ふるさと の 訛り なくせ し 友 と いて モカ 珈琲 は かく まで 苦し。 ふるさとの訛りなつかし*方言****

『昭和14年から歴史を刻む老舗の喫茶店です♪』by 旅浪漫 : 珈琲亭 ちろる

ふるさと の 訛り なくせ し 友 と いて モカ 珈琲 は かく まで 苦し

第17回 振り向くな、振り向くな、後ろには夢がない 寺山修司 (この言葉は西棟4階にあります) 二十代のころテレビのない生活をしばらくしていたが、かわりにFMラジオを聴いていた。 そのころ野田秀樹率いる「夢の遊民社」の芝居をよく観に行っていたが、劇団の二枚看板女優だった竹下明子と円城寺あやが短歌を朗読するラジオCMがあった。 それが寺山修司の短歌との出会いだった。 たぶん洋酒メーカーのCMだったと思うが、何十年も前のことなので確かではない。 ころがりしカンカン帽を追うごとくふるさとの道駆けて帰らん 海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり ふるさとの訛りなくせし友といてモカ珈琲はかくまで苦し など、ややハスキーな声で語られる短歌が強く印象に残り、すぐに「寺山修司全歌集」を買った。 実は寺山の言葉と最初に出会ったのはもっと古く、小学校の高学年、カルメン・マキが唄う「時には母のない子のように」かアニメ「あしたのジョー」の主題歌のいずれかだ。 どちらも寺山の作詞だった。 芝居の世界でも寺山は演劇実験室「天井桟敷」を主宰していたが、私が芝居をよく観るようになった頃にちょうど亡くなってしまったので、寺山が直接演出を手がけた作品を観ることはなかった。 後年、寺山脚本の舞台は何本か観たが、短歌ほどの強い印象は受けなかった。 映像作品もビデオなどで入手したが、芝居同様さほど琴線に触れるものではなかった。 私にとって寺山はあくまで文人なのだ。 高校国語科に、かつて工藤信彦さんという大先輩の名物教師がいらした。 知性とエネルギーに溢れた魅力的な授業を展開され、かつ受験の分野でも大学入試の予想問題を何度も的中させるなど、新聞・テレビでも取り上げられていた。 卒業生の中には強い影響を受けた方も多いのではないだろうか。 その工藤さんが生徒達に「キミたちには寺山を読まない自由などない」ということをおっしゃっていた。 少年が青年に成長していく時に感じる葛藤。 甘酸っぱい想い。 ほろ苦い経験。 現実と理想との乖離。 大人社会への不信。 そういう様々な感情を味わい、闘い、乗り越え、大人の世界と折り合いをつけていく。 かつて青年になるとはそういうことだった。 寺山はその年齢の心の内を細大漏らさず表現している。 「寺山を読まない自由はない」という工藤さんの言葉はまさに高校生に向けたエールなのだ。 今でも闘いながら成長を遂げる子供たちはたくさんいる。 しかし状況は変わりつつある。 処理しきれぬ情報が氾濫している。 転ばぬ先の杖を親が与えすぎる。 学校は臆病になるしかない。 その結果、一方では幼い時から葛藤もなく大人のズルさだけを身につけてしまう少年たちが増えた。 他方では成長する苦しみから逃れ、いつまでも大人社会と折り合いをつけられない青年たちが増えた。 その両極端がどんどん肥大化する。 どちらも闘わず、心を震わすこともなく、年を重ねてしまうのだ。 振り向くな、振り向くな、後ろには夢がない かつて大人気を誇った競走馬ハイセイコーが引退した時に競馬好きの寺山が書いた「さらばハイセイコー」という詩の一節である。 (増沢騎手が唄ってヒットした同名の曲とは別モノ)現代の若者にこそ寺山修司の言葉が必要だ。 それを武器に大人になるための闘いを始めよう。

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寺山修司の訛り: 正直ばあさん記

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戦時中ではないのだから過剰な自制は必要ないし、相互監視などもってのほかだけれど、逆にお気楽なユーチューブ・ラリーが続いているのも、いただけない。 仮にそれが「はげまし」の連鎖だとしても、自粛解除のあとはどうするのか。 きっとライブやドラマ撮影や小屋打ちが再開して、ふだんの平時に戻るだけなのだろう。 もっとも自粛中のテレワークはけっこう便利そうだったので、うまくリモート・コミュニケーションをまぜるだけになるのだろう。 思うに、ニューノーマルなんて幻想なのである。 その宿命を背負っているのは、なんといっても病院などの医事現場である。 感染治療も感染対策もたいへんだし、治療や看護にあたる従事者の心労も続く。 経営もしだいに逼迫していくだろう。 なぜこうなっているかといえば、原因はいろいろあるけれど、細菌やウイルスがもたらす疾病が「個人治療」だけではなく「人類治療」にかかわるからである。 人間一人ずつに対処して治療する。 これに対してウイルス対策は「究極要因」を相手にする。 いわば人類が相手なのである。 人類が相手だということは「生きもの」全部が相手だということで、人間も「生きもの」として見なければならないということになる。 これについては長谷川眞理子さんの『生き物をめぐる4つの「なぜ」』(集英社新書)という好著がある。 ゼツヒツの1冊だ。 進化医学では感染症の発熱を感染熱とはみなさない。 ウイルスなどの病原菌が生育する条件を悪化(劣化)させるために、われわれの体がおこしている現象だとみなす。 免疫系の細胞のほうが病原菌よりも高温性に耐性があることを活用して発熱をもたらしたのである。 だからすぐさま解熱剤を投与したり、体を冷却しすぎたりすることは、かえって感染症を広げてしまうことになりかねない。 ウイルスは血中の鉄分を減少させることも知られているが、これもあえてそういう対策を体のほうが選択したためだった。 「苦労する免疫」仮説を唱えて話題を呼んだ。 そういえば、かつてパラサイト・シングルといった用語をつくり、その後もフリーターや家族社会学について独自の見解を発表していた山田昌弘が、2004年に『希望格差社会』(筑摩書房)で、ネシーの「苦労する免疫」仮説をうまくとりあげていたことを思い出した。 いずれも大いに考えさせられた。 イーワルドはTED(2007)で急性感染症をとりあげ、「われわれは、細菌を飼いならせるのか」というユニークなトークを展開している。 イーワルドの言い分から今回のCOVID19のことを類推すると、武漢での飲料水や糞尿や補水がカギを握っていたということになる。 COVID19パンデミックの渦中の4月25日、HCU(ハイパーコーポレート・ユニバーシティ)第15期目の最終回をハイブリッド・スタイルで開催した。 本楼をキースタジオにして、80人を越えるネット参加者に同時視聴してもらうというスタイルだ。 リアル参加も受け付けたので、三菱の福元くん、リクルートの奥本くん、大津からの中山くんら、5人の塾生が本楼に駆けつけた。 さあ、これだけの参加者とぼくのレクチャーを、どういうふうにAIDAをとるか。 「顔」と「言葉」と「本」を現場と送信画面をスイッチングしながらつなげたのである。 まずは本楼で5台のカメラを動かし、チャット担当に2人(八田・衣笠さん)をあて、記事中継者(上杉くん)が付きっきりで事態のコンテンツ推移の様子をエディティングしつづけるようにした。 スイッチャー(穂積くん)にも立ってもらった。 かくしてハイブリッドHCUは、昼下がり1時の参加チェック開始からざっと7時間に及んだのである。 だからテレワークをしたわけではない。 ぼくは最近のテレワークにはほとんど関心がない。 当時はFAXもなく、オートバイで資料やダミーや原稿を運びあって、制作編集をしつづけたものだった。 最近のテレワークは適用機材の仕様に依存しすぎて、かえって何かを「死なせて」いるか、大事なことを「減殺しすぎて」いるように思う。 プロクセミックスとアフォーダンスがおバカになってしまうのだ。 テレビもネット参加の映像を試みているけれど、いまのところ芸がない。 はたしてうまくいったかどうか。 それは参加者の感想を聞かないとわからないが、ディレクターには小森康仁に当たってもらい、1週間前にラフプランをつくり、前日は映像・音声・照明のリハーサルもした。 こういう時にいつも絶対フォロアーになってくれてきた渡辺文子は自宅でその一部始終をモニターし、コメントしてくれた。 当日の現場のほうは佐々木千佳・安藤昭子・吉村堅樹が舞台まわしを仕切った。 安藤の胸のエンジンがしだいに唸りはじめていたので、この反応を目印に進めようと思った。 書物というもの、表紙がすべてを断固として集約表現しているし、それなりの厚みとボリュームもあるので、見せようによっては、ぼくの「語り」を凌駕する力をもつ。 けれどもやってみると、けっこう忙しく、目配りも届ききれず、自分が多次元リアル・ヴァーチャルの同時送受の浸透力にしだいに負けてくるのがよくわかった。 76歳には過剰だったのかもしれない。 まあ、それはともかく、やってのけたのだ。 すでに昨年10月から演劇ではこまつ座の座長の井上麻矢ちゃんが(井上ひさしのお嬢さん)が、スポーツからは昔なじみのアメフトのスター並河研さんとヘッドコーチの大橋誠さんが、ビリヤードからは大井直幸プロと岡田将輝協会理事が、文楽からは2日にわたって吉田玉男さんのご一門(3役すべて総勢10人余)が、そして茶道から遠州流の小堀宗実家元以下の御一党が(宗家のスペースも提供していただいた)、いったい稽古と本番とのAIDAにあるものは何なのか、いろいろ見せたり、話したり、濃ゆ~く演じてみせてくれたので、これをあらためて振り返るのはたいへん楽しかった。 たとえばベンヤミンやポランニーやエドワード・ホールだ。 ついでに最新刊の『日本文化の核心』(講談社現代新書)からのフリップも入れた。 とくに日本株式会社の多くが平時に有事を入れ込まないようになって、久しく低迷したままなので(いざというとお金とマスクをばらまくだけなので)、こちらについてはかなりキツイ苦言を呈してみた。 このことを前提にしておかない日本なんて、あるいはグローバルスタンダードにのみ追随している日本なんて、かなりの体たらくなのである。 そのことに苦言を呈した。 もっと早々にデュアルスタンダードにとりくんでいなければならなかったのである。 つまり地球生命系のアントロポセンな危機が到来しているということなのだが、そのことがちっとも交わされていない日本をどうするのか、そこを問うた。 ぐったりしたけれど、そのあとの参加者の声はすばらしいものだったので、ちょっとホッとした。 そのうち別のかたちで、「顔」と「言葉」と「本」を「世界と日本」のために、強くつなげてみたいものである。 RNAウイルスの暴風が吹き荒れているのである。 新型コロナウイルスがSARSやMARSや新型インフルエンザの「変異体」であることを、もっと早くに中国は発表すべきだったのだろう。 そのうえで感染症を抑える薬剤開発やワクチンづくりに臨んでみたかった。 せめてフランク・ライアンの『破壊する創造者』(ハヤカワ文庫)、フレデリック・ケックの『流感世界』(水声社)を読んでほしい。 千夜千冊ではカール・ジンマーの『ウイルス・プラネット』を紹介したが、中身はたいしたことがなく、武村政春さんの何冊かを下敷きにしたので(講談社ブルーバックスが多い)、そちらを入手されるのがいいだろう。 「自粛嫌い」のぼくも、さすがに家族からもスタッフからも「自制」を勧告されていて、この2週間の仕事の半分近くがネット・コミュニケーションになってきた(リアル2・5割、ネット参加7・5割のハイブリッド型)。 それはそれ、松岡正剛はマスクが嫌い、歩きタバコ大好き派なので、もはや東京からは排除されてしかるべき宿命の持ち主になりつつあるらしい。 そのうち放逐されるだろう。 学生時代に、このコンベンションに付き合うのは勘弁してもらいたいと思って以来のことだ。 下戸でもある。 だから結婚式や葬儀がひどく苦手で、とっくに親戚づきあいも遠のいたままにある。 たいへん申し訳ない。 レイ・ブラッドベリの家に行ったとき、地下室にミッキーマウスとディズニーグッズが所狭しと飾ってあったので、この天下のSF作家のものも読まなくなったほどだ。 これについては亡きナムジュン・パイクと意見が一致した。 かつての豊島園には少し心が動いたが、明るい改装が続いてからは行っていない。 格闘技はリングスが好きだったけれど、横浜アリーナで前田日明がアレクサンダー・カレリンに強烈なバックドロップを食らって引退して以来、行かなくなった。 ごめんなさい。 子供時代はバスケットの会場と競泳大会の観戦によく行っていた。 それは7割がたは「本」による散策だ(残りはノートの中での散策)。 実は、その脳内散歩ではマスクもするし、消毒もする。 感染を遮断するのではなく、つまらない感染に出会うときに消毒をする。 これがわが「ほん・ほん」の自衛策である。 ぼくとしてはめずらしくかなり明快に日本文化のスタイルと、そのスタイルを読み解くためのジャパン・フィルターを明示した。 パンデミックのど真ん中、本屋さんに行くのも躊らわれる中での刊行だったけれど、なんとか息吹いてくれているようだ。 デヴィッド・ノーブルさんが上手に訳してくれた。 出版文化産業振興財団の発行である。 いろいろ参考になるのではないかと思う。 中井久夫ファンだったぼくの考え方も随所に洩しておいた。 次の千夜千冊エディションは4月半ばに『大アジア』が出る。 これも特異な「変異体」の思想を扱ったもので、竹内好から中島岳志に及ぶアジア主義議論とは少しく別の見方を導入した。 日本人がアジア人であるかどうか、今後も問われていくだろう。 1月~2月はガリレオやヘルマン・ワイルなどの物理や数学の古典にはまっていた。 この、隙間読書の深度が突き刺すようにおもしろくなる理由については、うまく説明できない。 「間食」の誘惑? 「別腹」のせい? 「脇見」のグッドパフォーマンス? それとも「気晴らし演奏」の醍醐味? などと考えてみるのだが、実はよくわからない。 新型コロナウィルス騒ぎでもちきりなのだ。 パンデミック間近かな勢いがじわじわ報道されていて、それなのに対策と現実とがそぐわないと感じている市民が、世界中にいる。 何をどうしていくと、何がどうなるはかわからないけれど、これはどう見ても「ウィルスとは何か」ということなのである。 けれどもいわゆる細菌や病原菌などの「バイキン」とは異なって、正体が説明しにくい。 まさに隙間だけで動く。 ところがウィルスはこれらをもってない。 自分はタンパク質でできているのに、その合成はできない。 生物は細胞があれば、生きるのに必要なエネルギーをつくる製造ラインが自前でもてるのだが、ウィルスにはその代謝力がないのである。 だから他の生物に寄生する。 宿主を選ぶわけだ、宿主の細胞に入って仮のジンセーを生きながらえる。 ところがこれらは自立していない。 他の環境だけで躍如する。 べつだん「悪さ」をするためではなく、さまざまな生物に宿を借りて、鳥インフルエンザ・ウィルスなどとなる。 もっとはっきり予想していえば「借りの情報活動体」なのだ。 鍵と鍵穴のどちらとは言わないが、半分ずつの鍵と鍵穴をつくったところで、つまり一丁「前」のところで「仮の宿」にトランジットする宿命(情報活動)を選んだのだろうと思う。 たとえば一人の肺の中には、平均174種類ほどのウィルスが寝泊まりしているのである。 さまざまな情報イデオロギーや情報スタイルがどのように感染してきたのか、感染しうるのか、そのプロセスを追いかけてきたようにも思うのだ。 まあ、幽閉老人みたいなものだが、何をしていたかといえば、猫と遊び、仕事をしていたわけだ。 千夜千冊エディションを連続的に仕上げていたに近い。 木村久美子の乾坤一擲で準備が進められてきたイシス編集学校20周年を記念して組まれたとびきり特別講座だ。 開講から104名が一斉に本を読み、その感想を綴り始めた。 なかなか壮観だ。 壮観なだけでなく、おもしろい。 やっぱり本をめぐる呟きには格別なものがある。 ツイッターでは及びもつかない。 参加資格は編集学校の受講者にかぎられているのが、実はミソなのである。 ちょっと摘まんでみると、こんなふうだ。 赤坂真理の天皇モンダイへの迫り方も、大竹伸朗のアートの絶景化もいいからね。 イーガンや大澤君のものはどうしても読んでおいてほしいからね。 これらの感想について、冊師たちが交わしている対応が、またまた読ませる。 カトめぐ、よくやっている。 穂村弘『絶叫委員会』、原田マハ『リーチ先生』、上野千鶴子『女ぎらい』、畑中章宏『天災と日本人』、藤田紘一郎『脳はバカ、腸はかしこい』、ボルヘス『詩という仕事について』、松岡正剛『白川静』、モラスキー『占領の記憶・記憶の占領』、柄谷行人『隠喩としての建築』、藤野英人『投資家みたいに生きろ』、バウマン『コミュニティ』、酒井順子『本が多すぎる』、バラード『沈んだ世界』、堀江敏幸『回送電車』、アーサー・ビナード『日々の非常口』、島田ゆか『ハムとケロ』、ダマシオ『意識と自己』、荒俣宏『帝都物語』、白州正子『縁あって』、野地秩嘉『キャンティ物語』、ヘレン・ミアーズ『アメリカの鏡』、國分功一郎『原子力時代における哲学』、ミハル・アイヴァス『黄金時代』、ウェイツキン『習得への情熱』、江國香織『絵本を抱えて部屋のすみへ』、内田樹『身体の言い分』。 このへんも嬉しいね、アイヴァスを読んでくれている。 ぼくが読んでいない本はいくらもあるけれど、イシスな諸君の読み方を読んでいると、伊藤美誠のミマパンチを見たり、中邑真輔のケリが跳んだときの快感もあって、それで充分だよと思える。 もともとはモルフェウスのしからしむ誘眠幻覚との戯れなのだけれど、これを共読(ともよみ)に変じたとたんに、世界化がおこるのだ。 こんな快楽、ほかにはめったにやってこない。 満を持してのエディションというわけではないが(それはいつものことなので)、みなさんが想像するような構成ではない。 現代思想の歴々の編集力がいかに卓抜なものか、これまでのポストモダンな見方をいったん離れて、敷居をまたぐ編集、対角線を斜めに折る編集、エノンセによる編集、テキスト多様性による編集、スタンツェ(あらゆる技法を収納するに足る小部屋もしくは容器)を動かす編集、アナモルフィック・リーディングによる編集を、思う存分つなげたのだ。 かなり気にいっている。 なかでポランニーが「不意の確証」は「ダイナモ・オブジェクティブ・カップリング」(動的対象結合)によっておこる、それがわれわれに「見えない連鎖」を告知しているんだと展望しているところが、ぼくは大好きなのである。 鍵は「準同型」「擬同型」のもちまわりにある。 「世界は本である」「なぜなら世界はメタフォリカル・リーディングでしか読めないからだ」と喝破した有名な著作だ。 最後にキエラン・イーガンの唯一無比の学習論である『想像力を触発する教育』にお出まし願った。 この1冊は天才ヴィゴツキーの再来だった。 あしからず。 編集力のヒントとしては『情報生命』も自画自賛したいけれど、あれはちょっとぶっ飛んでいた。 『編集力』は本気本格をめざしたのだ。 ぜひ手にとっていただきたい。 あしからず。 ところが、気持ちのほうはそういうみなさんとぐだぐたしたいという願望のほうが募っていて、これではまったくもって「やっさもっさ」なのである。 やっぱりCOPD(肺気腫)が進行しているらしい。 それでもタバコをやめないのだから、以上つまりは、万事は自業自得なのであります。 来年、それでもなんだかえらそうなことを言っていたら、どうぞお目こぼしをお願いします。 それではみなさん、今夜もほんほん、明日もほんほん。 最近読んだいくつかを紹介する。 ジョン・ホロウェイの『権力を取らずに世界を変える』(同時代社)は、革命思想の成長と目標をめぐって自己陶冶か外部注入かを議論する。 「する」のか「させる」のか、そこが問題なのである。 同時代社は日共から除名された川上徹がおこした版元で、孤立無援を闘っている。 2年前、『川上徹《終末》日記』が刊行された。 コールサック社をほぼ一人で切り盛りしている鈴木比佐雄にも注目したい。 現代詩・短歌・俳諧の作品集をずうっと刊行しつづけて、なおその勢いがとまらない。 ずいぶんたくさんの未知の詩人を教えてもらった。 注文が多い日々がくることを祈る。 ぼくは鷲津繁男に触発されてビザンチンに惑溺したのだが、その後は涸れていた。 知泉書館は教父哲学やクザーヌスやオッカムを読むには欠かせない。 リアム・ドリューの『わたしは哺乳類です』とジョン・ヒッグスの『人類の意識を変えた20世紀』(インターシフト)などがその一例。 ドリューはわれわれの中にひそむ哺乳類をうまく浮き出させ、ヒッグスは巧みに20世紀の思想と文化を圧縮展望した。 インターシフトは工作舎時代の編集スタッフだった宮野尾充晴がやっている版元で、『プルーストとイカ』などが話題になった。 原研哉と及川仁が表紙デザインをしている。 最近、太田光の「芸人人語」という連載が始まっているのだが、なかなか読ませる。 今月は現代アートへのいちゃもんで、イイところを突いていた。 さらにきわどい芸談に向かってほしい。 佐藤優の連載「混沌とした時代のはじまり」(今月は北村尚と今井尚哉の官邸人事の話)とともに愉しみにしている。 ついでながら大阪大学と京阪電鉄が組んでいる「鉄道芸術祭」が9回目を迎えて、またまたヴァージョンアツプをしているようだ。 「都市の身体」を掲げた。 仕掛け人は木ノ下智恵子さんで、いろいろ工夫し、かなりの努力を払っている。 ぼくも数年前にナビゲーターを依頼されたが、その情熱に煽られた。 いろいろ呆れた。 とくに国語と数学の記述試験の採点にムラができるという議論は、情けない。 人員が揃わないからとか、教員の負担が大きいからとかの問題ではない。 教員が記述型の採点ができないこと自体が由々しいことなのである。 ふだんの大学教員が文脈評価のレベルを維持できていないということだ。 ラグビージャパンはよくやった。 予選リーグは実に愉快だった。 何度も観たが、そのたびにキュンキュンした。 堀江、松島、福岡には泣かされた。 これまでは力不足だった田村もよかった。 リーチ・マイケルのサムライぶりがやっと全国に伝わったのも嬉しかったが、こういうサムライは世界のラグビーチームには、必ず2~3人ずついるものだ。 リーチも田村もルークも姫野もイマイチだった。 CTBの中村のタックルとフルバックの山中の成長を評価したい。 5年ほど前は体が辛そうだった。 平尾とは対談『イメージとマネージ』(集英社文庫)が残せてよかったと、つくづく憶う。 あのときの出版記念パーティには松尾たちも来てくれて、大いに沸いた。 美輪明宏さんが「いい男ねえ」と感心していたのが懐かしい。 まさにミスター・ラグビーだったが、繊細で緻密でもあった。 「スペースをつくるラグビー」に徹した。 トップリーグよりも、冬の花園の高校生たちの奮闘を観てもらうのが、おそらくいいのではないかと思う。 ただし、カメラワークをもっとよくしなければいけない。 孫犁冰さんが渾身の翻訳をしてくれた。 『歴史与現実』という訳になっている。 孫さんは新潟と上海を行き来して、日中の民間外交に貢献している気鋭の研究者で、すばらしいコミュニケーターだ。 イシス編集学校の師範代でもある。 韓国語になった本が7冊になっているので、少々は東アジアと日本のつながりの一助を担ってくれていると信じるが、日中韓をまたぐこういう「言葉のラグビー」や「思想文化のまぜまぜアスリート」は、いまはまだからっきしなのである。 中国文化サロン、日本僑報社、日中翻訳学院、中国研究書店、日韓大衆文化セミナー、日中韓交流フォーラムなどの充実に期待する。 東方書店の「知日」という月刊雑誌ががんばってくれている。 寺山さん、初めて便りを書くのに、もうあの津軽訛りを聞くことはできません。 いや津軽訛りではなく、青森訛りでした。 寺山さんは警察官のお父さんの転勤のたびに弘前、五所川原、青森、八戸、三沢というふうに転々としていましたからね。 その青森の恐ろしさについて、寺山さんは「下北半島は、斧のかたちをしている。 斧は、津軽一帯に向けてふりあげられている」と、『わが故郷』の冒頭に書いていた。 だから青森転々訛りとでもいうべきなのでしょうが、あの寺山さんの喋り方に、当時のぼくたちは参っていたのです。 寺山さんも、その訛りを放棄しようとはしなかった。 ふるさとの訛りなくせし友といてモカ珈琲はかくまでにがし マッチ擦るつかのまの海に霧深し身捨つるほどの祖国はありや わが母音むらさき色に濁る日を断崖にゆく涜るるために 燭の火に葉書かく手をみられつつさみしからずや父の「近代」 あの訛りには、寺山さんの「祖国」や「母音」や「父の近代」が呻いているんですね。 そういえばあのころ、「やっぱり日本の芸術はと寺山修司の津軽弁で変わってしまったよね」と、そんなふうに、ぼくの周辺の連中たちはひそひそ話をしていたものでした。 しかしぼくならば、そこにを加えたい。 そのことは寺山さんも先刻承知だったようで、あの熱気溢るる阿鼻叫喚のファーストシーンで始まった天井桟敷旗揚げ公演の『青森県のせむし男』では、桃中軒花月が「これはこの世の事ならず、死出の山路の裾野なる、賽の河原の物語」と口上を言うと、その恐山伝説の向こう側から、すかさず美輪(丸山)明宏の長崎訛りの地霊のような言葉が加わったものでした。 あのときも寺山さんの「方舟」ならぬ「方言」の脈絡というものが、これから始まる前代未聞の寺山演劇実験の総体をくるむのだということが、痛いように伝わってきました。 けれども、その独得の早口な訛りを、もう聞けなくなってしまいました。 惜しい人はとかく疾迅なものですが、それにしても47歳は早すぎた。 寺山さんは、はやくにぼくのことに注目してくれましたね。 ぼくが25歳のころにつくっていた『ハイスクールライフ』という高校生向けタブロイド16ページの読書新聞を、あなたはすかさず「東京のヴィレッジボイスだ」と言って絶賛してくれました。 横尾忠則さんとの紙上対談にも出てくれた。 それがぼくが寺山さんと話した最初の機会です。 赤坂の「ざくろ」でしたね。 その後は、フィルムアート社の『芸術倶楽部』に原稿を書いてみないかと勧めてくれ(それがぼくの2回目の外部原稿でした)、やっと親の借金を返しおえてぼくが始めた『遊』にも、よろこんで再三顔を出してくれました。 そうそう、麻布十番の天井桟敷に呼んで講演をするようにも誘ってくれました。 けれども、ぼくはついに一度も、寺山さんについて何かを発言することをしなかった。 たくさん恩義を感じていたのに、何も返せなかった。 いま、それを悔やんでいます。 ついついその機会を見送っていた。 やはりすべては、ジャン・コクトーが頻りにそう言っていたように、同時代におこるべきなのです。 しかし、寺山さんはエフトシェンコやマヤコフスキーじゃないけれど、あまりに早すぎた。 ナマの自叙伝をあれよあれよと次々に発表してみせていったので、ぼくばかりか、みんながみんな追いつけず、黙って見ているしかなくなったのです。 だって16歳で高校生俳句大会を主催し、18歳で中城ふみ子の『乳房喪失』のあとを追いかけ『チエホフ祭』でそのまま抜き去ってしまい、19歳の早稲田の祭ではばりの詩劇『忘れた領分』でしょう。 それからも、ほとんど何もかも、言葉と身体が関与する何もかもの実験を、さっさと済ましていったんですからね。 とくに25歳の寺山さんが土方巽や黛俊郎やらと組んだ「六人のアヴァンギャルドの会」(ほかに東松照明・金森馨・三保敬太郎でしたか)で『猿飼育法』を上演したのには、まったく新しい時代の到来はこうやっておこるんだということを感じました。 かくてやっとぼくが寺山さんと同じ大学に入ったときは、放送詩劇『山姥』がイタリア賞のグランプリ。 寺山さんは28歳だったのかな。 もう輝きすぎるほど輝いていた。 これではとりつく島がない。 爪さえ届かない。 でも、なんといっても一番のショックは寺山さんが29歳のときに発表した『田園に死す』ですよ。 あれはとんでもないものだった。 ぼくは長いあいだ、この衝撃的な日本の唄い方がどのように生成してきたのか、考えこみました。 大工町寺町米町仏町老母買ふ町あらずやつばめよ 新しき仏壇買ひに行きしまま行方不明のおとうとと鳥 桃の木は桃の言葉で羨むやわれら母子の声の休暇 村境の春や錆びたる捨て車輪ふるさとまとめて花いちもんめ うんうん唸りましたね。 いったいどこからこんなふうに「言葉の組み合わせ」と「日本」と「ぼくにもあてはまる原郷記憶」とが、一緒になって律動をもって出てくるのだろうか。 うーん、うーん、うんうん。 これはやでもないし、や日夏耿之介でもない。 それから塚本邦雄でもないしでもなかった。 でも、われわれの言葉によってしか溯れない或る原郷を切り取っていたものでした。 その『田園に死す』の長歌「修羅、わが愛」にも困りました。 そこには、こう書いてほしいということが全部書いてある。 こんなふうでしたね。 いつも背中に 紋のある 四人の長子あつまりて姥捨遊びはじめたり とんびのやまの鉦たたき 手相人相家の相 みな大正の 翳ふかき 義肢県灰郡入れ歯村 七草咲けば年長けて 七草枯れれば年老くる 子守の霊を捨てざれば とはに家出ることもなし まあボクサーあがりの寺山さんだから、どんなパンチをこちらが用意してもカウンターを食らうのはしょうがないれど、これではわれわれは全戦全敗になりかねない。 ついつい黙ってしまうのは仕方のないことだったかもしれません。 それでも今日は、やっと寺山さんについて何かを発言することになりました。 まるで出し遅れの証文ですが、どこかで読んでください。 とはいえ、ここに書けるのは、ぼくがずっと憧れてきた寺山さんのと昭和58年5月9日の葬儀の思い出だけです。 寺山さん、寺山さんの歌集が『空には本』で始まったことに、いまさら驚いています。 寺山さんの「本」はいつも空中やら河川やら街頭の中を走っていたんですね。 すでに高校時代の歌が歌でした。 その後の寺山コンセプトも明示されていた。 とびやすき葡萄の汁で汚すなかれ虐げられし少年の詩を 空は本それをめくらんためにのみ雲雀もにがき心を通る 大いなる夏のバケツにうかべくるわがアメリカと蝶ほどの夢 ぼくは「本」というものをオブジェのごとく、のごとく、バシュラールの哲学のごとく操る寺山さんに、行く手を塞がれた感じさえおぼえたものです。 そのほか『空には本』にはいろいろ秀歌があるのですが、そのころだったか、ある日、とんでもないことがぼくの耳に飛び込んできました。 「おい、知っているか、寺山修司の短歌はほとんど盗作なんだってこと!」。 実はそういう噂はなんとなくそれ以前から聞いていたのですが、どうせおかしな勘ぐりだろうと思っていました。 世の中って、そんなものですからね。 けれども、ぼくにご注進をした友人は、ご丁寧にも"証拠"をもってきた。 俳句から"盗作"したという"証拠"です。 上が寺山さんの短歌で、下が俳句の本歌の例。 向日葵の下に饒舌高きかな人を訪わずば自己なき男 ・人を訪はずば自己なき男月見草(中村草田男) わが天使なるやも知れぬ小雀を撃ちて硝煙嗅ぎつつ帰る ・わが天使なるやも知れず寒雀(西東三鬼) わかきたる桶に肥料を満たすとき黒人悲歌は大地に沈む ・紙の桜黒人悲歌は地に沈む(西東三鬼) 莨火を床に踏み消して立ちあがるチェホフ祭の若き俳優 ・燭の灯を莨火としつチェホフ忌(中村草田男) 莨火を樹にすり消して立ちあがる孤児にさむき追憶はあり ・寒き眼の孤児たの短身立ちあがる(秋元不死男) たしかに本歌があります。 あとから知ったことですが、これらの"盗作"については「時事新報」の俳壇時評に指摘があらわれてから、ずいぶん大騒動になっていたらしい。 寺山さんをデビューさせた「短歌研究」編集長の中井英夫さんも、当時をふりかえって「あまりに俳句に無知だった」と顧みています。 しかし、ぼくは盗作おおいに結構、引用おおいに結構という立場です。 だいたい何をもって盗作というかによるのですが、古今、新古今はそれ(本歌取り)をこそ真骨頂としていたわけですし、そうでなくとも人間がつかう言葉の大半は盗作相互作用だというべきで、むしろどれほどみごとな引用適用応用がおこったかということこそが、あえて議論や評価の対象になるべきではないかとおもうくらいです。 でも、寺山さんはこの騒動を突きつけられて、ちょっとシュンとされたようですね。 こんなことをぼくが言うのはおこがましいけれど、寺山修司とはその記憶と表現の全身が、「美しきもの・険しきもの・懐かしきもの・寂しきもの」で相移相入してできあがったハイパーリンク状態そのもののような人なんです。 むしろ"盗作"事件が寺山さんの初期におこったことを祝福したいくらいです。 なぜって、寺山さんは結局はそんな傷みを体にうけてそのままのように生かしてしまい、さらにさらに高度な引用適用応用世界をつくりあげていったわけですからね。 しかし、寺山さんは他人から一知半解の文句を言われるのは大嫌いな人だった。 それならあんたに目にものみせて進ぜようというところがあった。 かくて寺山さんは『血と麦』で急激に蘇り、相手を打倒し、いっさいの追随を許さぬ言葉の疾走を見せてくれることになります。 黒人に生まれざるゆえあこがれき野生の汽罐車、オリーブ、河など わが捨てし言葉はだれか見出さむ浮巣の日ざし流さるる川 ピーナッツをさみしき馬に食わせつついかなる明日も貯えはせず 麻薬中毒重婚浮浪不法所持サイコロ賭博われのブルース やった、やった、です。 こうでなくては寺山さんじゃない。 ともかくもそれからの寺山さんは短歌すら面倒になり、ひたすら実験演劇の試みに向かっていったのでした。 そしてその芝居の中にありったけの言葉を吐いていったのでした。 ところが、このころすでに敗血症が寺山さんを少しずつ蝕んでいたんですね。 そして寺山さんは束の間の一瞬を選んで、さっさと一人で歌のない世界へ行ってしまった。 いまでもありありと思い出しますが、青山葬儀場はもう涙に暮れる以外はなかったものでした。 葬儀委員長の、中井英夫や唐十郎や鈴木忠志の弔辞まではともかくも、式の次第がむせび泣きのなかで進むにつれて、いよいよ天井桟敷の若衆たちが唄い出したときには、会場の全員が嗚咽をはじめたものです。 『レミング』の主題歌でしたね。 みんなが行ってしまったら わたしは一人で手紙を書こう みんなが行ってしまったら 若衆たちはこのように次々に寺山さんの歌を唄いながら、順番に姿を消していったんですよ。 そして、最後に聞こえてきたのは、寺山さんのこんな言葉だったんですよ。 知っていましたか。 一番最後でもいいからさ 世界の涯てまで連れてって 世界の涯てまで連れてって あとで山口瞳が書いていたことですが、山口さんの息子さんがこんなことを言っていたようです。 「ぼくは寺山さんの芝居は全部見ているけれど、寺山さんの演出で、これが一番よかった」と。 寺山さん、あんなふうに最後の最後になって世界をかっぱらうなんて、ずるいですよ。 ぼくはあれからまた、何も返す言葉を失っていたんです。 では、ぼくもいつかそのようになることを約束して、さようなら。 書店のどこでも手に入るだろうし、インターネットでも簡単に検索がきく。 ここでは寺山修司に関するいくつかの書物をあげておく。 寺山はつ『母の蛍』(新書館)、九條今日子『ムッシュウ・寺山修司』(ちくま文庫)、中井英夫『黒衣の短歌史』(潮出版社)、塚本邦雄『夕暮の諧調』(人文書院)、萩原朔美『思い出の中の寺山修司』(筑摩書房)、前田律子『居候としての寺山体験』(深夜叢書社)、皆司『少年伝記・私の中の寺山修司』(ふらんす堂)、高橋咲『十五歳・天井桟敷物語』(河出書房新社)、三浦雅士『寺山修司・鏡のなかの言葉』(新書館)、長尾三郎『虚構地獄』(講談社)、野島直子『孤児への意志・寺山修司論』(法蔵館)、小川太郎『寺山修司・その知られざる青春』(三一書房)など。

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浅本輝明 ブログ ・・・ぱっぽろぺっぽろぱぴぷぺぽ・・・

ふるさと の 訛り なくせ し 友 と いて モカ 珈琲 は かく まで 苦し

戦時中ではないのだから過剰な自制は必要ないし、相互監視などもってのほかだけれど、逆にお気楽なユーチューブ・ラリーが続いているのも、いただけない。 仮にそれが「はげまし」の連鎖だとしても、自粛解除のあとはどうするのか。 きっとライブやドラマ撮影や小屋打ちが再開して、ふだんの平時に戻るだけなのだろう。 もっとも自粛中のテレワークはけっこう便利そうだったので、うまくリモート・コミュニケーションをまぜるだけになるのだろう。 思うに、ニューノーマルなんて幻想なのである。 その宿命を背負っているのは、なんといっても病院などの医事現場である。 感染治療も感染対策もたいへんだし、治療や看護にあたる従事者の心労も続く。 経営もしだいに逼迫していくだろう。 なぜこうなっているかといえば、原因はいろいろあるけれど、細菌やウイルスがもたらす疾病が「個人治療」だけではなく「人類治療」にかかわるからである。 人間一人ずつに対処して治療する。 これに対してウイルス対策は「究極要因」を相手にする。 いわば人類が相手なのである。 人類が相手だということは「生きもの」全部が相手だということで、人間も「生きもの」として見なければならないということになる。 これについては長谷川眞理子さんの『生き物をめぐる4つの「なぜ」』(集英社新書)という好著がある。 ゼツヒツの1冊だ。 進化医学では感染症の発熱を感染熱とはみなさない。 ウイルスなどの病原菌が生育する条件を悪化(劣化)させるために、われわれの体がおこしている現象だとみなす。 免疫系の細胞のほうが病原菌よりも高温性に耐性があることを活用して発熱をもたらしたのである。 だからすぐさま解熱剤を投与したり、体を冷却しすぎたりすることは、かえって感染症を広げてしまうことになりかねない。 ウイルスは血中の鉄分を減少させることも知られているが、これもあえてそういう対策を体のほうが選択したためだった。 「苦労する免疫」仮説を唱えて話題を呼んだ。 そういえば、かつてパラサイト・シングルといった用語をつくり、その後もフリーターや家族社会学について独自の見解を発表していた山田昌弘が、2004年に『希望格差社会』(筑摩書房)で、ネシーの「苦労する免疫」仮説をうまくとりあげていたことを思い出した。 いずれも大いに考えさせられた。 イーワルドはTED(2007)で急性感染症をとりあげ、「われわれは、細菌を飼いならせるのか」というユニークなトークを展開している。 イーワルドの言い分から今回のCOVID19のことを類推すると、武漢での飲料水や糞尿や補水がカギを握っていたということになる。 COVID19パンデミックの渦中の4月25日、HCU(ハイパーコーポレート・ユニバーシティ)第15期目の最終回をハイブリッド・スタイルで開催した。 本楼をキースタジオにして、80人を越えるネット参加者に同時視聴してもらうというスタイルだ。 リアル参加も受け付けたので、三菱の福元くん、リクルートの奥本くん、大津からの中山くんら、5人の塾生が本楼に駆けつけた。 さあ、これだけの参加者とぼくのレクチャーを、どういうふうにAIDAをとるか。 「顔」と「言葉」と「本」を現場と送信画面をスイッチングしながらつなげたのである。 まずは本楼で5台のカメラを動かし、チャット担当に2人(八田・衣笠さん)をあて、記事中継者(上杉くん)が付きっきりで事態のコンテンツ推移の様子をエディティングしつづけるようにした。 スイッチャー(穂積くん)にも立ってもらった。 かくしてハイブリッドHCUは、昼下がり1時の参加チェック開始からざっと7時間に及んだのである。 だからテレワークをしたわけではない。 ぼくは最近のテレワークにはほとんど関心がない。 当時はFAXもなく、オートバイで資料やダミーや原稿を運びあって、制作編集をしつづけたものだった。 最近のテレワークは適用機材の仕様に依存しすぎて、かえって何かを「死なせて」いるか、大事なことを「減殺しすぎて」いるように思う。 プロクセミックスとアフォーダンスがおバカになってしまうのだ。 テレビもネット参加の映像を試みているけれど、いまのところ芸がない。 はたしてうまくいったかどうか。 それは参加者の感想を聞かないとわからないが、ディレクターには小森康仁に当たってもらい、1週間前にラフプランをつくり、前日は映像・音声・照明のリハーサルもした。 こういう時にいつも絶対フォロアーになってくれてきた渡辺文子は自宅でその一部始終をモニターし、コメントしてくれた。 当日の現場のほうは佐々木千佳・安藤昭子・吉村堅樹が舞台まわしを仕切った。 安藤の胸のエンジンがしだいに唸りはじめていたので、この反応を目印に進めようと思った。 書物というもの、表紙がすべてを断固として集約表現しているし、それなりの厚みとボリュームもあるので、見せようによっては、ぼくの「語り」を凌駕する力をもつ。 けれどもやってみると、けっこう忙しく、目配りも届ききれず、自分が多次元リアル・ヴァーチャルの同時送受の浸透力にしだいに負けてくるのがよくわかった。 76歳には過剰だったのかもしれない。 まあ、それはともかく、やってのけたのだ。 すでに昨年10月から演劇ではこまつ座の座長の井上麻矢ちゃんが(井上ひさしのお嬢さん)が、スポーツからは昔なじみのアメフトのスター並河研さんとヘッドコーチの大橋誠さんが、ビリヤードからは大井直幸プロと岡田将輝協会理事が、文楽からは2日にわたって吉田玉男さんのご一門(3役すべて総勢10人余)が、そして茶道から遠州流の小堀宗実家元以下の御一党が(宗家のスペースも提供していただいた)、いったい稽古と本番とのAIDAにあるものは何なのか、いろいろ見せたり、話したり、濃ゆ~く演じてみせてくれたので、これをあらためて振り返るのはたいへん楽しかった。 たとえばベンヤミンやポランニーやエドワード・ホールだ。 ついでに最新刊の『日本文化の核心』(講談社現代新書)からのフリップも入れた。 とくに日本株式会社の多くが平時に有事を入れ込まないようになって、久しく低迷したままなので(いざというとお金とマスクをばらまくだけなので)、こちらについてはかなりキツイ苦言を呈してみた。 このことを前提にしておかない日本なんて、あるいはグローバルスタンダードにのみ追随している日本なんて、かなりの体たらくなのである。 そのことに苦言を呈した。 もっと早々にデュアルスタンダードにとりくんでいなければならなかったのである。 つまり地球生命系のアントロポセンな危機が到来しているということなのだが、そのことがちっとも交わされていない日本をどうするのか、そこを問うた。 ぐったりしたけれど、そのあとの参加者の声はすばらしいものだったので、ちょっとホッとした。 そのうち別のかたちで、「顔」と「言葉」と「本」を「世界と日本」のために、強くつなげてみたいものである。 RNAウイルスの暴風が吹き荒れているのである。 新型コロナウイルスがSARSやMARSや新型インフルエンザの「変異体」であることを、もっと早くに中国は発表すべきだったのだろう。 そのうえで感染症を抑える薬剤開発やワクチンづくりに臨んでみたかった。 せめてフランク・ライアンの『破壊する創造者』(ハヤカワ文庫)、フレデリック・ケックの『流感世界』(水声社)を読んでほしい。 千夜千冊ではカール・ジンマーの『ウイルス・プラネット』を紹介したが、中身はたいしたことがなく、武村政春さんの何冊かを下敷きにしたので(講談社ブルーバックスが多い)、そちらを入手されるのがいいだろう。 「自粛嫌い」のぼくも、さすがに家族からもスタッフからも「自制」を勧告されていて、この2週間の仕事の半分近くがネット・コミュニケーションになってきた(リアル2・5割、ネット参加7・5割のハイブリッド型)。 それはそれ、松岡正剛はマスクが嫌い、歩きタバコ大好き派なので、もはや東京からは排除されてしかるべき宿命の持ち主になりつつあるらしい。 そのうち放逐されるだろう。 学生時代に、このコンベンションに付き合うのは勘弁してもらいたいと思って以来のことだ。 下戸でもある。 だから結婚式や葬儀がひどく苦手で、とっくに親戚づきあいも遠のいたままにある。 たいへん申し訳ない。 レイ・ブラッドベリの家に行ったとき、地下室にミッキーマウスとディズニーグッズが所狭しと飾ってあったので、この天下のSF作家のものも読まなくなったほどだ。 これについては亡きナムジュン・パイクと意見が一致した。 かつての豊島園には少し心が動いたが、明るい改装が続いてからは行っていない。 格闘技はリングスが好きだったけれど、横浜アリーナで前田日明がアレクサンダー・カレリンに強烈なバックドロップを食らって引退して以来、行かなくなった。 ごめんなさい。 子供時代はバスケットの会場と競泳大会の観戦によく行っていた。 それは7割がたは「本」による散策だ(残りはノートの中での散策)。 実は、その脳内散歩ではマスクもするし、消毒もする。 感染を遮断するのではなく、つまらない感染に出会うときに消毒をする。 これがわが「ほん・ほん」の自衛策である。 ぼくとしてはめずらしくかなり明快に日本文化のスタイルと、そのスタイルを読み解くためのジャパン・フィルターを明示した。 パンデミックのど真ん中、本屋さんに行くのも躊らわれる中での刊行だったけれど、なんとか息吹いてくれているようだ。 デヴィッド・ノーブルさんが上手に訳してくれた。 出版文化産業振興財団の発行である。 いろいろ参考になるのではないかと思う。 中井久夫ファンだったぼくの考え方も随所に洩しておいた。 次の千夜千冊エディションは4月半ばに『大アジア』が出る。 これも特異な「変異体」の思想を扱ったもので、竹内好から中島岳志に及ぶアジア主義議論とは少しく別の見方を導入した。 日本人がアジア人であるかどうか、今後も問われていくだろう。 1月~2月はガリレオやヘルマン・ワイルなどの物理や数学の古典にはまっていた。 この、隙間読書の深度が突き刺すようにおもしろくなる理由については、うまく説明できない。 「間食」の誘惑? 「別腹」のせい? 「脇見」のグッドパフォーマンス? それとも「気晴らし演奏」の醍醐味? などと考えてみるのだが、実はよくわからない。 新型コロナウィルス騒ぎでもちきりなのだ。 パンデミック間近かな勢いがじわじわ報道されていて、それなのに対策と現実とがそぐわないと感じている市民が、世界中にいる。 何をどうしていくと、何がどうなるはかわからないけれど、これはどう見ても「ウィルスとは何か」ということなのである。 けれどもいわゆる細菌や病原菌などの「バイキン」とは異なって、正体が説明しにくい。 まさに隙間だけで動く。 ところがウィルスはこれらをもってない。 自分はタンパク質でできているのに、その合成はできない。 生物は細胞があれば、生きるのに必要なエネルギーをつくる製造ラインが自前でもてるのだが、ウィルスにはその代謝力がないのである。 だから他の生物に寄生する。 宿主を選ぶわけだ、宿主の細胞に入って仮のジンセーを生きながらえる。 ところがこれらは自立していない。 他の環境だけで躍如する。 べつだん「悪さ」をするためではなく、さまざまな生物に宿を借りて、鳥インフルエンザ・ウィルスなどとなる。 もっとはっきり予想していえば「借りの情報活動体」なのだ。 鍵と鍵穴のどちらとは言わないが、半分ずつの鍵と鍵穴をつくったところで、つまり一丁「前」のところで「仮の宿」にトランジットする宿命(情報活動)を選んだのだろうと思う。 たとえば一人の肺の中には、平均174種類ほどのウィルスが寝泊まりしているのである。 さまざまな情報イデオロギーや情報スタイルがどのように感染してきたのか、感染しうるのか、そのプロセスを追いかけてきたようにも思うのだ。 まあ、幽閉老人みたいなものだが、何をしていたかといえば、猫と遊び、仕事をしていたわけだ。 千夜千冊エディションを連続的に仕上げていたに近い。 木村久美子の乾坤一擲で準備が進められてきたイシス編集学校20周年を記念して組まれたとびきり特別講座だ。 開講から104名が一斉に本を読み、その感想を綴り始めた。 なかなか壮観だ。 壮観なだけでなく、おもしろい。 やっぱり本をめぐる呟きには格別なものがある。 ツイッターでは及びもつかない。 参加資格は編集学校の受講者にかぎられているのが、実はミソなのである。 ちょっと摘まんでみると、こんなふうだ。 赤坂真理の天皇モンダイへの迫り方も、大竹伸朗のアートの絶景化もいいからね。 イーガンや大澤君のものはどうしても読んでおいてほしいからね。 これらの感想について、冊師たちが交わしている対応が、またまた読ませる。 カトめぐ、よくやっている。 穂村弘『絶叫委員会』、原田マハ『リーチ先生』、上野千鶴子『女ぎらい』、畑中章宏『天災と日本人』、藤田紘一郎『脳はバカ、腸はかしこい』、ボルヘス『詩という仕事について』、松岡正剛『白川静』、モラスキー『占領の記憶・記憶の占領』、柄谷行人『隠喩としての建築』、藤野英人『投資家みたいに生きろ』、バウマン『コミュニティ』、酒井順子『本が多すぎる』、バラード『沈んだ世界』、堀江敏幸『回送電車』、アーサー・ビナード『日々の非常口』、島田ゆか『ハムとケロ』、ダマシオ『意識と自己』、荒俣宏『帝都物語』、白州正子『縁あって』、野地秩嘉『キャンティ物語』、ヘレン・ミアーズ『アメリカの鏡』、國分功一郎『原子力時代における哲学』、ミハル・アイヴァス『黄金時代』、ウェイツキン『習得への情熱』、江國香織『絵本を抱えて部屋のすみへ』、内田樹『身体の言い分』。 このへんも嬉しいね、アイヴァスを読んでくれている。 ぼくが読んでいない本はいくらもあるけれど、イシスな諸君の読み方を読んでいると、伊藤美誠のミマパンチを見たり、中邑真輔のケリが跳んだときの快感もあって、それで充分だよと思える。 もともとはモルフェウスのしからしむ誘眠幻覚との戯れなのだけれど、これを共読(ともよみ)に変じたとたんに、世界化がおこるのだ。 こんな快楽、ほかにはめったにやってこない。 満を持してのエディションというわけではないが(それはいつものことなので)、みなさんが想像するような構成ではない。 現代思想の歴々の編集力がいかに卓抜なものか、これまでのポストモダンな見方をいったん離れて、敷居をまたぐ編集、対角線を斜めに折る編集、エノンセによる編集、テキスト多様性による編集、スタンツェ(あらゆる技法を収納するに足る小部屋もしくは容器)を動かす編集、アナモルフィック・リーディングによる編集を、思う存分つなげたのだ。 かなり気にいっている。 なかでポランニーが「不意の確証」は「ダイナモ・オブジェクティブ・カップリング」(動的対象結合)によっておこる、それがわれわれに「見えない連鎖」を告知しているんだと展望しているところが、ぼくは大好きなのである。 鍵は「準同型」「擬同型」のもちまわりにある。 「世界は本である」「なぜなら世界はメタフォリカル・リーディングでしか読めないからだ」と喝破した有名な著作だ。 最後にキエラン・イーガンの唯一無比の学習論である『想像力を触発する教育』にお出まし願った。 この1冊は天才ヴィゴツキーの再来だった。 あしからず。 編集力のヒントとしては『情報生命』も自画自賛したいけれど、あれはちょっとぶっ飛んでいた。 『編集力』は本気本格をめざしたのだ。 ぜひ手にとっていただきたい。 あしからず。 ところが、気持ちのほうはそういうみなさんとぐだぐたしたいという願望のほうが募っていて、これではまったくもって「やっさもっさ」なのである。 やっぱりCOPD(肺気腫)が進行しているらしい。 それでもタバコをやめないのだから、以上つまりは、万事は自業自得なのであります。 来年、それでもなんだかえらそうなことを言っていたら、どうぞお目こぼしをお願いします。 それではみなさん、今夜もほんほん、明日もほんほん。 最近読んだいくつかを紹介する。 ジョン・ホロウェイの『権力を取らずに世界を変える』(同時代社)は、革命思想の成長と目標をめぐって自己陶冶か外部注入かを議論する。 「する」のか「させる」のか、そこが問題なのである。 同時代社は日共から除名された川上徹がおこした版元で、孤立無援を闘っている。 2年前、『川上徹《終末》日記』が刊行された。 コールサック社をほぼ一人で切り盛りしている鈴木比佐雄にも注目したい。 現代詩・短歌・俳諧の作品集をずうっと刊行しつづけて、なおその勢いがとまらない。 ずいぶんたくさんの未知の詩人を教えてもらった。 注文が多い日々がくることを祈る。 ぼくは鷲津繁男に触発されてビザンチンに惑溺したのだが、その後は涸れていた。 知泉書館は教父哲学やクザーヌスやオッカムを読むには欠かせない。 リアム・ドリューの『わたしは哺乳類です』とジョン・ヒッグスの『人類の意識を変えた20世紀』(インターシフト)などがその一例。 ドリューはわれわれの中にひそむ哺乳類をうまく浮き出させ、ヒッグスは巧みに20世紀の思想と文化を圧縮展望した。 インターシフトは工作舎時代の編集スタッフだった宮野尾充晴がやっている版元で、『プルーストとイカ』などが話題になった。 原研哉と及川仁が表紙デザインをしている。 最近、太田光の「芸人人語」という連載が始まっているのだが、なかなか読ませる。 今月は現代アートへのいちゃもんで、イイところを突いていた。 さらにきわどい芸談に向かってほしい。 佐藤優の連載「混沌とした時代のはじまり」(今月は北村尚と今井尚哉の官邸人事の話)とともに愉しみにしている。 ついでながら大阪大学と京阪電鉄が組んでいる「鉄道芸術祭」が9回目を迎えて、またまたヴァージョンアツプをしているようだ。 「都市の身体」を掲げた。 仕掛け人は木ノ下智恵子さんで、いろいろ工夫し、かなりの努力を払っている。 ぼくも数年前にナビゲーターを依頼されたが、その情熱に煽られた。 いろいろ呆れた。 とくに国語と数学の記述試験の採点にムラができるという議論は、情けない。 人員が揃わないからとか、教員の負担が大きいからとかの問題ではない。 教員が記述型の採点ができないこと自体が由々しいことなのである。 ふだんの大学教員が文脈評価のレベルを維持できていないということだ。 ラグビージャパンはよくやった。 予選リーグは実に愉快だった。 何度も観たが、そのたびにキュンキュンした。 堀江、松島、福岡には泣かされた。 これまでは力不足だった田村もよかった。 リーチ・マイケルのサムライぶりがやっと全国に伝わったのも嬉しかったが、こういうサムライは世界のラグビーチームには、必ず2~3人ずついるものだ。 リーチも田村もルークも姫野もイマイチだった。 CTBの中村のタックルとフルバックの山中の成長を評価したい。 5年ほど前は体が辛そうだった。 平尾とは対談『イメージとマネージ』(集英社文庫)が残せてよかったと、つくづく憶う。 あのときの出版記念パーティには松尾たちも来てくれて、大いに沸いた。 美輪明宏さんが「いい男ねえ」と感心していたのが懐かしい。 まさにミスター・ラグビーだったが、繊細で緻密でもあった。 「スペースをつくるラグビー」に徹した。 トップリーグよりも、冬の花園の高校生たちの奮闘を観てもらうのが、おそらくいいのではないかと思う。 ただし、カメラワークをもっとよくしなければいけない。 孫犁冰さんが渾身の翻訳をしてくれた。 『歴史与現実』という訳になっている。 孫さんは新潟と上海を行き来して、日中の民間外交に貢献している気鋭の研究者で、すばらしいコミュニケーターだ。 イシス編集学校の師範代でもある。 韓国語になった本が7冊になっているので、少々は東アジアと日本のつながりの一助を担ってくれていると信じるが、日中韓をまたぐこういう「言葉のラグビー」や「思想文化のまぜまぜアスリート」は、いまはまだからっきしなのである。 中国文化サロン、日本僑報社、日中翻訳学院、中国研究書店、日韓大衆文化セミナー、日中韓交流フォーラムなどの充実に期待する。 東方書店の「知日」という月刊雑誌ががんばってくれている。 寺山さん、初めて便りを書くのに、もうあの津軽訛りを聞くことはできません。 いや津軽訛りではなく、青森訛りでした。 寺山さんは警察官のお父さんの転勤のたびに弘前、五所川原、青森、八戸、三沢というふうに転々としていましたからね。 その青森の恐ろしさについて、寺山さんは「下北半島は、斧のかたちをしている。 斧は、津軽一帯に向けてふりあげられている」と、『わが故郷』の冒頭に書いていた。 だから青森転々訛りとでもいうべきなのでしょうが、あの寺山さんの喋り方に、当時のぼくたちは参っていたのです。 寺山さんも、その訛りを放棄しようとはしなかった。 ふるさとの訛りなくせし友といてモカ珈琲はかくまでにがし マッチ擦るつかのまの海に霧深し身捨つるほどの祖国はありや わが母音むらさき色に濁る日を断崖にゆく涜るるために 燭の火に葉書かく手をみられつつさみしからずや父の「近代」 あの訛りには、寺山さんの「祖国」や「母音」や「父の近代」が呻いているんですね。 そういえばあのころ、「やっぱり日本の芸術はと寺山修司の津軽弁で変わってしまったよね」と、そんなふうに、ぼくの周辺の連中たちはひそひそ話をしていたものでした。 しかしぼくならば、そこにを加えたい。 そのことは寺山さんも先刻承知だったようで、あの熱気溢るる阿鼻叫喚のファーストシーンで始まった天井桟敷旗揚げ公演の『青森県のせむし男』では、桃中軒花月が「これはこの世の事ならず、死出の山路の裾野なる、賽の河原の物語」と口上を言うと、その恐山伝説の向こう側から、すかさず美輪(丸山)明宏の長崎訛りの地霊のような言葉が加わったものでした。 あのときも寺山さんの「方舟」ならぬ「方言」の脈絡というものが、これから始まる前代未聞の寺山演劇実験の総体をくるむのだということが、痛いように伝わってきました。 けれども、その独得の早口な訛りを、もう聞けなくなってしまいました。 惜しい人はとかく疾迅なものですが、それにしても47歳は早すぎた。 寺山さんは、はやくにぼくのことに注目してくれましたね。 ぼくが25歳のころにつくっていた『ハイスクールライフ』という高校生向けタブロイド16ページの読書新聞を、あなたはすかさず「東京のヴィレッジボイスだ」と言って絶賛してくれました。 横尾忠則さんとの紙上対談にも出てくれた。 それがぼくが寺山さんと話した最初の機会です。 赤坂の「ざくろ」でしたね。 その後は、フィルムアート社の『芸術倶楽部』に原稿を書いてみないかと勧めてくれ(それがぼくの2回目の外部原稿でした)、やっと親の借金を返しおえてぼくが始めた『遊』にも、よろこんで再三顔を出してくれました。 そうそう、麻布十番の天井桟敷に呼んで講演をするようにも誘ってくれました。 けれども、ぼくはついに一度も、寺山さんについて何かを発言することをしなかった。 たくさん恩義を感じていたのに、何も返せなかった。 いま、それを悔やんでいます。 ついついその機会を見送っていた。 やはりすべては、ジャン・コクトーが頻りにそう言っていたように、同時代におこるべきなのです。 しかし、寺山さんはエフトシェンコやマヤコフスキーじゃないけれど、あまりに早すぎた。 ナマの自叙伝をあれよあれよと次々に発表してみせていったので、ぼくばかりか、みんながみんな追いつけず、黙って見ているしかなくなったのです。 だって16歳で高校生俳句大会を主催し、18歳で中城ふみ子の『乳房喪失』のあとを追いかけ『チエホフ祭』でそのまま抜き去ってしまい、19歳の早稲田の祭ではばりの詩劇『忘れた領分』でしょう。 それからも、ほとんど何もかも、言葉と身体が関与する何もかもの実験を、さっさと済ましていったんですからね。 とくに25歳の寺山さんが土方巽や黛俊郎やらと組んだ「六人のアヴァンギャルドの会」(ほかに東松照明・金森馨・三保敬太郎でしたか)で『猿飼育法』を上演したのには、まったく新しい時代の到来はこうやっておこるんだということを感じました。 かくてやっとぼくが寺山さんと同じ大学に入ったときは、放送詩劇『山姥』がイタリア賞のグランプリ。 寺山さんは28歳だったのかな。 もう輝きすぎるほど輝いていた。 これではとりつく島がない。 爪さえ届かない。 でも、なんといっても一番のショックは寺山さんが29歳のときに発表した『田園に死す』ですよ。 あれはとんでもないものだった。 ぼくは長いあいだ、この衝撃的な日本の唄い方がどのように生成してきたのか、考えこみました。 大工町寺町米町仏町老母買ふ町あらずやつばめよ 新しき仏壇買ひに行きしまま行方不明のおとうとと鳥 桃の木は桃の言葉で羨むやわれら母子の声の休暇 村境の春や錆びたる捨て車輪ふるさとまとめて花いちもんめ うんうん唸りましたね。 いったいどこからこんなふうに「言葉の組み合わせ」と「日本」と「ぼくにもあてはまる原郷記憶」とが、一緒になって律動をもって出てくるのだろうか。 うーん、うーん、うんうん。 これはやでもないし、や日夏耿之介でもない。 それから塚本邦雄でもないしでもなかった。 でも、われわれの言葉によってしか溯れない或る原郷を切り取っていたものでした。 その『田園に死す』の長歌「修羅、わが愛」にも困りました。 そこには、こう書いてほしいということが全部書いてある。 こんなふうでしたね。 いつも背中に 紋のある 四人の長子あつまりて姥捨遊びはじめたり とんびのやまの鉦たたき 手相人相家の相 みな大正の 翳ふかき 義肢県灰郡入れ歯村 七草咲けば年長けて 七草枯れれば年老くる 子守の霊を捨てざれば とはに家出ることもなし まあボクサーあがりの寺山さんだから、どんなパンチをこちらが用意してもカウンターを食らうのはしょうがないれど、これではわれわれは全戦全敗になりかねない。 ついつい黙ってしまうのは仕方のないことだったかもしれません。 それでも今日は、やっと寺山さんについて何かを発言することになりました。 まるで出し遅れの証文ですが、どこかで読んでください。 とはいえ、ここに書けるのは、ぼくがずっと憧れてきた寺山さんのと昭和58年5月9日の葬儀の思い出だけです。 寺山さん、寺山さんの歌集が『空には本』で始まったことに、いまさら驚いています。 寺山さんの「本」はいつも空中やら河川やら街頭の中を走っていたんですね。 すでに高校時代の歌が歌でした。 その後の寺山コンセプトも明示されていた。 とびやすき葡萄の汁で汚すなかれ虐げられし少年の詩を 空は本それをめくらんためにのみ雲雀もにがき心を通る 大いなる夏のバケツにうかべくるわがアメリカと蝶ほどの夢 ぼくは「本」というものをオブジェのごとく、のごとく、バシュラールの哲学のごとく操る寺山さんに、行く手を塞がれた感じさえおぼえたものです。 そのほか『空には本』にはいろいろ秀歌があるのですが、そのころだったか、ある日、とんでもないことがぼくの耳に飛び込んできました。 「おい、知っているか、寺山修司の短歌はほとんど盗作なんだってこと!」。 実はそういう噂はなんとなくそれ以前から聞いていたのですが、どうせおかしな勘ぐりだろうと思っていました。 世の中って、そんなものですからね。 けれども、ぼくにご注進をした友人は、ご丁寧にも"証拠"をもってきた。 俳句から"盗作"したという"証拠"です。 上が寺山さんの短歌で、下が俳句の本歌の例。 向日葵の下に饒舌高きかな人を訪わずば自己なき男 ・人を訪はずば自己なき男月見草(中村草田男) わが天使なるやも知れぬ小雀を撃ちて硝煙嗅ぎつつ帰る ・わが天使なるやも知れず寒雀(西東三鬼) わかきたる桶に肥料を満たすとき黒人悲歌は大地に沈む ・紙の桜黒人悲歌は地に沈む(西東三鬼) 莨火を床に踏み消して立ちあがるチェホフ祭の若き俳優 ・燭の灯を莨火としつチェホフ忌(中村草田男) 莨火を樹にすり消して立ちあがる孤児にさむき追憶はあり ・寒き眼の孤児たの短身立ちあがる(秋元不死男) たしかに本歌があります。 あとから知ったことですが、これらの"盗作"については「時事新報」の俳壇時評に指摘があらわれてから、ずいぶん大騒動になっていたらしい。 寺山さんをデビューさせた「短歌研究」編集長の中井英夫さんも、当時をふりかえって「あまりに俳句に無知だった」と顧みています。 しかし、ぼくは盗作おおいに結構、引用おおいに結構という立場です。 だいたい何をもって盗作というかによるのですが、古今、新古今はそれ(本歌取り)をこそ真骨頂としていたわけですし、そうでなくとも人間がつかう言葉の大半は盗作相互作用だというべきで、むしろどれほどみごとな引用適用応用がおこったかということこそが、あえて議論や評価の対象になるべきではないかとおもうくらいです。 でも、寺山さんはこの騒動を突きつけられて、ちょっとシュンとされたようですね。 こんなことをぼくが言うのはおこがましいけれど、寺山修司とはその記憶と表現の全身が、「美しきもの・険しきもの・懐かしきもの・寂しきもの」で相移相入してできあがったハイパーリンク状態そのもののような人なんです。 むしろ"盗作"事件が寺山さんの初期におこったことを祝福したいくらいです。 なぜって、寺山さんは結局はそんな傷みを体にうけてそのままのように生かしてしまい、さらにさらに高度な引用適用応用世界をつくりあげていったわけですからね。 しかし、寺山さんは他人から一知半解の文句を言われるのは大嫌いな人だった。 それならあんたに目にものみせて進ぜようというところがあった。 かくて寺山さんは『血と麦』で急激に蘇り、相手を打倒し、いっさいの追随を許さぬ言葉の疾走を見せてくれることになります。 黒人に生まれざるゆえあこがれき野生の汽罐車、オリーブ、河など わが捨てし言葉はだれか見出さむ浮巣の日ざし流さるる川 ピーナッツをさみしき馬に食わせつついかなる明日も貯えはせず 麻薬中毒重婚浮浪不法所持サイコロ賭博われのブルース やった、やった、です。 こうでなくては寺山さんじゃない。 ともかくもそれからの寺山さんは短歌すら面倒になり、ひたすら実験演劇の試みに向かっていったのでした。 そしてその芝居の中にありったけの言葉を吐いていったのでした。 ところが、このころすでに敗血症が寺山さんを少しずつ蝕んでいたんですね。 そして寺山さんは束の間の一瞬を選んで、さっさと一人で歌のない世界へ行ってしまった。 いまでもありありと思い出しますが、青山葬儀場はもう涙に暮れる以外はなかったものでした。 葬儀委員長の、中井英夫や唐十郎や鈴木忠志の弔辞まではともかくも、式の次第がむせび泣きのなかで進むにつれて、いよいよ天井桟敷の若衆たちが唄い出したときには、会場の全員が嗚咽をはじめたものです。 『レミング』の主題歌でしたね。 みんなが行ってしまったら わたしは一人で手紙を書こう みんなが行ってしまったら 若衆たちはこのように次々に寺山さんの歌を唄いながら、順番に姿を消していったんですよ。 そして、最後に聞こえてきたのは、寺山さんのこんな言葉だったんですよ。 知っていましたか。 一番最後でもいいからさ 世界の涯てまで連れてって 世界の涯てまで連れてって あとで山口瞳が書いていたことですが、山口さんの息子さんがこんなことを言っていたようです。 「ぼくは寺山さんの芝居は全部見ているけれど、寺山さんの演出で、これが一番よかった」と。 寺山さん、あんなふうに最後の最後になって世界をかっぱらうなんて、ずるいですよ。 ぼくはあれからまた、何も返す言葉を失っていたんです。 では、ぼくもいつかそのようになることを約束して、さようなら。 書店のどこでも手に入るだろうし、インターネットでも簡単に検索がきく。 ここでは寺山修司に関するいくつかの書物をあげておく。 寺山はつ『母の蛍』(新書館)、九條今日子『ムッシュウ・寺山修司』(ちくま文庫)、中井英夫『黒衣の短歌史』(潮出版社)、塚本邦雄『夕暮の諧調』(人文書院)、萩原朔美『思い出の中の寺山修司』(筑摩書房)、前田律子『居候としての寺山体験』(深夜叢書社)、皆司『少年伝記・私の中の寺山修司』(ふらんす堂)、高橋咲『十五歳・天井桟敷物語』(河出書房新社)、三浦雅士『寺山修司・鏡のなかの言葉』(新書館)、長尾三郎『虚構地獄』(講談社)、野島直子『孤児への意志・寺山修司論』(法蔵館)、小川太郎『寺山修司・その知られざる青春』(三一書房)など。

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