ8Djgt0. 28 ID:a9f7SKJAd. 11 ID:p64oegYY0. 07 ID:npzmAGTH0. 64 ID:IDsSK0O1K. 85 ID:VNkGFq9U0. 60 ID:WDQ8Djgt0. 67 ID:VNkGFq9U0. 19 ID:VNkGFq9U0. 17 ID:jNpf44rod. 71 ID:1lGQa6n1d. net 避難所から転載 ナベのHPから 「北九州見チャリ! 」出演! 北九州市の7区の魅力を自転車で巡って紹介するPR動画「北九州見チャリ!」。 11月下旬から配信する「八幡西区編(#3)」には、北九州市観光大使を務める高城亜樹も登場します。 90 ID:3aNHfe9H0. net SNHのAKBINGOともいうべき番組で、 スタジオライブで、「心プラ」「炎上路線」「恋チュン」の3曲が披露。 「炎上路線」が「心プラ」「恋チュン」のシングル表題曲と同格扱いなのが面白い。 歌っているのはSNH総選挙3位の李艺彤(ニックネームはカチューシャ)と、 SNH総選挙12位の馮薪朵(ニックネームはななし)。 83 ID:jNpf44rod. 38 ID:5PleXC3u. 66 ID:5PleXC3u. 56 ID:5PleXC3u. 89 ID:5PleXC3u. 59 ID:5PleXC3u. 42 ID:5PleXC3u. 54 ID:5PleXC3u. 55 ID:5PleXC3u. 94 ID:5PleXC3u. 21 ID:5PleXC3u. 81 ID:5PleXC3u. 69 ID:5PleXC3u. 34 ID:5PleXC3u. 37 ID:5PleXC3u. 29 ID:5PleXC3u. 94 ID:5PleXC3u. 59 ID:5PleXC3u. 36 ID:5PleXC3u. 60 ID:5PleXC3u. 10 ID:5PleXC3u. 43 ID:5PleXC3u. 23 ID:5PleXC3u. 44 ID:5PleXC3u. 18 ID:5PleXC3u. 11 ID:5PleXC3u. 84 ID:5PleXC3u. 17 ID:5PleXC3u. 59 ID:5PleXC3u. 05 ID:5PleXC3u. 19 ID:5PleXC3u. 30 ID:5PleXC3u. 90 ID:5PleXC3u. 09 ID:5PleXC3u. 76 ID:5PleXC3u. 24 ID:5PleXC3u. 57 ID:5PleXC3u. 89 ID:5PleXC3u. 25 ID:5PleXC3u. 28 ID:5PleXC3u. 87 ID:5PleXC3u. 23 ID:5PleXC3u. 98 ID:5PleXC3u. 11 ID:AlU1Hh2k. 91 ID:AlU1Hh2k. 06 ID:AlU1Hh2k. 64 ID:AlU1Hh2k. 25 ID:AlU1Hh2k. 57 ID:AlU1Hh2k. 77 ID:AlU1Hh2k. 86 ID:AlU1Hh2k. 09 ID:AlU1Hh2k. 29 ID:AlU1Hh2k. 13 ID:AlU1Hh2k. 37 ID:AlU1Hh2k. 19 ID:AlU1Hh2k. 27 ID:AlU1Hh2k. 51 ID:AlU1Hh2k. 32 ID:AlU1Hh2k. 69 ID:AlU1Hh2k. 75 ID:AlU1Hh2k. 00 ID:AlU1Hh2k. 57 ID:AlU1Hh2k. 36 ID:AlU1Hh2k. 25 ID:AlU1Hh2k. 84 ID:AlU1Hh2k. 83 ID:AlU1Hh2k. 40 ID:AlU1Hh2k. net投稿限界:Over 1000 Thread 2ch. netからのレス数が1000に到達しました。 総レス数 1003 329 KB.

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