蜷川 幸雄。 蜷川幸雄×ジャニー喜多川 2人の”演出家”が語る極意 (全文) [演劇・コンサート] All About

蜷川有紀と蜷川幸雄の関係は?結婚歴と出身大学・高校を調査!

蜷川 幸雄

5月16日、東京・青山葬儀場で蜷川幸雄さん(享年80)の告別式が営まれた。 「鬼の蜷川」という異名も持ち、スパルタ指導でも知られる蜷川さんが見出し、輝きを与えた原石は数知れない。 今年3 月に日本アカデミー賞・最優秀主演男優賞を受賞した二宮和也(32)も、その1人だ。 《今回の訃報を聞き、驚きました。 本当に強い、熱い、情熱を持っているお方でお芝居というものを教えてもらいました。 本当にお疲れ様でした》(二宮) 蜷川さんと二宮、2人の出会いは14年前にさかのぼる。 どうしてもテレビドラマ風のイントネーションになってしまう二宮に、蜷川さんは厳しい言葉を放った。 「いまは『嵐』じゃねえんだぞ。 本当の二宮君を見せろ、隠された喜怒哀楽を出せ!」 そして蜷川さんは、こんなアドバイスをしたという。 「怒っているときや悲しいときでも、逆に笑ってみせるほうが、より感情を表現できることもあるんだ」 二宮はそんな蜷川さんの一言一言をまるでスポンジが水を吸い込むように、どんどん吸収していったのだ。 無事撮影が終了したころ、蜷川さんは教え子・二宮へのメッセージをつづった手紙を本誌に公開している。 《いざ読み合わせすると下手で最悪、家へ帰って女房に言ったんだよ。 「二宮君、下手でさァ」って(笑)。 でも撮影に入ったらすごくよかった。 勉強したんだね。 この手紙も、彼にとって大きな自信となったに違いない。 「ニノはね、すごいんだよ」 ニコニコしながらそのセリフを連発する蜷川さんへ挨拶するため、取材現場に現れたのが、藤原竜也(33)だった。 そして彼が立ち去った後、蜷川さんは笑ってこう言ったのだ。 「アイツさ、実はニノに嫉妬しているんだよ。 『青の炎』の撮影現場を見に来たときに、オレが『ニノの(演技が)がいいんだよ』なんて、言っちゃったものだからね。 だから今みたいに、こまめに挨拶に来たり、本当に困っちゃうよね」 その心底楽しそうな口ぶりからは、弟子たちへの深い愛情が感じられた。 「劇場には、二宮君もやってきて、蜷川さんに挨拶をしていました。 《また一緒に仕事しような。

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提供 (画像:Netflix Japan Instagramより) 2月末から世界190か国で配信が開始された「FOLLOWERS」は、写真家・蜷川実花がはじめて手掛けた配信ドラマである。 これが配信早々、なかなか辛辣(しんらつ)な批判に晒(さら)されている。 アイタタ……。 匿名アカウントの無責任な言葉と比べ、文化系の知識人たちが論理的な文章で良くない点を挙げて、それが拡散されていくと否定意見が圧倒的に正義になっていく。 「賛」の人は、インスタやYou Tubeユーザーの若い世代や女性などで、シンプルに「面白い!」「可愛い」「萌える」というような反応なので、否定派の論理にはかなわないのである。 確かにそうで。 主人公である、蜷川実花自身をモデルにしているとされる人気フォトグラファー(中谷美紀が金髪ショートにしてビジュアルも蜷川に似せてきている)が、地位も名誉も名声もお金も人脈も何もかも獲得し上り詰めた末、子供を生み育てるという女の特権も獲得しようと足掻(あが)くお話はツッコミどころに溢れている。 それと、物欲旺盛の登場人物たちの姿は、富裕層と貧しい層の格差拡大が危ぶまれるいま、その分断(富裕層側)に加担しているところが気にかかる。 むしろ、また蜷川実花が……という印象だ。 蜷川実花は過去、写真家としての活動の傍ら、映画作品を数本撮ってきて、そのどれもがたいてい批評の礫(つぶて)を食らってきた。 安野モヨコの人気まんがを原作にしたデビュー作「さくらん」(07年)はデビュー作ということもあってまあまあ見逃されていたような気がするが、岡崎京子の代表作のひとつ「ヘルタースケルター」(12年)、昨年、公開された2作「Diner ダイナー」(19年)、「人間失格 太宰治と3人の女」(19年)などは賛否両論が渦巻いた。 以前は、興行成績さえよければ、否定の声は埋もれてしまう傾向があったけれど、いまはネットであらゆる声が可視化される。 誰もが公平に意見を言えることによって炎上という地獄を生き残っていかないといけない時代、蜷川実花は格好の生贄(いけにえ)になっているように思う。 ではここで、改めて、蜷川実花の何がそんなにイラつかせるのか、ポイントを8つ挙げてみよう。 低予算のテレビドラマには目もくれず、予算豊富、世界配信、という好条件のネトフリと組むところがさすがである。 「FOLLOWERS」にはGIVENCHY、Dior、GUCCI、ルブタン、ティファニーなどハイブランドの服や靴やアクセサリーの数々が登場し、パーティー会場やアートの展示会場、登場人物の部屋や仕事場なども、昨今の邦画やテレビドラマにないゴージャスさで、テレビドラマや邦画では制作不可能であろう。 不況の世の中で、なぜ、蜷川実花ばかりが予算を使いたい放題(に見える)なのか ナットクいかない。 また、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会理事もやっていることも、オリンピック特需にすかさず関わる感じがしてしまう(いまはオリンピックもどうなるかわからないが)。 常にバイアスをかけて見られ、本人の本質を見てもらえない、二世によくある悩みである。 蜷川幸雄が2016年に亡くなってからは、そのバイアスがなくなって、いまや蜷川といえば「蜷川実花」の時代がやってきたかと思ったら、「DINER」で藤原竜也、「人間失格」で小栗旬と蜷川幸雄組の一員だった俳優を主役にして、蜷川幸雄の演出方法のオマージュもふんだんに行うという特権を駆使していた。 これは追悼および魂の引き継ぎという美しい意味も当然あるはずだが、やっぱり蜷川幸雄の威光を着ているとも思ってしまう人はいるのである。 映画に限らず、テレビドラマも、医療ものと刑事ものとイケメンものしかつくれず鬱々としたプロデューサーやディレクターもいるはずで、蜷川実花は写真だけ撮っておけ、東京オリンピックパラリンピック競技大会組織委員会理事として働いておけ、と思う人もいるのはわからなくはない。 私も昔、演劇ライターやりながら映画の仕事をしていたら、「演劇だけやってろ」と映画ライターのひとたちにすごく虐(いじ)められたことがある。 ヒトは自分の領域を脅かす、よそ者には冷たいのである。 しかもこれだけ多くの欲望を描きながら、文化や教養などへの知識欲がまったく見当たらないのである。 「FOLLOWERS」で唯一の文化はタランティーノ。 でもそこに愛があるとはあまり思えない。 弁の立つ人たちが蜷川実花を批判したがる理由は、このように共通の文化体験が作品のなかに見つけられないところが最も大きいのではないだろうか。 かろうじて、安野モヨコや岡崎京子、太宰治と原作者の文脈から何かを語ることができるのだが、蜷川実花の作風の文脈がみつからない。 とりわけオリジナルの「FOLLOWERS」には何もない。 ここまで空っぽにするほうが逆に才能のような気がするのだが、語りたい人にとっては寄る辺がないのである。 いまは、男とか女とか分ける時代ではないし、子どもを生み育てながらどう働くか、様々な方法を考える時代にもかかわらず、仕事も子供も分母200%と、炎上広告のコピーみたいなセリフで、お金があるなら預けて仕事しろ、と怒る人が出てきてしまう。 #KuToo時代にあえて、高いヒールのルブタンを履く矜持を描くところも、ズレているっちゃズレている。 もともと、蜷川実花は、女の子ならではの視点で撮られた写真という、男性の権威者たちがつくったジャンルからデビューしたという出自が、いまだにマイナスに働いているともいえるだろう。 ちょうど、今年、その文化のひとりとされていた長島有里枝が、『「僕ら」の「女の子写真」から わたしたちのガーリーフォトへ』という著書を上梓したタイミングもあり、ますます蜷川実花に逆風が吹くのである。 自分の世界をよく理解してくれて、阿吽(あうん)の呼吸で仕事ができる才能は大事にしたいのは当然なのだが、やりすぎるとはなにつくところがあって、蜷川組の場合もSNSなどで仲良しアピールが盛んな感じがするし、「FOLLOWERS」はとにかくお知り合い総動員で、派手さのみで勝負しているところに遊びと仕事が混ざってしまっているような印象を受ける。 「仲良し」はみんな好きで、タレント同士がSNSにアップする2ショットや誕生パーティーの集合写真や仲良しエピソードを読むことは大好物だが、蜷川実花の場合、なぜか、どうせ私たちには関係ないし……という激しい疎外感に苛まれるのである(他のタレントだって一般人は蚊帳の外なんだけれど)。 メンタル強そうだし(あくまでイメージ)、地位も揺らがなそうだし、経済的にも困らなそう。 蜷川実花を「古い」と曝(さら)すことは、性差や年齢、出自などを差別することとは別枠として、なぜか知的な職業の人には認められているようなところがある。 彼女を批判することで、現代をキャッチする感覚の正当性を確かめることができ、なにか不思議な満足感を得られるのである。 以上、8つにまとめてみた。 おもしろいのは、偉大なる父親と比べられることを避けてきた蜷川実花が、父・幸雄がアングラから商業演劇に活動の場所を移したとき、演劇界から孤立し、演劇界の評論家たちから認められない時期があったいう意外な過去をうっすらなぞっているように見えることだ。 蜷川幸雄はそのとき演劇以外の評論家やライターに助けられたとよくインタビューで振り返っている。 蜷川実花の味方は圧倒的に、強い言葉をもたない、キレイやかわいいが大好きで難しいことを考えない一般層である。 「FOLLOWERS」には「汝(なんじ)の道を進め。 そして人々をして語るに任せよ」というセリフがあり、これが蜷川実花の信条であろうと考えると、自主的に孤高の生き方を選んでしまう性分なのだと思える。 これからも、誰に何を言われても自分を曲げないにちがいない。 それがまた苛(いら)ついて、批判が出る。 その繰り返しもエンターテイメントなのかもしれない。 より良い世の中を求めて、時代のアップデートを見つめていく知的エリートたちが、旧さを理由にひとりの女を責める構図に私は、旧世代の没落したお金持ちと新世代の労働者の哀しい対立のなかで狂気なまでの己の夢に生きるヒロインを描いた「欲望という名の電車」を思い浮かべる。 蜷川実花にはいつか「欲望という名の電車」を撮ってほしい。 <文/木俣冬> 【木俣 冬】 フリーライター。 ドラマ、映画、演劇などエンタメ作品に関するルポルタージュ、インタビュー、レビューなどを執筆。 ノベライズも手がける。 『みんなの朝ドラ』など著書多数、蜷川幸雄『身体的物語論』の企画構成など.

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蜷川幸雄の育成力がすごい。怒鳴られ育てられた名役者7人

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専属通訳を務めたジャーナリストが語る 演出家・蜷川幸雄が 英国演劇にもたらしたもの 舞台演出家の蜷川幸雄が今年の5月12日、永眠した。 蜷川幸雄が英国の演劇界に遺したものとは何なのか。 長年にわたり専属通訳として蜷川の英国上演作品に携わってきたロンドン在住のジャーナリスト秋島百合子さんに、英国における蜷川幸雄について語ってもらった。 (取材・文: 本誌編集部 村上 祥子) 参考文献: 秋島百合子「蜷川幸雄とシェークスピア」(角川書店) 1991年、「タンゴ・冬の終わりに」の制作現場にて。 2016年5月12日死去。 (財)埼玉県芸術文化振興財団芸術監督、Bunkamura シアターコクーン芸術監督などを兼任。 1983年「王女メディア」のイタリア・ギリシャ公演以降、ヨーロッパ、米国など世界各国で数多くの作品を上演しており、英国では85年「NINAGAWA マクベス」以来、数多くの作品を発表。 英国では87年に英国の演劇賞ローレンス・オリビエ賞演出家部門ノミネート(「NINAGAWA マクベス」及び「王女メディア」にて)。 2002年、大英帝国勲章(CBE)の叙勲を受ける。 秋島百合子(あきしま・ゆりこ)略歴 1950年生まれ。 青山学院大学文学部英米文学科卒。 米経済紙「ウォール・ストリート・ジャーナル」東京支局勤務後に来英、75年から78年まで、BBC で日本語放送に携わる。 その後はジャーナリストとして活躍。 1985 年には「この世はすべて舞台」で第1回ノンフィクション朝日ジャーナル大賞優秀賞を受賞。 「蜷川幸雄とシェークスピア」(角川書店)ほか著書多数。 物語と現実をつなぐ枠組み 今年の5月、英国のメディアに一人の日本人演出家の死を取り上げる記事が踊った。 「ガーディアン」紙の大物劇評家、マイケル・ビリントンは「驚くべき視覚的華麗さと、東洋と西洋を融合させる力を備えた作品を手掛けた偉大な日本人演出家」と評し、その業績を称えた。 1985年、スコットランドのエディンバラで「NINAGAWA マクベス」を上演。 以来、昨年2015年に藤原竜也主演「ハムレット」と村上春樹原作「海辺のカフカ」をロンドンのバービカン劇場で連続上演するまで、ほぼ毎年英国で公演を行い、追っかけと自認する英国人ファンもいた蜷川幸雄は、ここ英国の演劇界でも大きな存在感を放っていた。 1985年、鮮やかに舞い散る桜の禍々しいまでの美しさがエディンバラの観客の心をわしづかみにした「NINAGAWA マクベス」、その観客席に秋島さんはいた。 英語に堪能で、過去にはBBC の日本語放送を担当していた秋島さん。 当時、友人が蜷川の演出補で、日本では舞台関係の通訳や制作の仕事を時折手伝っていたこともあり、次の英国公演である1986年の「王女メディア」から制作現場やプレスのインタビューなどで通訳を担当する現地スタッフとして英国における蜷川作品に携わるようになった。 蜷川が手掛けたシェイクスピアと言うと、舞台上に巨大な仏壇を設け、その中で武士の衣装に身を包んだ登場人物たちが物語を展開する先述の「NINAGAWAマクベス」を始め、佐渡の能舞台や京都・龍安寺の石庭を舞台とするなど日本的な視覚的要素が強調された作品が複数みられる。 一部からは海外向けの「ジャポネスク」であると言われたこうした演出はしかし、決してそのような意図に基づいたものではなかったと秋島さんは語る。 「あのような演出は、むしろ日本人にとって分かりやすくするためのものでした。 当時は海外へ持って行こうという話もなかったのですから。 ここで言う「枠」というのは、芝居の本編が始まる前に、これから日本人の役者たちがシェイクスピア劇を演じます、と芝居の中で「宣言」することで、初期の「NINAGAWAマクベス」から昨年の「ハムレット」まで、蜷川はいくつかの作品で採用している。 それはこうすれば「短い足で白いタイツを履いた日本人がシェイクスピアを演じてもリアルなんじゃないか」という、日本人がシェイクスピア劇を演じるジレンマを解消する一つの方法だったというわけだ。 例えば、イラク戦争勃発直後の2003年にナショナル・シアター(NT)の大劇場オリビエで上演された「ペリクリーズ」では、現代の戦場と思しき荒地に心身に傷を負った旅役者たちが集まって「ペリクリーズ」を演じるという枠を設定した。 これは特にイラク戦争を念頭に置いた演出ではなかったそうだが、離ればなれになった家族があり得ない偶然の積み重なりで再び相まみえるという幻想(ファンタジー)と、厳しい現実をつなげる架け橋の役割を果たした。 1999年の「リア王」のリハーサル風景。 ナイジェル・ホーソーン演じるリア(写真右から2人目)と、道化役の真田広之(同右端) 数十年後に下された 「評価」 これまで蜷川は、20を優に超える英国公演を行っているが、その大多数は日本で制作されたプロダクションだ。 だが中には英国の役者を使い、英国制作もしくは日本と英国で共同制作されたケースもある。 1991年に上演された清水邦夫作「タンゴ・冬の終わりに」では、人気と実力を兼ね備えた英国人俳優の故アラン・リックマンを迎え、エディンバラに加え英国随一の劇場街ウェスト・エンドで長期公演を敢行。 1994年の「ペール・ギュント」は英国人キャストの中に蜷川作品常連の壌晴彦(じょうはるひこ)が加わるという構成だった。 そして驚くべき制作過程を経て生まれたのが、シェイクスピア演劇の本丸とも言えるロイヤル・シェイクスピア・カンパニー(RSC)との共同プロジェクトである1999年の「リア王」である。 出演者は一人を除き英国人、制作チームは日本という混合編成。 稽古は出演者を日本に数週間滞在させて行い、日本公演の後にバービカン劇場、そしてRSC の本拠地であるストラトフォード=アポン=エイボンのロイヤル・シェイクスピア劇場でも上演するという、壮大なスケールだった。 制作現場ではさぞや多くの紆余曲折があったことと思われるが、まずは唯一の日本人キャスト、真田広之が出演に至った経緯を秋島さんに聞いてみた。 「『リア王』における道化の役というのは異質な存在でしたから、始めから蜷川さんは日本人俳優にしようと思っていました。 その前年に真田さんが『ハムレット』を演じていたのを観て、『僕のフール(道化)には彼がいい』と言ったのです。 それで蜷川さんとセルマ・ホルト(プロデューサー)、私の3人で真田さんのところに行って話したら、『えっ……僕……!? 』って(笑)。 元々、英語を話すのは上手だったけれど、演じるのはまた別でしょう? アメリカでも色々活躍されていますが、あれだけ訓練したことが役に立っているのではないでしょうか」。 ローレンス・オリビエ賞、トニー賞の受賞経験もある実力派俳優 鳴り物入りで開幕した「リア王」だったが、当初、英国における劇評家の評価は、決して高いものとは言えなかった。 「ナイジェル・ホーソーンの俳優としての資質がリアとしては優しすぎる、と。 リア王と言えば、獰猛な専制君主というイメージがありますから。 ナイジェルなんて打ちひしがれてしまって大変でした」。 では、この蜷川版「リア王」は英国では受け入れられなかったのか。 まず、観客の反応は劇評とは対照的に翌日も満席、キャンセル待ちの行列ができたほどだった。 そして劇評も、先に出る日刊紙こそ厳しいものが多かったが、その後は日曜紙などで絶賛する評も出て持ち直したのだと秋島さんは言う。 そしてもう一つ。 「ナイジェルが蜷川さんにね、老人の病気を専門にするお医者様から手紙をたくさんもらったんですよと言いに来たんです。 老人の頑固さや獰猛さといった点だけでなく、混乱し錯乱する部分まで良く出ていて良かったって」。 この話を聞いて思い出したことがある。 英国演劇界にあってシェイクスピア俳優の名をほしいままにする名優サイモン・ラッセル・ビールが2年前にタイトル・ロールを演じ称賛されたNTの「リア王」。 この中でラッセル・ビールは、手を小刻みに震わせて激高し、哀れさを伴う混沌を纏う老齢の王を演じ、まさに認知症の要素を押し出したのである。 すると間髪入れず、秋島さんもこのラッセル・ビールのリア王について言及した。 「サイモン・ラッセル・ビールも、認知症を研究してああいう役柄をつくり上げたのですよね。 今でこそ『ディメンシア(認知症)』と言われるけれど、シェイクスピア の時代にはそういった言葉はなかった。 けれども実際にそうした人たちは大勢いたわけで、それを取り上げたシェイクスピアはすごい、それも一つの解釈だ、と最近になって医学の専門家からの説も出たと言います。 だからある意味、蜷川さんは時代を先取りしていたとも考えられる。 今、蜷川さんがあの舞台を上演していたら、また評価も違っていたのではないかと思うんですよ。 でも芸術とは時代、時代で受け取られ方が変わってくる。 そういうものですからね」。 2つの才能が出会う 数十年にわたり、通訳という立場で蜷川の制作現場を見続けてきた秋島さん。 制作過程はもちろんのこと、それ以外でも心に残る思い出があるだろう。 それはもう色々ありますよ、そう笑う秋島さんに、2つのエピソードを伺った。 まずは2003年、NT で上演された「ペリクリーズ」でのこと。 当時の同劇場トップである芸術監督は、過去にはRSC で芸術監督を務め、ミュージカル「レミゼラブル」の演出などでも知られるトレバー・ナン。 「『ペリクリーズ』はやりにくいから俺にやらせたんだよ(笑)」と蜷川が冗談交じりに語ったという通り、英国の演劇ファンの間でも地味な存在である同作をナンの肝入りで上演することになった蜷川だったが、初日の休憩中、ナンが息せき切って蜷川のところにやって来たそうだ。 「蜷川さんは本番中、客席に座らないんですよ。 後ろに立ってうろうろしている。 たぶん落ち着かないのでしょう。 それで私も蜷川さんと一緒に立って観ていたら、トレバー・ナンが駆けつけてきて涙を流して感動しているんです。 『こんなに分かりやすいペリクリーズは初めてだ』って。 まだあと半分ありますよ、という感じだったですけれどね(笑)」。 そしてもう一つが、格調高い文体で英国の生活や文化を綴ることで定評のある作家、カズオ・イシグロとのエピソードだ。 2007年に出版社の社長の厚意でイシグロと会食をする機会があった秋島さんは、彼から蜷川について、「こういう名前の演出家は知っている? 」と聞かれた。 なんでもイシグロは演劇好きで、同時期にバービカン劇場で上演された「コリオレイナス」を鑑賞していたのだという。 以前から蜷川がカズオ・イシグロのファンだったことを知っていた秋島さんは、2人を引き合わせようと思い立った。 「片方だけだったらそんなことは考えなかったでしょうが、両想いだったから(笑)、それだったらと思ったのです。 『コリオレイナス』の次の英国公演となった『NINAGAWA十二夜』のときでしたか。 休憩時間に3人だけで会いました。 その後は毎回、会っていたみたいですよ」。 この2人の交流は2014年、彩の国さいたま芸術劇場の開館20周年記念に、蜷川がイシグロの著作「わたしを離さないで(Never Let Me Go)」を基にした同名の芝居の演出を手掛けるという形で花開いた。 イシグロは蜷川が亡くなった際にも、日本の演劇雑誌に追悼文を寄せている。 2007年にバービカン劇場で上演された「コリオレイナス」。 舞台全体を覆う大階段が圧巻 2009年、蜷川、イシグロとともに写真に収まる秋島さん シェイクスピアの「矛盾」を楽しむ ロンドンの街には至るところに大小の劇場が点在し、 観劇文化が一般に浸透している。 国内に才能あふれる演出家が星の数ほどもいるのに、日本人である蜷川がなぜここまで受け入れられ、長年にわたり愛され続けたのか。 その理由の一つは、「リア王」などの稽古場で蜷川が目の当たりにした、日英の演技手法の違いにありそうだ。 「イギリス人はまるで実際にそこで物事が起こっているかのようにリアリズムで演じようとする。 大きな劇場でも3、4人でぼそぼそとしゃべっていて本当にナチュラルに見える芝居ってあるじゃないですか。 彼らは発声が上手だから、ぼそぼそしゃべっていてもはっきりと声が聞こえるし、それが良い芝居と考えられている。 一方で、蜷川さんが言うには、日本人はどんなにナチュラルにやろうとしても様式が出てくるって。 身体にしても、話し方にしても、骨の髄まで様式が入っている。 どんなに日本人がナチュラルにやってもイギリス人のようにはならない。 だったら逆に様式をやろうというのが彼のポイントなわけです」。 様式とリアリズム。 日英の演技手法の違いを逆手に取って、日本人が演じるシェイクスピアを、そして英国人が演じる日本のプロダクションをつくろうと蜷川は考えた。 「日本人が演じるシェイクスピアを演出するときは様式を生かし、歌舞伎のような技術も取り入れた。 一方でイギリス人を使う場合には、基本的な枠組みは日本的な部分もかなりあるのだけれど、そこにイギリス人のリアリズムをぶち込んで衝突させた。 蜷川さんは『能の舞台に泥のついた長靴を履いてどかどか上り込んでほしい』という言い方をしていましたね」。 今でこそ英国でもフィジカルな芝居が増えてきたが、まだまだ言葉や台詞を重視する傾向が強かった数十年以上も前、珠玉の言葉が散りばめられたシェイクスピア作品に様々な「型」をはめ、視覚的な演出を施したプロダクションを見せつけられた英国の観客は、「逆カルチャー・ショック」とでも言うべき衝撃を受けたことだろう。 そしてもう一つ、「シェイクスピアの作品自体、必ずしもナチュラリズムを追求したものではない」という点がある。 ここでこんな偶然が起こるなんてあり得ない。 ナチュラリズムでやっていたら行き詰ってしまうわけです。 例えば『シンベリン』で生き別れた兄妹が出会うときに「あら、お兄さん! 」「ああ、お前! 」とかリアルに演じると逆に不自然なことになってしまう。 でもイギリスでは矛盾を少しでも矛盾ではなくなるようにナチュラリズムで解決しようとした。 だからシリアスになる。 『それじゃ笑えなくなっちゃうじゃないか! 』っていうのが蜷川さん。 『これはおかしいんだよ。 こんな偶然続きっこないんだから』って。 シェイクスピアの喜劇には結構ドタバタ要素もあるのですが、おかしいところはどんどんおかしくして、これでもかこれでもかってやったら、こちらの観客にもすごく受けて。 蜷川さんが手掛ける余地がシェイクスピアにあったということかしらね」。 かつては一般市民の娯楽として愛され、時には馬鹿馬鹿しくも、下世話でもあったシェイクスピアの世界の埋もれていた一面が、時代を経て、期せずして異国の演出家によって蘇ったということなのかもしれない。 家族の別離から再会、和解までの過程を空想やスペクタクルな要素を織り込み描いていく 来年、ロンドンのバービカン劇場では、英国の観客の度肝を抜いた「NINAGAWAマクベス」が再び上演されることが決まった。 スコットランドの残虐な栄枯盛衰の物語を荘厳な日本の伝統美で彩り、現在の英国人のシェイクスピア観を吹き飛ばした蜷川の桜が、30年ぶりに英国の劇場に舞う。

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